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脚本の公表権侵害が問題となった映画「ハレンチ君主いんびな休日」事件

はじめに

令和4年7月29日、東京地方裁判所民事第40部(令和2年(ワ)第22324号)は、映画の脚本をめぐる著作者人格権(公表権)侵害や名誉毀損など、多数の争点が含まれた事案について判決を下しました。その後、知的財産高等裁判所(令和5年2月7日判決・令和4年(ネ)第10090号・10097号)でも控訴が審理されましたが、結論としては原審判決が維持され、いわゆる「映画の脚本に係る公表権」の法的取扱いに関して重要な示唆を与える内容となっています。

本稿では、この裁判例(以下「本件判決」等といいます)の事実関係、争点、裁判所の判断理由を整理しつつ、特に映画(翻案物)と脚本(原著作物)の関係公表権侵害の成立要件、そして名誉毀損や期待権侵害などがどのように判断されたかを概説します。なお、判決本文は裁判所ウェブサイトでも確認することができます。

1.事件の概要

(1) 当事者と作品の概要

  • 原告X1(以下「X1」)
    映画「ハレンチ君主いんびな休日」(以下「本件映画」)の監督・脚本・主演を務めた映画監督。

  • 原告X2(以下「X2」)
    同じく本件映画の脚本を共同で手掛けた映画監督・脚本家。

  • 被告Y1(以下「Y1」または「被告新潮社」)
    週刊誌「週刊新潮」を発行する出版社。本件週刊誌(2018年3月8日号)に本件映画に関する記事を掲載。

  • 被告Y2映画・被告Y3映画(以下総称して「被告大蔵映画ら」)
    R18指定の映画等の配給・制作を行う映画会社。本件映画の製作や配給を担っていた。

本件映画は、成人向けの「ピンク映画」に属する作品と位置づけられ、当初は2018年2月に劇場公開される予定でした。しかし、公開直前に上映を中止(延期)したことが大きな問題となり、週刊誌によって「○○天皇(昭和天皇)をモデルとした“不敬映画”である」などの記載がなされた結果、名誉毀損や脚本の公表権侵害などをめぐって訴訟に至りました。

(2) 原告らの主張と請求の概要

本件訴訟では、原告側(X1・X2)が主に以下の請求をしました。

  1. 名誉毀損を理由とする損害賠償請求

    • 週刊新潮2018年3月8日号(以下「本件週刊誌」)に掲載された記事(以下「本件記事」)のうち、「昭和天皇をモデルとするピンク映画」「不敬映画」などの記述により、原告らの社会的評価を低下させた、として220万円の損害賠償を各自が求めた。

    • また、同記事中でX1が「謝罪した」などとされている部分につき、被告大蔵映画らの取材協力があったとして、共同不法行為を理由に220万円の連帯支払なども請求。

  2. 脚本の公表権侵害を理由とする損害賠償請求

    • 週刊誌の記事の中で、本件映画の脚本(以下「本件脚本」)の一部が無断で引用・掲載された。その行為が公表権(著作者人格権)を侵害する、として110万円の損害賠償(+弁護士費用相当額)を求めた。

  3. 謝罪広告の掲載請求

    • 名誉毀損が認められる限り、民法723条に基づく謝罪広告の掲載(「週刊新潮」への1回掲載)を請求。

  4. 映画公開中止(延期)による「期待権侵害」を理由とする損害賠償請求

    • 被告大蔵映画らが公開直前で中止を決定した結果、X1が映画監督として「公開されることを期待していた権利」が侵害された、という主張。

  5. 映画データの廃棄による人格権侵害

    • 完成作品や撮影素材などの映像データ(本件データ等)を被告大蔵映画らが廃棄したことがX1の人格権を侵害する、という主張。

  6. 映画著作権の帰属に関する確認請求

    • X1は、本件映画の著作権譲渡契約を解除したと主張し、「本件映画の著作権がX1に帰属すること」を確認するよう求めた。

2.争点

上記の原告らの主張に対し、被告らは以下のような観点から防御を展開しました。

  1. 名誉毀損の成否

    • 「昭和天皇をモデルにしたピンク映画」「不敬映画」などの表現は、あくまで映画(作品)に対する評価・批評・意見であり、監督・脚本家個人の社会的評価を低下させるものではない、あるいは公共性や公益目的が認められ、真実性(または真実相当性)や意見論評の適法要件を充足するので違法性がない等。

