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義父の死後に同時進行していたこと

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[登場人物]

・私 (都会で夫と二人暮らし)
・夫
・お義母さん(夫の母・お義父さんの急死により2023年秋から同居後、2024年2月に老人ホームに入居)

・お義父さん(夫の父・地方でお義母さん、弟と3人暮らしだったが2023年夏前に他界)
・弟(夫の弟・成人後職歴無し・お義父さんの死後、うつ病.統合失調症を発症し保護入院)

・叔父さん(3人兄弟のお義父さんの弟・妻と同地方で2人暮らし・子供なし)
・叔父さんの妻

・叔母さん(3人兄弟のお義父さんの妹)

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私と夫にはずっと、お互いにあまり触れずに保留にしていたことがあった。
子供を作るかどうか、という決断だった。

夫が40代前半、私が30代後半に結婚した晩婚型の夫婦だったので、
そういうことはなるべく早く考えないといけなかったのだが、
夫と知り合って1年余りで結婚したこともあって、
もう少し2人での生活を楽しみたかったのと、
私自身、あまり子供が欲しいとは思えなかったので、
何年かは私から保留にしてもらっていた。

40代を過ぎて、いい加減話し合わないといけないと思い、
結婚記念日に外食をした時や、
年末年始のゆっくりとした時間が持てた時に、
私から子供をどうするか、という話を持ちかけた。

私の気持ちとしては
子供が欲しいとは未だに思えなかったけど、
夫が欲しいのであればトライするべきと思っていたので、
そのまま伝えた。
正直、二人とも同じ熱量で子供のことを考えないといけなかったんだろうけど、どうしても自分から「欲しい」と思えなかった。
夫はそんな私の気持ちを汲んで、私に「欲しい」とストレートに言うことをあまりしなかった。
私が「欲しいんでしょ?」と聞いてやっと「うん…」と言う。
ただ、私は喘息があったので、私の健康が優先と夫は気遣ってくれていた。
でも私は「あなたが欲しいなら、やってみようよ」と言うと、
夫は「うん、じゃぁがんばってみようか」という話になった。
でも、それ以降、子供を作るためにしないといけない行為はせず。
結局なにもしない。という日々が続き、
また折に触れて私が、「どうしますか?」と話し合う。
そして夫が「そうだね、がんばろうか」と言ってまた何もしない。
という日々が続いて、気づけば私はもう42歳になっていた。

お義父さんが亡くなって、葬式や実家のことで度々、
夫の実家に通っては叔父さんに説教を受けていた頃。
実家から帰るバスの中で、叔父さんに打ちのめされていた私は
絶望的になって夫に、
「お義母さんの介護も始まるし、、もうこんな状況で子供つくるなんて無理だよ」と、
もう諦めて欲しい、くらいの勢いで話してしまった。
夫も精神的に参っていたので私は、同調してくれると思っていたが、
「いや。。。」と話しはじめた。

「確かに家のごたごたも大変だし、お義母さんのことも大事だけど、
自分達のこれからの方が一番大事だから、そこを諦めたらダメなんじゃない?」
と。
それならもっと早く行動すればいいのに、という思いと、
諦めないんだ、、というガッカリ感があったが、
「じゃぁ、とりあえずもう、二人でクリニックに検査に行ってみることから始めようよ」
と提案し、腹を決めた。

こうして、叔父さんとの攻防とお義母さんの介護と並行するように、
私の遅い不妊治療が始まった。

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