思ったことをつらつらと。 細胞は新陳代謝で新しくなる。食べられない胃腸の状態も、CBD摂取などして食べられるようになった。(本当に嬉しかった) その理論で言うと、脳ももっと回復するのではないか。→思考や、環境因子などが関係してくる? ミトコンドリアの活性が、病気の症状を軽減するようなことを学んだ(分子栄養学)。 ミトコンドリアとエンドカンナビノイドの関係を論文探して、少し読んだ。 どのようにしたら、もっと良くなるのだろう? ミトコンドリアと、関係しているみたい。 主要エン
長い間、病気と共に暮らしていますが、出来ることは大幅に増えたと思います。 いくつかの病気を併発していますが、私は変わらず前向きに過ごしています。 仕事をする上で体力が必要なので、時々娘と水泳に行っています。 初めはプールの中を歩くことからでした。 痛みが和らぐ水中は、包まれているようで安心出来ます。今では、泳ぐことも出来るようになりました。 シーンとして、コポコポと音がする水の中で、周りの子どもたちと一緒に泳いでいます。 手先のリハビリにと、ぬり絵から始めましたが、今では
「線維筋痛症とカンナビノイドについて」 ★こちらは、まだメモになります。 ・カンナビノイド受容体 ・エンドカンナビノイドによる逆行性伝達 ・痛覚の伝達の減少 ・神経伝達の障害 ・治療困難な中枢性の場合、いわゆる慢性痛 ・神経伝達を抑制する ・カンナビノイド受容体…CB1 中枢神経系に多い。 ・2-AGはCB1受容体を活性化する。 ・エンドカンナビノイドの生理的作用の中の一部…鎮痛 線維筋痛症とどう関係してるのか?
メモ代わりにしていたnoteの更新から、1ヶ月が経ちました。 思いもよらぬことに、沢山の反応をいただき、とても驚いておりました。 今日は、病床から綴っています。 元気そうに動ける時もあり、また不自由にもなってしまう…これを長年繰り返してきました。 懐かしい音楽を聴きながら過ごしています。 心の支えでもある、ある作家さんの昔の作品です。 音楽は、闘病のお供でした。 桜を見て、今年はどう感じるでしょうか。 明るくてあたたかなイメージ、儚く散ってしまうことへの連想。 出来
2年ぶりの更新で書いています。 前回の投稿を読み返してみると、苦しい中で子育てしながら、もがいている自分を思い出しました。 子どもも成長して、だいぶ大きくなり、小さなお姉ちゃんのようです。新しい猫ちゃんをお迎えしてから、もうすぐ2年にもなります。 この2年の間には、出来ることが大幅に増えました。闘病歴も長く、今も不自由はありますが、以前よりもはるかに元気に暮らしています。 その様子をまた、少しずつ書いていけたらと思います。
はじめての子育て。 愛し方さえ、可愛いがり方さえ分からなかった。 自分の病気と闘病するなかで、いつまで生きられるか分からないと思うと、娘がとても愛おしく思える。 寝顔も可愛くて、頭を撫でた。 ぐっすり眠っている。 可愛い寝顔。 どんな学校へ進むのだろう? どんな女の子になるのだろう? どんな大人になるのかな? 私はその姿を見られるのだろうか? 今が一番大事だと気づく。 いつまで生きられるか分からないからこそ、 今が一番大事。 病気で、思うように動けない日もある。
約18年前。 その日、町の看板で偶然、出会ったね。 暗闇のなかで見つけた君は光だった。 これからずっと、一緒にいようと。 心強い仲間ができた。 そして、闘病生活がスタート。 一緒の暮らしもスタート。 ずっと一緒。 隣に居てくれると、安心した。 子どもが生まれると、お兄ちゃんみたいになって、 一緒にお世話してくれていた。 やわらかくて、ふわふわ。 今は少し、小さくなってしまったけど。 一緒にがんばろう。 寄り添い続けた君、この瞬間にも。 久々のnote投稿でした
前回からの続きです。また少しずつ思い出しながら書いています。 重症なうつ病と診断されたその日に、住んでいた町の看板を見て、猫を拾いました。いまも一緒に暮らしている相棒の猫です。ずっと一緒に闘病してきました。 診断された後は、どう帰宅したのか憶えていませんが、まだ赤ちゃんだった猫を看板で見たとき、「これからずっと一緒にいるかもしれない」と思ったことは、憶えています。 その後の闘病で憶えているのは、お豆腐しか食べられなかったことと、トイレに行くので精一杯だった生活です。豆腐
初めてnoteを書いています。 長年、闘病生活を送ってきました。 思い出しながら、少しずつ振り返ってみようと思います。 大学3年くらいの頃から、眠れない日々が続き、卒業後に突然高熱が出て、めまいが起きて立っていられなくなりました。 その秋に、重症なうつ病と診断されました。 そこから私の闘病生活は、始まりました。 初めて書いたので、ドキドキしています。 また、ゆっくり振り返りながら、書いてみたいと思います。