日中関係史ーー1500年の交流から読むアジアの未来(エズラ・ヴォーゲル)
日中関係史ーー1500年の交流から読むアジアの未来
エズラ・ヴォーゲル 著
益尾知佐子 訳
日本経済新聞出版2019
「中国を読む」と題した連載の最初にこの本を持ってきたのは、ぼくが2010年に留学のために来日してから抱き続けている疑問が根底にあるからだ。
来日当初はなにも考えずに勉強に没頭していたが、とある日、学生に占拠された本郷の定食屋で昼食をとっていると、西洋人の紳士と相席になった。日本語が読めないその紳士は「カジキのてりやき」を指差し、これは何だとぼくに訊ねた。「ソード・フィッシュです」と答えると、紳士は驚いた表情で「ワンダフル!」と感嘆し、その料理を注文しうまそうに平らげ、そしてぼくの食べるカキフライをよだれを飲み込みながら見つめ、話しかけてきた。
「君は東大の学生?」
「ええ、そうです」
「学部は?」
「総合文化研究科です」
「そうか、私は薬学部の教員なんだ。残念だな」
なにが残念なのか。ぼくも薬学部だったら教員の権威を振りかざしカキフライよこせとでも言うつもりだったのだろうか。警戒しながら最後のカキフライを口の中に放り込んだが、紳士は気にする様子もなく、さらに続けた。
「君は日本人じゃないよね?英語の発音が日本人と違う」
「はい、中国人です」
「そうかそうか。東大で何を研究してるんだい?」
「中国哲学です」
「それはそれは、中国人なのに外国で中国哲学を研究するんだね。興味深い」
それは予想できる感想だった。目の前の薬学の専門家を捕まえて失礼な物言いになるが、文系学問の門外漢はとかく国名や地域名にこだわりがちだ。しかも中国哲学となると、むしろ日本で研究したほうがより豊かなリソースにアクセスできる可能性が高い。そこで前半の感想を飲み込み、後半の考えだけを伝えると、相手は納得したようにうなずき、先輩風をビュンビュン吹かせながら質問を投げかけた。
「それでも、自分のルーツを離れて、そのルーツの文化なり哲学なりを研究するのはどういう意味を持つのか、考えておくべきだね。」
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あの会話から10年以上が経った。今ならもっとたくさんのことを答えられるが、まだまだこれという答えを導き出せていない。それでも一つだけ確かなのは、ぼくは日本という場所から中国を眺めているのであり、日本にいるすべての人間が国籍問わずその状態にあるということだ。中国に親近感を持つにせよ嫌悪感を持つにせよ、はたまた無関心にせよ、日本において中国に関する情報に触れるということは、何よりも「日本から中国を眺める」ことが前提となる。その先が「日本から中国を批判する」、「中国に反論する」、「中国を分析する」などなど、どのような行動につながるにしても、日本という立脚点があることは変わらないし、変えることができない。となれば、ぼくがやろうとしている「中国を読む」ことも、まず日本と中国とのつながりを強調しておき、その後の読書や各種記事はすべてこれを前提にすることを明確にしておきたい。そこで、新しく出た日中関係史の本のなかで、十分に信頼できるエズラ・ヴォーゲルを持ってきたわけだ。
ただ、両国につながりはあまりにも長く深い。たとえ『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書き、『鄧小平 現代中国の父』を書いたほどの碩学であるエズラ・ヴォーゲルを持ってしても、1500年間もの歴史を一冊の本だけで描ききるのは不可能である。この本は日中両国の関係のなかでも政治・経済を中心に描いており、思想、宗教、文学、美術はほんの触り程度しか登場しない。それは当然の選択だが、日中両国のつながりを深さ、強さを示すのには、不十分と言わざるを得ない。
だが、エズラ・ヴォーゲルがそのことに気が付かないはずがない。それなら、なぜこのような書き方をしたのだろうか。訳者あとがきによれば、著者はもともと生涯の最後に吉田茂について書くつもりでいて、日中関係の本を執筆する予定はなかった。彼の思いを変えたのは、2012年に尖閣諸島=釣魚島(注:この表記は本書に依拠した)で起きた漁船衝突事件によって両国の関係が急速に悪化したことだった。著者曰く、「私は自分自身を、日本と中国双方の味方だと思っている…どちらとも親しい第三者として、両国関係をなんとかした」かったのである。
その思いのもとで書かれた本書は、より多くの人に読んでもらえるよう、一般向けに平易に書かれている。本文の説明は歴史的事件のあらましを簡単に記すのみで、突飛な歴史理解や新事実の発見はなく、口調も至って明瞭だ。学術書ならではの注釈はあるが、その量は本の厚さと扱う史料の多さからすればほんのわずかであり、読まなくてもさして問題ない。そして、登場する人物と事件はどれも学校の授業で一度は聞いたことのあるものばかりで、重大な事件の記述では大河ドラマを思わせる筆力で登場人物を生き生きと蘇らせ、一度読みだしたら止まらないほどである。たしかに、誰でも難なく、しかも楽しく読めるだろう。
だが、「読みやすい日中関係史」だけでは、著者の思いをすべてを伝えることができない。実は、「関係史」というのは本書の日本語タイトルであり、原書は「China and Japan : Facing History」だった。原書のサブタイトルこそが、著者の思いの一言で言い表している。「歴史を直視せよ」である。
「歴史を直視」は、中国が歴史問題において日本を批判するときに使う常套句である。おそらくそうしたイメージを読者に持たせないため、日本語版では全く違う意味のサブタイトルに変更されたのだろう。しかし、ヴォーゲルの本意が中国政府の政治的レトリックと異なることは、本書を数ページ読めばわかる。彼は中国と日本両方の味方である。どちらか一方の肩を持つのではなく、両国の読者それぞれに1500年の歴史を直視してほしいという意味で使っているのである。
なかでも、ヴォーゲルが特に直視してほしいのは、遣隋使・遣唐使があった600年〜838年、日清戦争後から日中戦争の全面勃発までの1895年〜1937年、日中国交正常化から鄧小平逝去までの1972年〜1992年である。その理由は、これらが「どちらか一方の国が、もう一方の国から積極的に学ぼうとした」時期だったからだ。
もちろん、そうした時期がすべて良好な関係だったというわけではない。遣隋使・遣隋使の時期では、そもそも国同士の関係といえるかどうかも疑わしい。日中国交正常化後は一時期蜜月期があったが、それでも尖閣諸島=釣魚島はその頃から問題として上がるようになった。日清戦争から日中戦争までに至ってはもはや言うに及ばない。それでも、どんなに暗澹たる時期があったとしても、両国は関係を保ち続け、互いに学び続け、相手国が生み出した知の結晶を貪欲に吸収・消化し、そうして複雑怪奇な国際情勢のなかでなんとか生き延びてきたのである。
そうであるがゆえに、この本を読む私達は、今の関係が深刻であればであるほど、日中両国があまりに多くの面で互いに溶け合っていることを忘れてはならない。逆に関係が良好ならば、些細なきっかけで奈落の底に落ちるリスクを常に孕むことを意識しておかなければならない。冷静に考えてみれば、こんなのは至極当然かもしれないが、日中関係を考える時の当事者は、どうしても冷静になれないものである。だから、第三者がかくも冷静沈着なバランス感覚に優れた本を提供してくれたことが、私達にとっては至上の幸運だ。