後来習態にしがみつく

十年くらい前でしょうか、あるとき高岡先生が「後来習態」という話をされまして、その内容は「生まれてから後天的に身につけた身体のクセ」というようなことだったと思います。それを取り去って行くことが必要なんだ、と。

長らく「後来習態」という言葉は高岡先生の造語だと思っていたんですが、先日気になってGoogle先生に聞いてみたところ、直新陰流剣術の言葉とのことでした。
Google先生すごい。

「後来習態の容形を除き、本来精妙の恒体に復す」(男谷精一郎)

生まれ落ちてから身についたクセを捨て、人間本来の動きに戻す、というような意味でしょうか。
ゆるトレーニングはまさにそのための体系で、その人の人間本来の能力を発揮するためのものです。

後来習態は身体運動のクセのみならず、認識や思考、行動や習慣にまで及んでいまして、それらはゆるんで地芯に乗るという「本来精妙の恒体に復す」ことを阻害しています。

なので、ゆるトレーニングを進めていけば、身体の「後来習態」がどんどん解消されていきます。ところがトレーニングを行っているときに身体のクセは解消されるようになってきても、トレーニングしていない時間の日常生活での認識や思考、行動や習慣の「後来習態」が強いと、解消されつつある身体の「後来習態」を復活させてしまうことがあります。

日常生活での自分の思考や認識のクセが、身体のゆるみを奪い、センターを壊し、前腿を効かせ裏転子を弱くし、胸や腹を固まらせたりするわけです。

また逆に、日常生活での「後来習態」が強いためにゆるトレーニングをしてもゆるみづらいところがある、という現象もあります。

圧倒的なトレーニングの結果、これらを乗り越えて、日常でもいい状態でいることができる人もいます。しかし普通の人は(人によって差がありますが)、トレーニングでゆるんでも、自分の日常生活に戻れば「それまでの自分」に引きづられて、トレーニングの成果が減衰します。「後来習態」も自分の一部なので、それにしがみついて離そうとしないわけです。思い切ってゆるんで、地芯に乗って、センターに身を任せた心身で生きればいいのに、それができない。

私にも当然のようにトレーニングの結果をマイナスにする日常生活の「後来習態」がたくさんあるわけで、トレーニングが進んでいない時期はこれらに負けまくっていました。もちろん今でもいろいろ負けています。昔に比べたらだいぶマシになりましたが。
それらは意図的に取り組んで改善してきたものもありますし、トレーニングの結果、自然と解消できたものもありますが、とにかくまだまだたくさんの課題があります。

それらの課題を眺めてみて、「ああ、自分はこんなにダメなんだなあ」と絶望的な気分になっていたのは20代のころで、今はむしろ「これだけ問題があっても今ほどのパフォーマンスが出せるんだから、これらが改善されたらもっとすごくなれるな!」と前向きに捉えられるようになっています。

この考え方が変わってきたこと自体、ある種の「後来習態」から抜け出した結果だと思います。

そんなわけで、ある程度トレーニングが進んで、なんか伸び悩んでいるなあ、というときは、そのへんを見直してみるのも一つの手かと思います。

ただし、これはあくまでゆるトレーニングがメインで身体をよくしていくことが前提です。

ちょっとした「考え方」や「アイディア」、「心のあり方」などで、思考や認識のほうから、日常生活での「後来習態」を直接改善できることもあります。
しかしながら、根深い課題は身体も含めた「後来習態」と結びついているので、身体が改善されなければ大した効果が得られないばかりか、心身に矛盾を引き起こし、かえってストレスになってしまうこともあります。

身体のゆるが進んできた結果、認識や思考の自由度が高まり、それらが改善される余地が出てくるわけです。

具体的にどう改善すればいいか、という話は、それこそ膨大にあり、またありがたいことに、ゆるトレーニングで改善していく方法もたくさんありますので、そこは工夫、研究しながら、楽しんで取り組んでもらうといいかと思います。



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