絆創膏を貼れない私たち
少し前、私の両親が、うちに遊びに来てくれた。
実家から私の家までは、車で2時間ほどの距離。
同じ県内ながら、市街で暮らす両親は、
山と川に囲まれた私たちの家に、ちょくちょく遊びに来てくれる。
今回来てくれた目的は、私の不用品の引き取りだ。
シックハウスで汚染された服などを、ずっと家の中に置いていたが
袋に入れて密封していてもにおいを放つので、
思い切って処分することにしたのだ。
とはいえ、車に乗せて捨てに行くことは、車内でにおいを吸い過ぎることになるし、車ににおいがつくことにもなるので私にはできない。
ということで、両親にその役をお願いすることにしたのである。
久しぶりに会う両親は元気で、道の駅に寄り道しつつドライブを楽しんできたからか、生き生きしていてこちらも嬉しい気分になる。
こうやって直接会うのはいつぶりだろう。
電話ではときどき話をするが、対面で会えるのはまた違う。
最近はずっと、夫以外の人と対面で会うことができずにいたので
大好きな両親に会えるイベントは、短い時間だとしてもとても楽しみだった。
ただし、両親は、洗剤などをいまは使っていないが、これまでの蓄積などでにおいがするので、ある程度離れてでないと、話すことができない。
だから、ぎゅっと抱き着きたい気持ちを抑えるのが大変だった。
いつかまた、前みたいに、ぎゅっと抱きしめてもらえる日がくるといいな。
そんな希望を、ひとり、ひっそりと胸に抱いていた。
さて、両親が到着し、荷物を車に運び込んでから、畑をみてもらったり、近くの山の紅葉の話なんかをしたり、距離を保ちつつではあるが、いろいろな話をした。
私は日々、ストレスフルな生活をしていて、
その日もいつものごとく悲しい出来事があったので、いつものごとく、母親に愚痴をこぼしてみた。
「絆創膏がさ、使えないんだよね。
連日の手洗い洗濯で手が荒れて、指先がひび割れて切れちゃって。
人差し指でよく使うところだし、水を使うたびに沁みて痛いからさ、絆創膏で保護したかったんだけど。
薬局で買ったものだから、洗剤柔軟剤もろもろのにおいが付いちゃってて、くさくて。
でも痛いから、仕方なくつけてたんだけど、
さっきお昼にね、パンを食べたんだけど、
そのときに、指先が毎回口に近付くじゃん。
それでにおいをいっぱい吸っちゃったらしくて、
いま、喉が痛いんだよね。頭も痛い。
それでいまは外したんだけど、やっぱり手を洗うたびに痛くて。
たかが絆創膏を、私は貼ることもできないんだな~って、悲しくなったよ。」
そしたら母が、
「わかるよ。」と。
母は、1年半ほど前に病気で倒れて、2か月ほど入院生活を送っていた。
いまでこそ、生き生きと楽しそうに暮らしていてホッとしているが、
当時は本当に辛そうで、すごく心配だった。
それでも、いまでも半身麻痺が残っていて、
リハビリの成果ですこしずつ動かせるようになっているみたいだが、
今までのように、思うようには動かせないことが、かなりストレスだろうなと思う。
そんな母が、
「私も絆創膏が貼れない。」と。
「絆創膏の包装紙を開けて、フィルムを剥がして、指に貼る、という動作は、普通の人からしたら一瞬でできることだろうけど、右手が思うように動かせないから、そんな簡単な動作が、難しいんだよね。」と言う。
母と私。
それぞれ理由は異なるけれど、
ふたりとも、絆創膏を貼ることができない。
そうか。
世の中には、絆創膏を貼れない人が、ほかにもきっといるんだろうな。
私には想像もつかないような理由で、絆創膏が貼れなくて苦しんでいる、そんな人が、きっとこの世界にはたくさんいる。
絆創膏が貼れない私たち。
そんな私たちには、できないことがたくさんあると、かわいそうだと、思われるのかもしれない。
だけど。
絆創膏が貼れない私たちにしか、見えない景色もあるのだと思う。
母には母にしかわからないつらさがあり、
私は、それを完全に理解することはできない。
それはきっと逆も然り。
でも、世界には、絆創膏を貼れない私たちみたいな人がいる、
という事実を母と共有できたことが、
これからの私を支えてくれるんじゃないかな、と思った。