私はなぜ韓国という沼にはまったのか
今から7年ほど前、ホテルで仕事をしていたとき、私の周りは韓国大好きな女子ばかりだった。
大学生のアルバイトの女子たちは、チムジルバン(サウナ)で寝泊まりするのが好きだと言っていたし、ドラマ好きの女子たちはいつも、俳優の名前を出して盛り上がっていた。
私は、韓国に対する強い興味はなかったけれど、当時ふとみた深夜のドラマ「シークレットガーデン」のストーリーが面白くて、話に乗り遅れつつも、なんとなく、「韓国」についての知識を広げていたように思う。
私は、第一次韓流ブームと呼ばれている「冬のソナタ」にも興味がなかったし、韓国語などまったく興味がなかったのだ。
それはたぶん、まだ韓国の軍事色が強かった頃に、韓国旅行に行った時の印象が良くなかったということがあったのだと思う。
当時の私は若かったし、今ではとても大好きな市場(シジャン)も薄汚れて、偽物がはびこる、悪いイメージしかなかったのだ。
「なぜ、ドラマの沼にはまったか」
ホテルの仕事を離れてからは、日本のドラマやテレビは相変わらずつまらないまま、FOXやAXNといった、アメリカのチャンネルばかりを見るようになっていた。海外のドラマは、それぞれの国の恥部、暗闇にも目をそらさず焦点を当てる。マスコミの醜さや、政治の闇にもだ。そしてそれを、どう受け止めるかは、それぞれの判断に任される。
判断や受け止め方を、視聴者に委ねるだけの度量があるのだ。
日本のドラマはどれも、表面的なものばかりで、お笑い番組は根本をごまかしたままで、なんでもお笑いにしてしまうスタンスが好きなれなかったし、つまらなかった。こうして私はどんどんテレビから離れていった。当時好きだったのは「HOMELAND」というテロを扱ったドラマだった。
そんな私がひょんなことから、ふと見たのが韓国ドラマ「ピノキオ」だ。
嘘をつくとしゃっくりが出るという女性と、マスコミに家族をバラバラにされた男性がメインのマスコミの力と責任を軸に進むドラマだ。
勿論恋愛も絡んでくるけれど、この作品を見て、私は頭を殴られたような気分になった。私は長い間演劇の勉強をしてきていたので、出演している俳優陣の演技力にも舌を巻いた。俳優陣の層の厚さに驚いた。俳優が放った「俺の家族はマスコミの言葉に殺された」という言葉がグサリと刺さった。
何故なら、私自身が言葉を扱う仕事をしているからだ。
テーマにも脚本にも俳優にもつかまれてしまったのだ。そして脇を固める俳優たちがあまりに魅力的だったことも大きな発見だった。
私はその後、検察を舞台にした「秘密の森」や警察を舞台にした「シグナル」といったドラマを経てどんどん韓国のドラマや映画に引き込まれることになったのだった。そして、韓国で舞台を見てみたいという思いを強くして行った。
「そして、人にはまる」
大きな出来事は2年前に誘われて出かけた「韓国旅行」だった。あの旅行で私は、とにかく韓国の「人」に惚れてしまったのだ。
優しい心遣いができる人たちに。
あの日、間違えたバスに乗ってしまい、見知らぬ場所についてしまった私たちを、しっかりと目的地まで送り届けてくれた、バスの運転士さんたちの連携プレイ。「市庁」(シチョン)と繰り返すことしかできない私たちを、違うバスの運転士さんにお願いして、ちゃんと送り届けてくれた運転士さんがいる。交渉してくれたアッジョッシ(運転手のおじさん)も、市庁まで連れて行ってくれたアジョッシも、とても親切で泣きそうになった。
そして次の日も。
韓国の地下鉄の自動改札機はt-moneyと呼ばれる、日本のSuicaのようなカードがあって、時々当て方が悪くて反応しなくなるのだけれど、それが、帰国の日のスーツケースを抱えてだった。そして、カードの残金がそれで終わりだったことで、私一人が改札の外に取り残されてしまうことになった。
右往左往しているところに、一人のおばさんが現われ、手招きをしてくれたかと思うと、一緒に改札の中に入れてくれたのだ。
その時、私は考えた。
「日本人は東京の人たちは、旅行者にここまで優しいだろうか?」みんな、面倒に巻き込まれると、見て見ぬふりをするのではないだろうか?
(勿論、そんな人ばかりではないのは承知のうえで)
そう、私が韓国語をはじめたきっかけは、ちゃんと御礼が言えなかったことが根底にあり、そして、もっと韓国の人たちと生のコミュニケーションを取りたいと思ったからだ。
「韓国語のまなび、そしてこれから」
韓国旅行から戻ってきて少し経ってから、わたしは韓国語の勉強をはじめた。勉強をはじめてまだ一年半と少しの初心者。
未だにハングルが文字ではなく、記号に見えることもあったり、読む前に放棄して翻訳機にかけてしまうことも時々ある。私のカタツムリのようにゆっくり進んでいる韓国語の勉強は少しずつ言いたいことを言える力がついて来ているところ。そして、漢字語と呼ばれる日本語と似ている言葉もたくさんあることなどを発見しながら、スラスラとはなせる日を夢見ている。
「なぜ、韓国なのか」
韓国にはまってから、良く聞かれる質問が「どうしてそんなに韓国が好きなの?」という質問だ。
私もなぜここまで突き動かされるのか分かっていない。
昭和の時代。
日本人が持ち得ていた「人間味」や「思いを形に変える力」や「人としての教育」など、日本が失くしてしまったものを韓国から感じるからなのかもしれないし、街の人たちに元気のあったあの時代と、韓国の近年がとてもよく似ているような気がするからなのかもしれない。
私の韓国熱はまだ10年にも満たない。
けれど日本がすでに色々な側面で韓国に遅れを取っている(忘れている)部分があるぞ。日本は何かおかしくないか?と強く感じる部分が沢山あるのだ。
残念ながら、日本には嫌韓で偏見を持つ人がいる。果たしてそれが、歴史からきているものなのか、それとも何となくなのかは分からないが、私は、韓国は数多くの失敗からの学びを今に活かしている国、日本の今の現状は、歴史にあぐらをかいている老体国家にしか見えていない。
だからこそ、好きや嫌いを全面に押し出すのではなく、これまで、私が学び育んできた「演劇的側面」と、たくさんのオーディションに参加してきて見つけた「アイドルについての考え」や、言葉を扱うための「教育」をしてきたことなどを踏まえ、それぞれの側面から、独自の考えで、韓国と日本を繋ぎ、紐解いていきたいと思っている。
この国が、誇りの持てる国になれることを願いながら。
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