天才と一緒に遊ぶには?
前回、前々回と「天才」をテーマに記事を書きました。
天才とは、努力を努力とも思わず、あたりまえに続けることができること。そして最後には、こう添えました。うちの息子にはできれば、天才に出会ってほしくない、と。(「天才と運」)
そして、自分がそこまで言い切ってしまう理由について。天才は嵐のように周囲のひとを巻き込んで、かかわったひとの人生を狂わせてしまうからと。(「天才は天災」)
今回はそんな厄介な存在「天才」と一緒に遊びたい、そんな望みをもってしまったら、というお話です。
天才の遊びに入れてもらうには?
自分が歌舞伎の世界で修行していたときのこと。周囲には才能がゴロゴロキラキラで、まばゆいばかりでした。
存在そのものがプレッシャーのボス級(クラス)を筆頭に、伝統芸能の枠をこえて人々を惹きつける天才や、重力と拍子をあやつる踊りの名手、そして旬の華を咲かせるプリンス。脇をかためるのは、ひとクセふたクセもあるベテラン、キレッキレの動きをみせる立ち回りの達人、などなど。
まったくの凡人の自分から見ると、彼らの仕業はまるで神々の遊びのよう。
まず、話している内容がわからない。彼らの話を聞いてみると、こちらがやっとひらがなを覚えてふうふう言っているとしたら、芥川賞を取らなきゃみたいな話をしています。
次に、教えてもらう機会があっても、ぜんぜんそのとおりできない。目の前で何度もお手本をやってみせてくれているのに、自分の声も身体もまったく言うことをきかないのです(自分ではやっているつもり)。
だめだめなのに、最後にはこんな風に言われて、舞台に送り出されます。
「大丈夫だよ、あとは自信をもってやっておいで(やさしくあたたかく)」
なんでしょう、この無力感は。この感じは‥‥‥。そうだ、学生時代にリア充の輪に入ったときの感覚!皆との差を感じて、愛想笑いはするものの、心ではさっぱり笑えない、そんな感じに似ています。
でもこのとき、自分はどうしても、彼らの見ている景色をのぞいてみたかったのです。なぜかというと、その舞台にどうしようもなく心を動かされたから。少しでもいいから、こんな演技ができるひとたちの頭の中をのぞいてみたかった。
だから、まったく違うアプローチをとりました、天才の遊びに入れてもらうために。
名人の忘れものを探す
歌舞伎をやめた今でも、生きる指針として読み返す書籍があります。演劇評論家 武智鉄二と歌舞伎俳優 八代目坂東三津五郎との「芸」に対する対談をまとめた「芸十夜」。
その中に、今回のアプローチのヒントとなった、こんなエピソードがあります。
八代目坂東三津五郎さんが15、6歳の頃に、「踊りの神様」と呼ばれた父の七代目坂東三津五郎さんとこんな話をしたそうです。
七代目「(自分は)九代目団十郎(明治期の名優)には足元にも追っつかないし、踊りでは芝翫(四代目 幕末・明治期の名優)に足元にも寄れない」
八代目「じゃ、どうやったら追っつくんですか?」
七代目「どうやったって、生涯やったって追っつかない」
八代目「お父さんがそれなら、僕なんかどうするんですか?」
七代目「おめェなんか‥‥‥」
八代目「じゃ、やることないじゃないですか」
七代目「バカいえ、それをやるのが、芸の修行だ」
こんな会話の末に、八代目三津五郎さんは「一生かかっても追っつかないものをやってもしょうがねェゃ」と思うように。そのとき、能楽師 松本長さんにこんなアドバイスをもらうのです。
どんなに偉い名人だって、どっか忘れものをしてるよ(中略)あッ、九郎先生(宝生流十六代宗家)も、ここを忘れてたってところがあるよ、どっか一ヵ所――。それを探すんだよ。それでそこだけをうんと勉強して、ここだけは師匠より一歩先へ出たッと――。そう思わなきゃ、生きていかれないじゃないか。おめェのお父っつぁんだって、死んだひとにはかないっこないんだ。けどお父っつぁんだって、どっかで落としものを探しているに違いないよ。
完璧にみえる名人だって、どこかにやりのこした忘れものがある。ならぶことはできなくても、そこだけはうんと勉強して、負けないっていう場所をつくる。
才能に囲まれて自分を見失いかけるたびに、この言葉に何度も救われました。
日常をすべてを芝居に
自分が天才の遊びにいれてもらうためにとったアプローチ。それは日常生活でふれるものを、芝居にかかわることに変えてしまうことで、誰よりも芝居のことばかり考えることでした。まず、劇場にいて空いている時間は、ぜんぶ芝居を観る。そして行き帰りや待機時間、家での時間。読む本は、ぜんぶ芝居に関する話。観る動画も全部芝居の映像。聴く音楽も芝居の音。
ちょうどこんなことを考えたのが、35歳くらい。うだつの上がらなかった自分にとって、この世界にいられるかどうかをみきわめる、最後の機会だと思いました。後悔しないように、40歳までの5年間は、誰よりも芝居のことばかり考えてみよう、と決めました。
日常のすべてを芝居する、書くのはかんたんなのですが、実際はそうはいきません。まず必死すぎてかっこわるい。
才能のあるひとたちの中がまるで遊ぶように芝居をするなかで、ひとりまじめに勉強を始めるわけですから。最初は「そんなに芝居好きだったっけ?」と聞かれたりもしました。
