見出し画像

思わぬ本から見つかった「どうしたら面白い文章を書けますか?」への答え

この激しいタイトルの本を買ったきっかけは「僕はずばり無理をして生きてきたのである……」というモチベーションではない。

Youtubeでサジェストされた動画で作者の人をたまたま見かけたのが大きかった。喋っていることの内容を聞いていると、この人に興味を持って、試しに本を一冊買ってみた。驚くべきことに、この本に僕は完全に刺されてしまった。僕が自分について言語化できていない部分が、びっくりするほど芯を食った形で書かれている。僕のことを知りたかったら、この本に8割がた書かれているといっても過言ではない。

「負けること」は悪いこと、「勝つこと」が価値あることという空気を吸って成長した人がいる。そういう価値観で成長した人がいる。  人と接する時には、自分はどういう価値観で成長したか、相手はどういう価値観で成長したかを考える必要がある。  大学に不合格になる。就職に失敗する、失恋する。しかし不合格という事実は単なる事実。問題は、どういう社会的枠組みで不合格になったかということである。  親との共生関係での不合格の人は心理的打撃が大きい。  そういう人は、成功が人生の幸せと錯覚するのは当たり前である。  そういう人は些細な失敗を恐れる。  不安な自分を守るために迎合する。攻撃的になる、引きこもる。すべて自分を守るためである。

加藤 諦三. 無理をして生きてきた人 (PHP新書) (p.99). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.

たまたま読んだ本にこんなことが書いてあれば、僕はその場で吹っ飛ばざるを得ない。吹っ飛んで壁バウンドした。最近、今年の目標の一つに「失敗する」を掲げたばかりだが、あれは我ながらいいセンスだったと確信する。しかし驚くべきなのは、そのことをまるで先読みするかのように、偉い先生が本に書いていたことだろう。

過度に自分を守らないために、引きこもらないために、攻撃的にならないために、自分から失敗のリスクを取るのは僕も重要な気がしていた。失敗はただの経験でしかない。インターネットは愚かな失敗談をこれでもかと共有するし、"最適化"された――"失敗のない”コンテンツを提供し続け、隙あらばお前も完璧であれと投げかけてくる。だからこそ、失敗してそれを正しく解釈することこそが実は重要なのだ、という視点が必要だ。

ここから先は

2,204字

¥ 500

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?