あなたにぴったりの言葉さがし。
何も知らず、九州のあたたかい地域で幸せに生きてきた自分が、東北へ行って何ができるのだろう?何が言えるのだろう?無知が故に、被災された人を傷つけてしまわないだろうか?
そうして不安になりながらも、東北に訪れた時の感覚。涙を流してくれたガイドさん。津波で流された建物。あの感情は、今でも忘れられない。
と、言いたいところだが。それはきっと無理なのだ。
わかる〜〜それ〜〜〜!!と思ってから、早6日。もりきょんが、これを言葉で残してくれて本当によかった。
ふと思い返したのは、小学生の夏休み。
毎年8月9日になると、体育館の中で蒸されながらおぞましい話を聴いた。マイクを持って懸命に話すおじいちゃん、おばあちゃんの話は、とにかく怖いけれどいまいちピンと来ない。おしりも痛い。
戦争も、原爆も、教科書のなかにある話。これらはどこか遠く知らない世界で起きた他人事。よその県に住んでいたら、夏休みが1日多いんだろうなあ……そんなことを思っていた。
それでも脳裏に焼き付いている、ピカッ!ゴゴゴゴゴゴ!!という力強い声と、真っ赤に焼けた背中の写真。そして、11時2分で止まった時計。
当時の僕がおしりを痛めて得たものは、とてもとても小さな記憶。たったこれだけじゃ、あの日のおじいちゃん、おばあちゃんは報われないのだけれども…。
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ちょーのくんの書きはじめは、どちらかというと「自分の世界」で、創作的に言葉を綴っていた印象。それが他人と交わるようになって、何か変わったことってある?
僕の文章が他人と交わるようになったのは、昨年2月のこと。単身で東京都小平市に乗り込んだ僕は、休日の寂しさに唖然とした。だって外に出られないんだもの。
それからというもの、出張前に長崎で出逢ったいろんな人たちにインタビューをしていくのだけれども、その中で僕は人の話を聴いていないんじゃないか?と思うようになった。
例えば、話している相手が「似顔絵を描きはじめたのはガソリンスタンド時代で〜」と切り出すと、(ということは、〇〇さんは危険物取扱者の免許を…?)といった具合に、危険物で頭がいっぱいになる。
その後の話も耳には入ってくるけれど、頭にはこれっぽっちも入ってこない。これって上の空?上っ面?うわぁ…(?)
そんな発見があったのは、他人と交わるようになったから。ずっとひとりで綴っていたら、きっと気づけなかった。
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これと似たような話を、先日あるイベントで1時間ばかり喋らせてもらった。そこで1人の参加者さんが「10伝えたいことが3しか伝わらないんです。伝えるって、難しい…。」と打ち明けてくれた。
僕は「10聴かせたかったら、20聴くかな…」と答えた。それだけじゃない。「伝えるはエゴだと思う」とまで言い切ってしまった。
これには補足も、備考も、注釈もつけたいところなんだけど…と思ったときにハッとした。
これが、僕の思うエゴなのだ。
いま目の前にいる人たちから見れば、僕の話はどこか遠く知らない世界で起きた他人事。
そんなモヤモヤが残ったイベントの翌日、参加者さんの1人がこう呟いてくれた。
10聴かせたいなら20聴く
ふと思い出した
僕はそれだけで報われた。
あぁ、あの日のおじいちゃん、おばあちゃんは、いったいどんな気持ちだったんだろう…。
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僕は、思ったことを深く考えずにポロッと言っちゃう。それをあとで思い返して、こう言えばよかった…!という気持ちに駆られる。
対してもりきょんは、会話の中でその人にあう言葉を丁寧に選んでいるなあと思うんだ。まるで洋服を選んでいるかのように。
この支離滅裂な文章がうまく伝わるか分からないけれど、君の意地の表れは、考えるときの「そうやな〜」って口ぐせは、きっと優しさだね。って話なのです。
つづく?
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