昔の人はすごかった、という話の身近なやつ
高岡先生の著書には「江戸時代の人間はすごかった」「(先生の)小さい頃は達人クラスの身体能力の人たちがいた」とか書かれていて、「ふーん、なるほどそうだったのかあ」と読んだ当初は思っていましたが、トレーニングが進んで少しは人の身体を観る能力がついてきたころに、明治初期くらいの写真を見ると、確かにとんでもないレベルだなあと納得したものです。
その明治時代に生まれたのが自分の祖父です。
祖父は1900年、明治33年の生まれでしたが、本人いわく出生届を出すのが3年ほど遅れて戸籍では明治36年あたりの生まれとなったそうです。本当かどうかはわかりません。
94歳のときに亡くなりましたが、実年齢では97歳だったのかもしれません。ともかく90を過ぎての大往生でした。
祖父は若い頃は勉強ができたらしく、学校のテストで満点をとったところ、字がきれいなことに先生が感心して、プラス5点して105点をもらった、とよく話していました。確かに毛筆の字はきれいだった記憶があります。
その後、本人は東京に行って警察官になりたかったらしいのですが、汽車に乗る前に家族に連れ戻されて、泣く泣く諦めたそうです。
今実家が建っている家はもともと田んぼか湿地だったらしく、当時は安く買えたそうですが、そこを自分一人で埋め立てて宅地にしたそうです。
一緒に購入した裏山を一人で切り崩して、小学校の校舎一棟ぶんはあると思われる土砂を運び、埋め立てに使ったと言っていました。
実際どれくらいの時間かかったかはわかりませんが、かなりの量の土砂を人力で運ぶという作業は、現代人ならば重機を使わないとやっていられないでしょう。
自分が高岡先生に師事してからある程度たって祖父の写真を久しぶりに見たとき、いかにいい身体を持っていたかが理解できました。そして当時、トレーニングしても写真の祖父に追いつけていない自分に愕然としたものです。そもそもそんなに祖父がすごいとは思っていませんでしたので。
写真は70歳くらいのときに日光東照宮に旅行したときのものらしいですが、なかなかにいい身体、ポジションをしています。祖父が何の仕事をしていたかはいまいちよくわからないのですが、一時期は馬を使った運送業をやっていたようで、そういった肉体労働で鍛えられたんでしょうね。
自分が小さい頃の祖父は、夕方になるとお酒を飲んでテレビの相撲中継を見つつ、酔っ払って昔の話を延々とする、そしてときおりひどい癇癪を起こしたりして、子供ながらに非常にとっつきにくい人間でした。
しかし、なぜかよく祖父の近くで遊んでいたので、なんだかんだ好きだったのかもしれません。
今となってはもう少しいろいろと昔の話を聞いておけばよかったと思います。
なにせ明治時代からの生き証人だったのですから。
祖父は仕事ですごい功績を残したとか、多大な財産を作ったとか、そういうことはなく、ごく普通の田舎の人間でした。しかし、70くらいのときでこれくらいの身体を持っていたということは、若いときはさらに高度な身体運動をなし得たでしょうし、それは現代の人間と比べるとかなり高いパフォーマンスだったことが想像できます。
幕末や明治時代の写真を見ても、確かに武士や支配階級の身体はよいのですが、それ以上に庶民の身体のよさが目に付きます。職人や商人、肉体労働者など、ごく普通の人達が高度な身体運動を行っていたということが写真からわかります。
こういった身体運動レベルの人達がそこかしこにいる時代というのは、今とは質的に全然違ったんだろうなあ、と思います。
そしてそれを別の機会に感じさせてくれたのが、今は亡き入谷キャラバンのマスター、諸岡實氏でした。「珈琲の神様」と言われたキャラバンのマスターには、なぜか目をかけられて、珈琲の豆を買いに行くたびにいろいろなお話をしてもらい、勉強させていただきました。今の仕事に対する姿勢というのは、職人であるマスターから教えられたことが強く影響しています。
そのマスターについてはまた別の機会に書きたいと思います。
今回は全然トレーニングのことは書きませんでしたが、調整に興味を持ったかたはこちらへどうぞ。
身体調整室 https://www.chosei-shitsu.com/