  2. 著作者人格権(公表権)侵害の成否

    • 映画が試写会で一度上映されているのだから、脚本も同時に「公表された」とみなせるのではないか。

    • 加えて、記事での引用は「報道の範囲内で適法」とする主張もなされていた。

  3. 公開中止(期待権侵害)の成否

    • 著作権者は映画会社であり、公開を決定するか否かは専権事項であり、X1の「公開されることへの期待」は法律上保護される権利ないし利益ではない。

  4. 映画データの廃棄による人格権侵害の成否

    • 著作権を買い取った映画会社が、自社の判断で廃棄した場合、監督らが主張する「人格権」が法的に認められるかどうか。

  5. 映画著作権の帰属

    • 上記公開中止や説明不足を理由にX1側が「譲渡契約を解除」と主張しているが、その法的根拠はあるかどうか。

3.裁判所の判断

本件の原審(東京地裁)は、名誉毀損の大半については違法性が認められないとし、一方で脚本の公表権侵害のみを肯定して、X1とX2に各33万円(慰謝料30万円+弁護士費用3万円)の支払いを認める形となりました。これを不服として、原告側(X1・X2)が控訴したほか、被告新潮社側も附帯控訴しましたが、知財高裁も令和5年2月7日の判決で、原審の結論を維持し、いずれも棄却となっています。

(1) 名誉毀損について

裁判所は、本件記事の内容を「一般読者の普通の注意と読み方を基準」として全体的に判断し、以下のように整理しました。

  1. 「昭和天皇をモデルとしたピンク映画」であるという事実摘示そのもの
    → 単に映画の客観的な内容を紹介するにとどまる。これ自体が監督や脚本家の社会的評価を直ちに低下させるものではない。

  2. 「不敬映画」「社会的に許されない映画」との表現
    → 不敬描写として批判的に取り上げる意見・論評であるが、映画自体の評価に関する論評の域を出るものではない。表現者が名誉毀損で訴えられる場合の判例法理(公共性・公益目的、意見論評の相当性、真実相当性など)に照らし、映画公開直前に上映中止されるという異例の事態は公共の利害に関わる問題であり、本件記事は公益を図る目的があったと認められる。また、「昭和天皇をモデルにしたピンク映画」である点は概ね真実といえ、映画監督個人への人身攻撃に及ぶほどの表現態様とはいえない。
    よって違法性を欠く。

  3. 「X1が謝罪をした」などの記述
    → 実際に「社長からこう聞いた話」と紹介しているにとどまるもので、X1個人を悪質な監督と断定するような記載ではない。さらに、取材時の関係者のコメント等を踏まえれば真実相当性があるうえ、人身攻撃には至らない。

結論として、名誉毀損は成立しないと判断され、原告らが主張した謝罪広告の掲載請求も退けられました。

(2) 脚本の公表権侵害について

最も注目されるのは、脚本(原著作物)と映画(翻案物)の関係をめぐる判断です。

被告Y1は「試写会で映画を上映している以上、同時に脚本も公表されたはずだから、週刊誌で引用しても問題ない」と主張しました。しかし、裁判所は著作権法2条7項等の規定を参照しつつ、「脚本は映画の『翻案前の原著作物』であり、映画の上映だけで脚本それ自体が公表されたとはいえない」としました。

著作権法4条3項は「翻訳物」の公表と原著作物の公表を同一視するが、翻案物(映画)まで含めて一律に同視するのは相当でない。また、試写会は公開前の映倫審査や社内チェック等を兼ねたものであり、「少数かつ特定の者(会社の社員、関係者など)に向けただけ」にとどまるから、公衆への提示とは認められない。
よって、本件脚本は未公表の著作物だったところ、これを許諾なく引用して週刊誌に掲載した行為は、著作者人格権(公表権)を侵害すると結論づけました。

