半分青い?
「半分、青い。」というNHKの朝ドラがあった。
片耳を失聴しても、たくましく生きる女の子が、主人公。
ストーリーについては賛否両論あるので、ノーコメント。その制作発表をNHKの番組で観ていた時、
(そう言えば自分も、耳が聞こえてなかったな…)
と久しぶりに思い出した。
自分の場合は、小耳症(*)。
(*)小耳症(しょうじ しょう) … 生まれつき両耳または片耳が欠損。耳の穴はあるけど塞がっている人が多い。5,000人に一人ぐらいの割合。
生まれつき「右耳」は、ほぼ聞こえない。でも「左耳」は、普通に聞こえる。だから、人と会話する時は「相手の右側(自分の左側)」にさりげなく移動する。
「片方しか聴こえないのは、大変だね」と言われることもある。でも、生まれた時から片耳だから、これが自分の「普通」。
「腕が2本しか無いのは、大変だね」と言われる感覚、と例えると少し分かってもらえるかもしれない。(いや、生まれた時から腕は2本ですやん)みたいな。
自分にとっては「片耳聴こえない」よりも、「片耳無い」の方が大問題。
右耳は、生まれつき「耳たぶ」だけ。有るべきものが、有るべき所にない…「違和感」があるのか、一目で分かってしまう。
幼稚園や小学校では、
「何で耳無いの?」「変な耳だね。」「ぜんせで悪いことしたの?」etc...
からかいの対象になることも多かった。
子供の純粋さは、時として残酷だ…とつくづく思う。
両親は、自分が生まれて「小耳症」と診断されてから「耳を造ってくれるお医者さん」を色々調べてくれていた。インターネットもない時代、さぞ骨が折れただろうと思う。
実は「自然な形の耳」を造れる名医は、ほとんどいない。日本では、約3人。
幸運にも、その中の1人の先生に手術して貰えることになった。
手術は、小学3年(9歳)の夏休みと冬休みの時期に、計2回。
耳の材料は、自分のお腹の軟骨(肋軟骨)。成長するにつれて、軟骨は硬くなって加工がし辛くなるらしい。でも逆に、幼すぎると体力的に手術に耐えられない。
その結果、「10歳前後」が手術の適齢とされているそうだ。
あらかじめ手術をする時が決まっていて、その時がどんどん近づいてくる。
子供心に(無菌室のような病室で、一体何をされるのだろう…)などと、分からないなりに不安いっぱいの日々を過ごしていた。
正直、(普通だったら、こんな苦労しなくていいのに…何でこんな耳に生まれたの?)と、小学校低学年で、自分の人生に悲観してしまっていた。
障害がある、というだけで変わる他人の態度、見下される感覚。
それに対して芽生えてくる怒り、嫉妬、悲しみ、やるせなさ…etc
今振り替えっても、かなり影のある9歳だったと思う。早いな。
でも、手術の経験とそこで出会った人達は、自分のその後の人生をずっと豊かにしてくれる「きっかけ」を与えてくれたのだった。
(続く)