笑えるって、いいよね
学生時代、私は仙台の短期大学で幼児教育を勉強していました。
大学時代は本当に楽しかったなぁと今でも懐かしく思い出します。
色々あって(これはまた次のときに)受験しなおして入った大学だったけど、本当に自分を信じて大学を入りなおしてよかったなぁと思っています。
もしあそこで、自分が納得していない大学にそのまま在学していたら、今の私は存在しえない。でも、今思うと、私ってものすごい破天荒な人だったんだぁと、他人ごとのように思います(笑)
決まっていた就職も断ってアナウンサーなっちゃったしね…。
でも、幼児教育を学び、卒業してから1年間。専攻科という大学院みたいなところで、障害児教育に携わったことは、何よりも私の大きな財産になっていると思っています。
今日は、当時私にその道を極めさせてくれた小さな女の子のことをお話します。彼女とは、保育実習に行った保育園で出会いました。
誰かの発した小さなひと言に傷ついて、保育園ではひと言も口をきけなくなってしまった女の子でした。
私はなぜか、彼女と通じ合ってしまって、彼女の笑わない、話さないというその姿にとても惹かれてしまった、というか、興味を持ってしまったわけです。「かんもく症」と呼ばれるその症状は、心的ストレスからやってくるもだと知りました。
実習生としては、評価の低いことをやってしまったのだけれど、どうしても、その場にいる間に、彼女の笑い声を聞きたいと思ったのでした。
結局、彼女との1週間の中で、彼女の笑い声聞くことは出来ませんでした。けれど最終日、彼女はちゃんとニコリと笑って手を振って私を送り出してくれました。
その時から言葉や笑いという事に興味を持ち始め、障害児教育という方向へ私は研究を進めて行くことになりました。
自閉症の子どもも、脳性まひの子どもも、そして、ダウン症の子どもも、どの子どもたちも「笑い」が出ることが、彼らに感情を芽生えさせる大事なポイントであることも知りました。
子どもだけではないのです。「笑う」という事「笑えること」は、私たちが人として正常に感情を表現できている大きな大きな判断の材料にもなります。
昔、感情を殺してみようと実験したことがあるのですが(←こんな馬鹿なことをやっていましたが、お奨めしません)私たちは、笑いを殺すことも簡単に出来るようなります。簡単に。
けれど、笑えなくなったところには、卑屈な心が芽生えるだけです。こうして考えてみると、「笑い」が生まれる場所、というのは安心していられる場所であり、感情を正常に働かすことが出来る場所でもあるわけです。
これからきっと、受験や進路やなにかで大きく悩む場面が増える時期でもあるけれど、私が薦めたいのは「そこが、自分にとってお腹から湧き上がる笑いを殺さずにいられる場所であるかどうか」ということを見極めていくこと。
高圧的であったり、いじめがある場所には、嘲笑や冷笑はあっても、腹から笑うことは出来ません。そして、その人たちもまた、心からの笑いから遠いところにいる人たちです。幸せになるためには、一緒に笑い合える仲間がいることが大切です。
笑ってる?
ちゃんと、お腹の底から笑ってる?
鏡をみて笑ってみて。
ちゃんとね。
今日も最後まで読んで頂きありがとうござました。
少しずつ、迷わずにかけるようになって来ました。
進歩だわぁ~(笑)
今日は、韓国語の教室で衝撃的なことがありましたが、このお話はまたの機会にね。
それじゃまた明日。
この場所で☆