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週日記 2024/12/15 - 21

12/15 Sun.

小鳥書房で夏休みをするために、東京行きのチケットを買った。昨日から落合さんとやり取りをしていて「形が変わるだけなので、慌てなくても大丈夫ですよ」と言ってもらえたのだけど、僕の人生を変えたのは今ある小鳥書房で、そこにいる落合さん。ずっとSNSで見てきたあの扉を開かずして死ねない。

12/16 Mon.

保育園のお迎え終わりに借りている駐車場まで車を取りに行くと、鍵を忘れていた。泣く泣く家に帰ると、同じマンションのTくんママが「子どもたちはうちで遊ばせておきますよ!」と言ってくれる。お言葉に甘えて車を取りに戻って、それから晩ごはんもゆっくり作らせてもらった。子どもたちは喜ぶのだけど、これに助けられているのは間違いなく僕の方で、いつかの日記で書いた遠慮の理由はこれだろうな。

12/17 Tue.

午後休を取って家族でハウステンボスへ。こうやって弾丸でどこかへ行くときは疲れを感じやすいけれど、平日は人も少なくて、特に子どもたちが遊びやすそうでとてもよかった。思い出を写真で残しやすい場所に言葉はあまりいらない。帰り道でイノシシに遭遇しなくてよかった。

12/18 Wed.

課長の家にある大量のアガベを見てからというもの、アガベというよりも他人が趣味に捧げている愛情の方に興味が尽きなくなった。身だしなみ、振る舞いといった社会性の殻を破って没入できる何かにこそ、その人自身が見えるからだと思う。行き着く先はBRUTUSなのかもしれないけど、他人の趣味をひたすら特集する雑誌を作ってみたい……なんて他人軸の偏愛に果たして僕自身は見えるのだろうか。

12/19 Thu.

すっかりつくる詐欺になってしまった日記本のタイトルをぼんやり考えているときに「アンニュイ」って言葉の響きが何となく好きだなと思う。けれども、いざアンニュイの意味を聞かれても答えられる自信がなくて調べてみた。どうやらフランス語で憂鬱、退屈、物憂げな、という意味を持っているらしい。さして考えもせず答えにたどり着いてしまった僕はアンニュイ。だけどこの日記も案外アンニュイ。いいかもしれない。

12/20 Fri.

日記を書きはじめた頃は、暮らしの中にある心の機微に敏感でいようと思っていたし、それはある程度できたと思う。でも、分かりにくかったはずのザラつきを感じやすくなってしまったことで、それが僕の中で珍しいものではなくなってしまった。それから筆があまり進まなくなったり、出来事を羅列しているだけの感覚に陥ったりして、今はちょっとだけ苦しい。それでも「実は読んでるよ」とか「週末の楽しみにしてる」と言ってくれる人がいて、僕にとって大切な表現のひとつだとも思う。苦しいからやらないは簡単だけど、続けてきたことをやめちゃうのは難しい。

12/21 Sat.

今年最後の移動書店は、放課後サンキッズとの共同企画。僕の地元で、快さんの活動拠点でもある土井首小校区の読売新聞さんのスペースを使わせていただいて、子どもたちの遊び場と本屋さんが一緒になった場をひらいた。初めての試み、北九州の事件直後、そして雨。そんな向かい風もあったけど、快さんが色んなところに協力を仰いでくれたり、しっぽ文庫の割引チケットに力を貸してくれる頼もしい大人がいてくれたり、追い風の方がずっと強かった。僕と快さんがつくりたい空間を見据えたら、課題はある。きっとこれからも出てくる。それでも一緒にきた楓芽が子ども社会に揉まれたり、家じゃ見たこともない集中力を発揮したり、男子から無数の下ネタが飛んできたり、帰り際に「もっと話したかった」と涙してくれたり、子どもを見ているだけで幸せな気持ちになる。僕たちは、子どもたちの健やかな成長や明るい未来に何かしてあげられるわけじゃない。ただこの瞬間を共有したい、わがままな大人なんだ。

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