天才は天災
前回「天才と運」をテーマに記事を書きました。天才とは、努力を努力とも思わず、あたりまえに続けることができること。そして最後には、こう添えました。うちの息子にはできれば、天才に出会ってほしくない、と。今回のテーマは、自分がそこまで言い切ってしまう理由、天才は天災だからです。
天才は嵐とともにやってくる
皆さんには、こんな経験がないでしょうか?会社のトップの来訪や会議によって、突然の指示が出されて、予定がくるってしまったこと。簡単に言えば、天才との出会いは、これが人生規模で起きるということです。
私のイメージでは、天才は嵐とともにやってくる感じ。流れる雲や光る稲妻は、遠くから見ると美しいけれど、近くに寄ってきたら大変。否応なしにひとを巻き込み、去っていきます。だから、出会い方をまちがえるとえらいことに。圧倒的な力の差にひどい挫折をして無力感に打ちひしがれたり、逆に魅入られて、人生を捧げてしまったりします。
しかも、たちが悪いのは、本人に悪気はなくて、ただひたすらにうちこんでいるだけ。さらに、その天才のきらめきがあまりに見事なので、そういった被害(あえてそういいます)が全部美談になってしまうことです。
その瞬間に立ち会えることの、えも言われぬよろこび
うーん、ここまであけすけに書いてしまうと、まるで天才を嫌っているみたいに思えますが、まったくちがいます。
自分はこれまで、さまざまな才能を持った方と仕事をしてきました。深くかかわりすぎて、正直しんどかったことの方が多いです。でも彼らの才能と業を、むしろ愛おしく思っています。それは、その創り出す作品を目前にすると、すべての労苦が吹き飛ぶ瞬間があるから。これは嵐に近づけば近づくほど得られる、えも言われぬ喜びです。
ぶっちゃけ、巻き込まれるのはご免です。でも、そこに踏み込まないと見ることができない景色がある。それを存在を知ってしまうと、もう戻れない。きっと、私が天才をテーマについて考えてしまう理由は、そのせいかもしれません。文章を書いていて、ふと気づきました。
天才 中村勘三郎
ここで自分が歌舞伎の世界にいたときに、ほんの少しふれただけで心を持っていかれた、圧倒的な才能にふれたエピソードをひとつ。
それは、亡くなられた十八代目中村勘三郎さん。(エピソード当時は勘九郎さんでした)
といっても、ご一緒した機会は本当に少なくて、この話は歌舞伎座2003年8月、納涼歌舞伎のこと。その月の最後のお芝居は、「野田版鼠小僧」(野田秀樹さん演出の作品)。その幕開き、花道から駆け出す鼠小僧(勘三郎さん)と彼を追う捕手の先輩と自分の3人。開演を待つあいだのほんの10分足らずの時間、毎日お話をさせていただいていました。
師匠の「どんつく」の曲芸が決まって、思わず
話は前後しますが、この月、私の師匠 中村又五郎さんは「野田版鼠小僧」の前に、「神楽諷雲井曲毬(かぐらうたかもいのきょくまり)」通称「どんつく」という舞踊を踊っていました。これがなんとも難しい踊り。というのは、師匠が演じるのは大道芸人の役で、踊りの最中に鞠(まり)を使った曲芸を見せなくてはならないのです。又五郎さんもさすがに曲芸の部分には苦労なさって、失敗した鞠がコロコロ舞台を転がることも。それをひろい集めていたのが、後見(舞台で補助をする仕事)をつとめていた自分。この踊りに勘三郎さんも出演されていて、その様子をご覧になっていました。
そして時は千穐楽(最終日)、師匠が曲芸をパーフェクトに決めました!勘三郎さん、はじめ出演していた皆さんが、いつにも増してあたたかい拍手をくださいました。
勘三郎さんがかけてくれた言葉
そのあとの「野田版鼠小僧」の開演前。勘三郎さんが興奮した面持ちで、声をかけてくださいました。
よかったね、今日成功してねえ。俺たち皆手叩いてたろ。でもね、あれ、みっちゃん(又五郎さんのこと)だけに拍手してたんじゃないんだぜ。うまくいった時、お前さんうれしくて泣きそうになったろ?顔見たら、こっちまで泣きそうになっちまって。お前さんにも拍手したんだぜ。みっちゃん、いい弟子持ったよなって。
確かに、あまりにうれしくて舞台で感極まってはいたけど、見られてしまっていたとは。その言葉でまた涙をこらえる羽目に。
接する機会も少ないほかの家の弟子のこともちゃんと目を配って、しかも本気の言葉をかけてくださる、そんな方でした。
べらぼうにかっこよかった後ろ姿
あの月、勘三郎さんは一日中ずーっとお芝居したあとに「鼠小僧」を演じていました。始まると2時間はノンストップで駆けずり回る役。花道の出の寸前誰に言うでもなく、
さ、ジェットコースターの始まりだ!!
と叫んで、舞台に飛び出していく後ろ姿のべらぼうに格好のよかったことといったら。
天才にほどよい距離で近づいた、幸運な例
あれ、気がついたら天才LOVEって話になってませんか?天災部分が少ないような‥‥‥。ごめんなさい、これは天才にほどよい距離で近づいた例です。あくまでも結果的に、幸運にも。
その後、勘三郎さんとはほとんどご一緒することはなくなり、お話をさせていただく機会はありませんでした。その後の平成中村座や勘三郎襲名といった挑戦とその成果は、皆さんもご存じではないでしょうか。勘三郎さんという圧倒的な天才の周囲のひとたちは、いったいどんな景色を見ていたのでしょうか?繰り返しますが、それは踏み込んだひとにしかわかりません。でも、きっと同じくらいのしんどいことがあったはずです。
天才にはどこまで踏み込むのが、幸せなんでしょうか?ちょっとふれただけで、ここまで心に残ってしまう。関わりすぎるとトラウマになるのでは?
だから、息子には天才に出会って欲しくないのです。覚悟して臨まないと、人生が持っていかれちゃうから。でも無理ですね、勘三郎さんのように、天才には人たらしの才をもったひとも多いのです。会った瞬間に好きになっちゃったりするからな‥‥‥。
いやいや、前回同様、息子には天才に出会うことなく、ほどほどでいいので、楽しく努力し続けてほしい、親としてはあらためてそう願うのでした。