なぜ自分が技術力にこだわっていたのかがわかった話
新卒で SIer に就職してエンジニアとなってから数年間、ずっと「技術力の高いエンジニア」を目指して頑張っていた。プロジェクトマネージャなどの職種にはいっさい憧れることもなく、技術特化のスペシャリスト的なエンジニアになりたいとずっと思っていた。
キャリア相談や転職時の面接にもいつもそんなことを明言していたし、実際に技術力を高めようとずっと精進したし、自分で言うのもアレだがそれなりの技術力のエンジニアになったと思う。
自分はなぜ技術にそこまでこだわるのか、自分でもよくわからなかった。なぜ技術力を高めることが大事なのかがわかっていないのに、技術ばかりを追い求める姿勢は、それはそれで自分自身でもとても不思議な感覚だった。しかし本能的に「そうなりたい」という想いをはっきりと持っていたし、それは数年間の行動にも実際にあらわれていたのだ。
エンジニアとしての技術力というのは「スキル」という言葉そのものであり、ある意味「実力」と限りなく近いものである。だから「技術力がすごいエンジニア」=「すごいエンジニア」として、高い技術力を身につけることによって慕われたり尊敬されたいという承認欲求が全くなかったというと嘘になる。しかし上昇志向の強い人が皆そうであったわけではなく、むしろ僕のようなスペシャリスト志向の人間は SIer では少数派だった。今でこそ日本のソフトウェアエンジニア界隈では、エンジニアの職人性のようなものが広く認知されて、スペシャリストとしてのキャリアパスも多くなってはきている(US のビッグテックなどでは、20年以上も前からそのようなパスは存在していたらしい)が、当時僕の在籍していた SIer なんかでは「プロジェクトマネージャこそ王道のキャリアパス」といった雰囲気があった。
SIer を含めて、多くの IT 企業・ソフトウェア開発企業などでは、一人のエンジニアではできな規模の開発のためにチーム開発を行う。チームで開発する場合には「メンバーのエンジニアの技術力」だけではなく様々な能力が必要とされる。チームをまとめるためのマネジメント能力はその中でも特別大事だし、メンバーそれぞれのコミュニケーション能力も非常に大切になる。「ある一人のエンジニアの傑出した技術力」は、そのメンバーに依存してしまうことによる組織としての継続性のリスクから(その人に辞められたら大変という意味で)、なるべくそこには頼りたくないという考え方すらあったと思う。
そんな中でも僕はかたくなに「スペシャリストを目指したい」「技術をきわめていきたい」と主張していた。技術自体がおもしろい、つまり、技術のことを勉強したりいろいろ試したり実験したり作ってみたりすること自体がおもしろくて好きだったのももちろんあったが、明らかにそれだけではなく、「技術力を高めなければ」という魂の叫びのようなものを常に感じていた。
しかしいつ頃だったか、おそらく 30 歳を過ぎてしばらく経ったあたりにふと、自分が以前のように技術力に執着していないことに気づいた。「技術を高めなければ」「精進せねば」という自分の中の声はいつのまにか消え、若かりし日々の技術への執念がなくなっていることには、自分でも驚いた。そして気づいた。
もう自分は作りたいと思ったものは大体作れるようになっている、ということに。虚勢でも大げさでもブラフでもなく、どんなことなら技術的に実現可能で、どんなことなら不可能なのかが、自分だけでもほぼ判断できるであろうことに。(もちろん、なんでもできる技術力があるというわけではなくて、自分が取り組んだことのない技術はたくさんあるけれど、どうすれば必要な技術を自分で身につけられるかは考えられるし、少なくとも半年から 1 年くらいあればそれなりのことはできるようになるだろうという感じ)
そしてその時に、自分が技術を追い求めていたのはなぜだったのかが突如明白になった。
僕は、「あるものを作りたいけど自分の技術では作れそうにないかも」という理由でやりたい創作を諦めることが、どうしても嫌だったのだ。
自分が本当にやりたいことは、「自分の作りたいものを作りたいように作る」ということであって、作りたいものを自由に作るためにはどうしても技術力が必要だから、そのためには高い技術を身につけなければいけない、ということを直感的に把握していたのだ。
これは本当に自分でもおもしろくて、頭では理解できない、理性としては気づくことがなかったものが、直感というか感性のようなものはいちはやく勝手に気づいてくれていて、そのように導いてくれていた、というような、不思議で興味深い経験だ。
そしてこれはまた、自分のそれまでの人生での経験(主に楽器の経験)がそのような考え方を勝手に植え付けていたのはほぼ間違いないと思う(これはまた別の記事として書いてみたい)。
高度な技術力こそが、自由な創作、自由な自己表現を支える大事な武器になることを、僕は経験として知っていたのだ。
20代の若かりし自分が、特に理由もわからずちょっと釈然としない魂の叫び声を聞き入れてがむしゃらに技術を追い求め、今のエンジニアの自分を築いてくれたことはとても誇りに思うし、そんな過去の自分には深く感謝したい。
おかげで今の自分は、好きな創作を思う存分できるだけの技術力がなんとか身についていると思う。
しかし一方、過去の自分はやっぱりまだまだ若かったとも思う。なぜなら、当時の自分は「自分の作りたいものを思いっきり自由に開発できる」状況をさまたげるものは、技術力の不足だけではなく、周囲の環境や人生のフェーズなど、他にもいろいろあることは想像すらしていなかったのだ。
そして、そんな風に自由に思いっきり開発ができなくても、家族がいる、子どもがいることはこんなにも幸せであるということも、当時の僕は微塵も想像できていなかった。
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