好きが止まらない13号 この日傘
祖父の隔世遺伝か、もともと色黒。しかも学生時代から遠慮なくガンガン日焼けをし、この年齢で「いきなり、紫外線アウトと言われても…。」状態。
白い日傘が似合うキャラでもなく。ましてや、あちらこちらに色んなものをマーキングする習性の持ち主。雨傘ですらハードルが高いのに、日傘は出先で放置する可能性が高い……という訳で、ずっと持っていませんでした。
ただし、これは別格。夫の祖母の形見でもある日傘。
これを買いに行った日のことを、よく覚えています。
「おばあちゃんに大きな病気があるかもしれない…大学病院でみてもらう方が良いから、かかりつけの病院に紹介状をもらいに行くので、一緒に行って欲しい。」と義妹から連絡が入ったのが4月のGW直前。
その前年の11月に、私達は転勤のため転居し、祖母の家から車で1時間程度のところに住み始めていました。生活も落ち着き、これからやっと気軽に行き来ができると喜んだところでした。その前の月には、夫と祖母2人でデートに出かけ、串カツを17本食べ、瓶ビールを2本あけるぐらい元気だったので、ビックリしました。
そして、そのかかりつけ医から紹介状をもらいに行った帰り道、少し離れた夫の実家に向かう前に、買い物をしようという話になり、祖母と夫・義妹・私の4人でデパートに寄りました。そこで、祖母が「これから暑くなるから、日傘と首に巻くものが欲しい」と言い、選んだのがこの日傘です。
真っ白は顔が暗く見えるから似合わない・派手や可愛いのは恥ずかしい・紫が好きだ…祖母のコメントを聞きながら、義妹と私で、傘を開いたり、閉じたり…「これは、どう?」と聞いても、「う~ん…」との声。
こうなったら、祖母が気に入ったものをと、女3人で探し粘ること数十分。傘を開いた瞬間、「これだね!」と全員で言ったのが、この日傘でした。
淡い青紫と銀と薄茶の糸で施された花刺繍。柔らかなアイボリーカラー。柄の材質が木で、折り畳み傘でないところも、祖母のお気に入り。
その後、スカーフ売り場で、この日傘にあうストールを3人で再びあれやこれや言いながら探しました。そして、その日、薄紫色のスカーフとこの日傘を祖母は買ったのでした。
夫の実家で義母にみせながら「良い色あったわ~。」と祖母は嬉しそうに言い、ストールを首にまいたり、日傘を開け閉めしていた姿を覚えています。
ただ、その日が、祖母とデパートに行った最後の日になりました。そして、吟味して選んだ日傘もストールも外で使われることはありませんでした。
翌月、いくつかの検査後、大きな病気であることが分かり、しかも、かなり進行しているとのこと。80歳を越えた身体で、苦しい治療をしたところで、治る見込みが非常に低いとのこと。大学病院で、一連の検査結果を一緒に聞き、ドクターに「どうされますか?」と尋ねられ、祖母が自分で「ホスピスに入院します。」と言った時のことは忘れられません。
祖母は夫の祖母です。「そんなに子ども好きではない」との御本人の宣言通り、確かに、無茶苦茶子ども好きだったかというとそうではありませんでした。ただ、夫の大大大ファンではありました。最初に会った時に、「私、この人(=夫)に何かしたら、きっとこのおばあちゃんに恨み殺される…絶対大事にしよう…。」と決心するぐらいの愛情の深さでした。夫の大ファンではありましたが、妻になった私は意地悪をされることは一切なく、むしろ私のことも本当の孫のようにとても可愛がってくれました。
きっぷが良く、言いたいことは遠慮なく言い、そのくせ、非常に心配症で気にしぃで恥ずかしがり屋な面もありました。私達が家に遊びに行くと言うと、1枚5000円の牛肉を人数分用意し、みんなと同じように喋り、飲み、孫と鉄板の上でモヤシによって隠された肉の取り合いをし…大笑いした後には「おばあちゃんはもういっぱい食べたから、あんた達で分けて食べ。」と言い、自分のお肉をみんなが分けられるように密かに半分残しているような人でした。
祖母はその年の7月1日にホスピスに入院し、1か月後に旅立ちました。 暑い暑い夏の早朝のことでした。そばには前日から泊まっていた孫である夫がいました。
その当時、義父母の体調があまり良くない時期だったため、葬儀関連は夫が、家の片付けなど諸々のことをは義妹が中心になり、とり行いました。私も「このために、この時期にこの地に転居することになっていたのかな。」と不思議な縁を感じながら祖母宅に通い、一緒に過ごしていました。
そして四十九日の法要も済み、諸々の片付けもひと段落した9月のお彼岸の時、「これ、持っておいて。」と義妹から手渡されたのが、この日傘です。買ってから、まだ一度も外で使われることがなかったこの日傘。
「一緒に選んだから。持っといてもらえるとおばあちゃんも喜ぶと思う。」と義妹から言われた時、『あぁ、これがおばあちゃんの形見になったんだ…』とまざまざと思いました。寂しい・会いたい気持ちもあれど、これで一つの区切りがきたのだとボンヤリと傘を眺めたことを覚えています。
それから、9年。この日傘は日常でガンガン使うことはできません。でも、必ず玄関には置いています。年に数回、ここぞという時に出してみては、「陽射しからも、色んなことからも守ってね。」と思いながらさすことにしています。
そして、お彼岸になると、秋の少し柔らかくなった陽射しにこの日傘をかざし、夫の大大大ファンであった祖母にしばし想いを馳せるようになりました。