地元で起業日記 ⑧大学を卒業して営業職に
地元で起業日記
~起業準備から稼げるようになるまで~
僕は現在38歳で奥様と4歳の息子の3人家族。これから不確実な時代の中でも自分の力で稼げるようになりたいと地元で起業を目指している。起業準備中の今、なぜ僕がサラリーマンを辞めて地元で起業を目指したのかを過去を振り返りながら書いておこうと思う。そして起業前のリアルな試行錯誤を2週間毎に更新して、稼げるようになるまでの出来事や様子を書き留めておこうと思う。いつか僕と同じ様に自分の力で人生を歩もうとしている人に、少しでものお役立てば嬉しいと思う。早く稼げるようにならなければという焦りは勿論あるけれど、方向性を間違わない為に自分のrootsと向き合う事も大切。まず1年間を目標に更新していきます。
■第一章 商売と僕(7回)
①母の手伝いから
②遊び場だった製材工場
③配達と地域の繋がり
④恩師との出会い
⑤木の自由研究
⑥おじちゃんおばちゃんが誇らしげに見えた
⑦身近にいる素敵な人に磨かれた美意識
■第二章 営業と俺 (7回)
⑧大学を卒業して営業職に
⑨営業(ダイレクトセールス)って、こういう事なんだ
⑩「結果」が出るまで帰りません(反響案件はいりません)
⑪自覚した弱い自分
⑫尊敬する社長との出会い(毎日経営者に会うという事)
⑬24時間いつでも電話して良い上司
⑭「強い商品力」と「強い営業力」
第三章 副業と私 7回
第四章 起業 7回
2週毎土曜日更新 1年間
~大学を卒業して営業会社に~
大学時代は部活に明け暮れた。部活はゴルフで、小学校、高校、大学とやってその道で食っていきたいと思っていたが、20歳の時に初めて挫折を味わった。高校時代は勉強はしなかったが部活だけは真面目に主将をやった。大学に入ってからは、朝練習に昼休みは一人で校内の小さな練習場で球を打つ、夕方の部活に、23時からアルバイトで練習場の球拾いをしていた。お金をもらって安く練習させてもらえた。土曜日はコースキャディーのアルバイトをして日曜日にラウンド練習をさせてもらえたのでとても有難かった。しかし大学2年生の大会でプロツアーに出場している選手と同じ組で回った時に、実力に違いに愕然とした。「こりゃ敵わない!」もう直感だった。この時のショックは今でも覚えている。やめたくなって一番賛成してくれそうな姉に相談したら、予想外に怒られた。姉にそこまで反対されたのが初めてだったので、それで4年間出来る限りやろう。と決心した。大学でも主将をやる事が出来た。仲間と切磋琢磨した事、最後の大会で悔いの無い結果を出せた事、姉には感謝しかない。さて、ゴルフしかして来なかった私は就職活動をする時に困った。周りが就活就活と忙しそうにする中で部活の事しか考えていなかった、考えられなかった。ただ、ゴルフという狭い世界しか知らない自分に漠然と不安を感じていた。その不安感から同じ働くのであれば社会を知りたい、どんな人がどういう想いで会社経営をしているのか知りたいと思うようになった。であれば毎日経営者会える仕事だ!そう思って新入社員で飛び込んだのが、会員制リゾートホテル会員権の営業職だった。
同期は135人、同期皆でとある島のリゾートホテルに新人社員研修に行った。あぁ思い出す、今となっては懐かしい地獄の缶詰研修(笑)。面接や入社説明会では優しかった人事課長が別人のような形相になる。研修室の舞台テーブルを「ドカン!!!」と叩く。研修会場の雰囲気が一瞬で変わった。中々厳しい世界に飛び込んだな、やるしかない。そんな感じで私の社会人が始まった。営業のすべてを叩き込んでくれた5年間、そしてメンタルダウンの経験。思い出しながら、起業への長い道のりを書いて行こうと思う。
~現在の2週間の取組~
この2週間は小さいけれど大切な進展があった。それは、地元でリニューアルした温泉施設に薪の定期納品をさせてもらえる事になった。木材事業をする上で本当に必要な事で、目指していた一つの形だ。理由は3つあって、
①木を加工すると必ず出る端材(これまで処分していた)を、再利用できるのはゼロからプラスではなくマイナスからプラスになる。
②浮き沈みのある建築材重要と違い、熱源という利用は安定している
③地元の山の木を使うという地消地産(地域の需要は地域で応える、という好きな言葉)に沿っている
まずは小さな重要であっても、俺にとっては大きな前進だった。感謝である。
さらに薪納品の為の薪小屋を造った。仲間の大工と一緒に墨付け、刻み、組み立てをして、大工作業も出来た。
木と建築と向き合った2週間だった。
次回は11月11日
第二章 営業と俺
②営業(ダイレクトセールス)って、こういう事なんだ
を更新します。どうぞ宜しくお願い致します。