裁判所は、被告Y1が「報道目的の引用だから適法」と反論しても、著作者人格権は著作権法50条によって制限規定の対象外とされる(いわゆる「引用の成立」として正当化されない)と判示しています。

そして、その慰謝料として各30万円+弁護士費用3万円の合計33万円がX1・X2それぞれに認められました。

(3) 期待権侵害とデータ廃棄に関する主張

X1が、本件映画の公開が中止されたことで「公開されることを期待していた権利」を侵害されたと主張した点については、「期待権」は法的に保護される権利ないし利益とは評価しにくい、と判断されました。映画の上映権は原則として著作権者が専有するものであり、本件映画の著作権は(買い取った)被告Y3映画側に渡っていた以上、X1は事実上の期待しか持ちえなかった、というのが裁判所の見解です。

また、映画に関するデータを被告Y2映画らが廃棄したことについても、「著作権は譲渡済み」かつ「映像会社が素材を保管するかどうかは所有権や事業判断の問題」とされ、X1の人格権や作者としての権利は及ばないとして、請求は棄却されました。

4.考察・留意点

本件判決は、脚本と映画(翻案物)の公表関係について踏み込んだ判断を示した点が注目されます。

  1. 翻案物が公表されても、原著作物まで当然に公表されたとはいえない
    著作権法4条3項が翻訳物については「原著作物が公表された」とみなす旨を定める一方で、本件のように「映画」という翻案物に関しては一律に原著作物の公表と扱わないことを明確に判示しました。
    特に、試写会や社内審査など「参加者が極めて限定的」な上映は、そもそも公衆への提示とは認められず、公表には当たらないという事実認定もポイントです。

  2. 公表権侵害と著作権法上の制限規定の関係
    「報道目的での引用」による著作権の制限(著作権法41条や32条等)があっても、著作者人格権には直接適用されない(同法50条)という解釈が改めて示されました。結果として、記事での無断引用は違法と判断され、被告側は一定額の賠償を命じられています。

  3. 名誉毀損に関する判断枠組み

    • 裁判所は、「不敬映画」との表現が映画制作者の社会的評価を低下させるかを丁寧に検討し、映画への批判や論評であっても、人身攻撃にまで及ぶレベルではない限り、名誉毀損は成立しにくいとの立場を示しています。

    • また、本件では「公開が直前に中止」という出来事が公共性・公益性のあるテーマだとされました。映画に限らず、社会的に影響のある出版・上映などの中止が起こった場合には報道価値が高いとみなされる点は、本判決に限らず従来の判例実務とも整合するところです。

  4. 映画監督の「期待権」・「人格権」との関係
    制作した映画を上映してもらうことへの期待は、事実上存在するものの、著作権を譲渡した以上は法的に保護される権利とまではいえない、と判断されました。映画の公開・非公開や廃棄は、著作財産権や所有権を有する主体が最終的に決定するため、原作者・監督個人の意向のみで左右されるわけではありません。

5.まとめ

本件判決は、「映画の監督・脚本家と映画会社の関係」や、「著作者人格権(公表権)と著作権(財産権)との区別」など、多岐にわたる重要論点を整理するうえで興味深い事案です。とりわけ、翻案物である映画が試写会で上映されただけでは、原著作物である脚本が公表されたことにはならないという指摘は、実務上も大きな示唆を与えます。

名誉毀損については、表現内容が監督・脚本家個人を「直接・具体的に攻撃する」レベルに至らなかったことや、取材経緯の真実相当性、社会的関心事としての公益性が認められた点などから、違法性が否定されています。

一方で、本件脚本の「一部無断引用」行為には、著作者人格権侵害が認められました。著作者人格権(公表権)は、著作権法の「著作権の制限規定」とは別個に保護されるため、引用であっても公表権を害する場合があることに改めて注意を要します。

映画や書籍のように複数の権利者・関連者が絡む場合、また試写会や上映イベントが限られた範囲で行われる場合など、著作物の「公衆への提示」の該当性をどう考えるかは慎重に検討されるべき問題です。本件判決は、その点について一つの裁判例上の指針を示したものといえるでしょう。

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