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「中国を読む」解題

ぼくからすれば、日本のテレビ(とりわけワイドショー)やウェブメディアに登場する中国評論家は、ほぼ全員無価値であるーー

さすがに言い過ぎた感があるので、少し修正すると、「日本人に中国のステレオタイプを植え付ける面では大いに有意義であって、それ以外は無価値である」とさせていただきたい。

なぜこういうのか。それは、いずれもジャーナリストと自任する面々が、目を覆いたくなるほど何も取材しておらず、また取材としても知り合いの数人に話を聞いただけで、それをあたかも中国人全員がそうであるかのように、「中国とは」「中国人とは」とまくしたてるからである。なかには中国のネット記事や書き込みを翻訳し継ぎ接ぎしただけに記事に仕立て上げる人さえいる。全く、そんなことでは、AIに仕事を奪われちまうぞ。

中国人からすれば猫にかきむしられた障子よりも穴だらけな彼らが、いつまでも日本のメディアに登場し続けているのは、彼ら自身の責任ではない。彼らの言葉や見解がいかにあやふやで信用できないのかを全く見抜けない視聴者、彼らの素性を知りながら、使い勝手がいいから、こちらが期待したストーリーで話をしてくれるからという理由で起用し続ける番組の製作者やメディアの編集者の方こそ、責められるべきだ。

この状況を歯がゆく思うぼくだが、残念ながらそれを変える力と影響力はない。しかし、微力ながら、自分の声を上げていきたいと思う。その声は中国を擁護したり非難したりするものではなく、至極簡単そして至極当然な下記の一言である。

「本を読んでください」

日本には、古代より数え切れない中国研究者や研究書があり、文学者も膨大な量の中国をめぐる作品を残している。また中国人が書いたものでも、たとえば魯迅のように、日本語の全集が刊行されているものが複数ある。中国を知りたければ、こうしたものを読めばいいのだ。「いや、私が知りたいのは今の中国だ」という意見に対しては、「今の中国と昔の中国は本質的にそんなに大きく変わっていない。少なくとも、魯迅が100年前に指摘したことの大半は、今もそのまま適用できる」と答えておこう。

だからぼくの言う「中国を読む」とは、「中国に関する書籍を読む」という意味である。このテーマのもとで、個人的に価値があると考える本を毎回1冊選び、時には個人的なエピソードも交えて紹介していくつもりだ。取り上げる本は学術書、一般書、小説、随筆など多岐にわたるだろう。また、中国人が書いたものの場合、必ず日本語訳があるものを取り上げる。興味を持ってくれた方が、すぐに購入または図書館で借りられるようにするためである。

書籍以外では、昨日書いた記事のように、中国で起きた出来事でどうしても言いたいことがある時にうっぷんを晴らす感覚でなにかを書くこともあるだろう。その場合のぼくの意見は、日本の中国評論家同様、無意味なものだと考えて差し支えない。

いつまで続くかわからないが、記念すべき第一回の本はもう決まっている。エズラ・ヴォーゲルの『日中関係史ーー1500年の交流から読むアジアの未来』だ。

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