あまりにも失礼すぎる大学生でした
『こっから先、何も面白いことなんてない、もう詰んだわ』
今思うと、あまりにも失礼すぎる大学生でした。
21歳の僕へ、あなた10年とちょっとしたら、どこで何をしてると思う?
理科が好きな少年でした。
カブトムシやバッタを育てて、
森の木の実や葉っぱに興味を持って、
買ってもらったリトマス紙やBTB溶液の色の変化に興奮していました。
地元が好きだったので、そのうち地元で科学者になるんだと言ってたとか言ってないとか。
その興味は高校になると、より絞られてきました。
理系に進んだ僕は、化学と物理を選択。
全国模試とかで化学は偏差値70以上取るのが普通だった一方で、物理は40とか、理科として平均すると50ちょっと上くらい。
物理の先生に疑問の目でよく見られていましたw
大学は関西の理学部を目指しました。
しかし、唯一受かったところは、地元の大学の薬学部(薬剤師免許取らないコース)。
理由は明白、ここの大学だけ、二次試験入試科目の理科が化学だけで良かったのです。
入学後に成績見たら化学だけは合格者の中でも順位一桁台。
きっと僕はこの大学で化学をもっと学んで、それを活かす仕事に就くんだ。
大学1年生、入学直後の僕はそう信じていました。
大学の化学は、高校化学とは別の楽しさと難しさがあります。
専門教科が始まる頃、後者が僕を襲います。
当時の僕には、化学物質が持つ官能基の電気特性や立体的構造などがうまく飲み込めず、「なんでここから反応が起こるんだよ?」の連続。
基本のキはわかるから、単位はギリギリ取れるものの、それ以上学んでみたいという気持ちが完全に折れてしまいました。
質問が分からないほど、化学の授業(正確には有機化学)が分からなくなる、
そんな中で迎えた大学3年生。後期の研究室配属。
「化学を使わない、なるべく楽と言われているところに入ろう」その程度のモチベーションでした。
一度研究室に入ってしまえば、大学のサークル活動のようなキラキラした日々は閉ざされ、
『こっから先、何も面白いことなんてない、もう詰んだわ』
本当にそう思い、研究室に入ることに絶望していました。
研究室は生薬の研究室を選びました。
昔から好きだった植物を薬として見てみる授業が好きだったからです。
完全に化学式から離れて、細胞を培養してみたりマウスを触ってみたり、生物学的な実験手法や知識を身につけていきました。
大人になると実感する方も多くいらっしゃるそうですが、「分からないことを分かるようになることは楽しい」です。
研究室に通う日々の中で少しずつ、このステージの楽しみ方に気が付いてきました。
ここで、一つの出来事が起こりました。
僕の所属していた実験チームの中で、ある生薬の中に含まれる、よく分からない成分が、対象としている症状に効いているようだということが分かったのです。
この生薬に関する過去の論文に出てくる有効成分のどれにも該当しないこの物質の特定は困難を極めました。
ここで、再び大学の化学の知識を学び直す必要に迫られたのです。
NMR、LC-MS/MSなどの分析機器やSciFinderなどのオンラインの化学物質ライブラリーを駆使して、特定したのは、
その生薬に含まれていることは知られているけど、何に効くかは分かっていない、とてもマイナーな物質でした。
研究室の先生やチームの学生らで得られたこの成果は、天然物科学分野の著名な国際的な学術雑誌に掲載されました。
これがスタートとなり、その後博士号を取得した僕は、恩師の勧めもあり、
「海外に研究留学をする?」なんて、想像もしていなかったことを考え始めます。
ずっとこのまま故郷の近辺で過ごしていくものだと思っていたのに、行ったこともないアメリカの大学にポジションを見つけ、32歳にして、アメリカでの研究留学を始めました。
昔みたいに植物や色が変わるような研究はしていないけど、その時くらいワクワクする研究を進めることができています。
21歳の僕へ、研究室に入った後の人生は詰んでいませんでした。
昨日は間違えて乗ったバスの着いた先で入ったバーで食べたワカモレがとんでもなく美味しかったです。そんな新しいことの毎日です。
ゲームの世界なら「詰んだらリセット」ができますが、もちろん、現実ではそのボタンはありません。
先入観や悲観にとらわれずに過ごすと、意外といいものかもよ?
以上、冒頭の悪口の謝罪文でした。