次に、飽きる。ひと月毎日ずーっと同じ芝居を観るので、さすがにつらくなってくるときもあります。なので、観る場所を変えたり、ときには、目を閉じて音だけ聞いて、演技を思い浮かべたりしました。
本や動画、音楽もその演目に関わるものにすることで情報量をふやして、能動的に考えながら観ることにしました。
最後に、勉強に限界がみえてくる。そもそも、観ているお芝居を自分が演じることは、ほぼないのです。アウトプットができないと考えると、インプットする内容にも限りが出てきて空しくなってくる。
そこで、アウトプットの限界をいったん忘れることにしました。そうして、ただひたすらに続けていくと、自然と次に勉強することがでてくるから不思議です。
最終的にその範囲は、歌舞伎だけでなく、能楽や狂言、着物や結髪にまでいたりました。
天才のおそろしさ
そんなことを続けているうち、才能たちの話している言葉がちらほらと理解できるようになってきました。目の前でみせてくれるお手本の意味もわかるように。ただ、あいかわらずできないので、やさしくあたたかく送り出されるくだりは一緒ですが。
でも以前とちがって、彼らの言わんとすることがわかるようになってきました。水の中でくるしいけどようやく目が開けられて、どちらに進むべきか見えてきたような感じです。
うーん。ここで天才の遊びにいれてもらえた!と書きたいところですが、結局自分はここまででした。
自分で言うのも何ですが、この時期は異常なくらい芝居に集中して頑張っていたと思います。蓄積した知識や経験の量は半端なものではなくて、何より歌舞伎が大好きになりました。
その自負とは裏腹に、足りないものがはっきりと見えてきて、より厳しい現実が立ち現れてきたのも事実です。
たった5年足らずですが芝居のことを考えまくってわかったこと。それは、自分のまわりの才能あるひとたちは、この程度のことは当然にやっていたという事実でした。あきらかに先天的に恵まれているひとたちが、さらに呼吸をするように勉強しているとしたら。
才能のある人たちの忘れものを探すだけで満足している、滑稽な自分の姿を発見することとなりました。
ぞっとしました、天才の遊びの裏に隠された、積み重ねを想像して。
結果、父が体調を崩したことや息子の将来を考えて、役者をやめました。自分は歌舞伎の世界では、努力を続けることができなかったわけです。
抜け道をみつけて
その後の経緯は、「歌舞伎俳優が本屋さんになったわけ」に書いたとおりです。
やめてからは、世の中の様々な才能に接してきました。スキルは未熟ながらも彼らと一緒に仕事をともにできたのは、その才能に畏敬の念をもっているからかもしれません。
いつも彼らに接するとき、芸道の入り口をのぞいただけでぶるぶるふるえた自分を思い出し、背筋をのばします。目の前にいるのは、挑み続けている才能そのものなのだと。
そして今、不思議な「抜け道」をみつけた気持ちです。
歌舞伎の世界ではめずらしくない、ちょっと頑張って勉強した弟子だった自分は、世の中では、歌舞伎俳優を経験したことのある、変わった経歴のサラリーマンとなりました。
さらに歌舞伎俳優だった本屋さんとなると、おそらくただひとりです。日本文化の担当として、これまでの知識や経験、想いが役立つ場所に立ちました。
私ならではの企画を求められ、改めて向き合うことになったのです。天才の遊びとそのおそろしさに。
才能の遊び場をつくる
私はこれまで日本文化の担当として、狂言師の野村万作さんのトークイベントや歌舞伎俳優の尾上菊之助さんの写真集の企画、同じく歌舞伎俳優の松本幸四郎さんの写真展などを行ってきました。
皆様、役者時代から思えば、まったく畏れ多い方々。お仕事に関しては、率直に言って至らないも多く、今思い返しても反省することしきりです。でも、皆様とお仕事をさせていただいたことは、ただただありがたく、貴重な経験をさせていただきました。
万作さんは、まさに先ほどご紹介した「芸十夜」の著者の方々と一緒に活動をなさっていた憧れの方。打ち合わせのおりに、歌舞伎の世界にいたことや「芸十夜」のお話をさせていただいたところ、トークに歌舞伎やその頃のエピソードを入れてくださって、感激したのを覚えています。
菊之助さんや幸四郎さんのトークイベントでは、進行をつとめさせていただき、舞台ではほとんどせりふのなかった自分が、お客様の前でたくさんお話をさせていただきました。
それぞれ、当日は緊張してそれどころではありませんでしたが、終わってから、これまでの日々が報われたように思えて、ひとりほろりとしてしまいました。
才能の遊び場をつくって、お客様に紹介する。たまたま目の前に開けた、才能と一緒に遊ぶための「抜け道」です。
でも、やっぱり、でも。だから‥‥‥
役者を経てサラリーマンになった今は、何となく落ち着いて見えるだけなのです。ここまで来るには、だいぶしんどくてめんどくて、ほぼ勢いと運で乗り切ってきました。振り返るとヒヤヒヤものです。
でもやってるときは夢中で、やっぱり楽しかったな、でもこんな思いはさせたくないな。
だから、隣ですやすや眠っている息子の寝顔を見ながら思うのです。天才には出会ってほしくない、と。
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