【ネタバレあり】なぜ救ってはいけないのか?
松山ケンイチ×長澤まさみ共演の映画『ロストケア』を見ての感想です。今回は劇中で印象に残った言葉から感想を書きます。
ストーリーはコチラをご覧ください。
「私は人を殺したのでない、救ったのだ」
斯波(松山ケンイチ)は「42人を救った」と主張します。最初は異常者の言葉に聞こえますが、ストーリーが進み斯波の背景を知ると、「本当に殺すことは悪なのか?」わからなくなってきます。
劇中に何回か出てくるマタイによる福音書の一節「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」がさらに「本当の正義とは何なのか?」と問いかけてきます。斯波は相手が望んでいることをしているだけなのです。
戦争では多くを殺した人が英雄になります。斯波の行為は、これと何ら変わりがないのではないでしょうか?ただ法律で決められているから「人殺しは犯罪」と言いきれない、そんな感情を映画を抱きました。
「あなたみたいに安全地帯からキレイごとを吐く人間が、穴の底を這う人を苦しめる」
斯波が検事の大友(長澤まさみ)に言う言葉です。
重すぎます…。自分は親の介護を経験したことがありません。その壮絶な環境も、生き地獄も映像の中でしか見たことがありません。まさに斯波の言う「安全地帯からキレイごとを吐く人間」だと落ち込みました。
そんな自分は介護やシニアの孤独について何も言う権利はないのでしょうか?経験していない以上、何を言っても「キレイごと」でしかないのが辛いです。
では、何もしなくても良いかというと、それはまた違います。
何かを発言するときに、まず相手を理解するように努める…これか私の映画からの学びです。知らないってことは怖いです。だから、知る努力をしていきたいと思います。
「おまえの顔を覚えいるうちに、殺してくれ」
泣きました。自分が同じように父親に言われたどうするだろうか。
認知症が怖いのは、自分を取り戻す時間があることです。果たして自分が認知症だったら、自分の行動に耐えられるだろうか…。
私も死にたいと思ったことはありますが、「神様がもう良いというまで、死んではいけない」と言う漫画の言葉で救われました。でも、愛する人から「殺してくれ」と頼まれたら、自分は何と言うだろうか…。その時もキレイごとを吐く人間なのだろうか…。
自分はとても、その言葉に耐えるほど強い人間ではないと思います。
じゃぁ、殺すの? …その時になってみないとわからないと言うのが、今の答えです。
「死が救い」ではなく、「ケアが救い」の世界へ
暗いことばかりを書いてしまったので、最後は少し明るい感想も。
私も参加しているコミュニティ、KaigoLeadersの秋元可愛さんのインタビュー記事です。介護は救いになるといいですね。
そして、私はいま、介護美容のコミュニティにも参加しています。介護美容によっても、「死が救い」ではない世界を創れると信じています✨
そして私のプロシニアの活動も、本当に微力ですが「穴の底を這う人」にまで届くように頑張ります。