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やることではなく、やらないことを選ぶ

私は、長い間「抱えたい症候群」でした。物も、仕事も、SNSのフォロワーも、日々の行動も、人付き合いもなにもかも。私の周りは収拾がつかないほどのものや人で溢れていました。たくさんのものがありすぎて、自分にとって必要なものと、そうでないものの境目も見えなくなっていました。

なぜ、こんな風になってしまったのか。
色々な理由があるように思いますが、私は抱えていることで安心したかったのでしょう。子どもがぬいぐるみやタオルを握って安心することにもよく似ていて、不安定さが苦手でした。
そして何より「人の目」を恐れていたように思います。あれもこれも、ちゃんとやらないといけない。これを断ったら、周りはなんていうだろう?みたいなことをよく考えていて、自意識が強い上に、頼りにされているからやらなくては。というような、穿った考えを持っていました。

人には吟味の時間、空白の時間が必要です。立ち止まり、自分の持っているすべてを並べ、点検し、選別する時間です。
人生には、様々な分かれ道が訪れますが、この選別の時間をどのタイミングでとるのかで、その後の生き方が大きく変わると思っています。というのも、この選別こそが、自分自身の生きる定義を知ることになるからです。

選別の方法でお奨めなのが「捨てる」ものを選ぶということです。
溢れている自分自身の持ち物の中で、残すものや好きなもの、大切なものに焦点をあてるよりも「手放すもの」「捨てるもの」を選ぶことの方が、より明確に自分自身の価値観がハッキリします。何より、捨てるもの選ぶことは覚悟を問われます。

私は昨年、長い間続けていたFacebookを捨てました。投稿をやめ、頻繁に写真を撮らなくなって「目の前の友達との食事や時間」や「景色」が、意識や記憶の中にその時の感情と共により鮮明に残るようになりました。
インプットとアウトプットの比率というものも実感しました。私は、アウトプットに費やした時間より長く、自分のための時間が必要だったということに気づいたのです。そして、自分の人生に丁寧に寄り添いたいと思うようになりました。自分の思いや考えをすぐにアウトプットするのではなく、よく観察し、想いや感情を噛み砕く時間の中で、記憶にとどめること。適切な言葉を探し、自分の心に本当に添った言葉を選びたいと思うようになったのです。

たくさん手を出していた様々な分野の仕事も「捨てる」ことにしました。捨てることで、私にしか出来ない、自分のキャリアを大切にした仕事を選ぶことにしました。

そして、最も大きかったのは自分の中に統合という発想が芽生えたことでした。苦手なものは得意な人に委ねようと素直に思えるようになったのです。
私は、右脳タイプの感覚重視のアートタイプの人です。それを認め、私のアイディアや、考えを面白がって形にしてくれるクラフト(製作)タイプの人と、お金や管理が得意なサイエンスタイプの人と力を合わせることが必要だと思うようになりました。出来る、こなせる。頑張れば出来る。というところから離れようと決意したのです。

自分の弱さで、これまで捨てられないできたあれこれを捨てたとき。
手元に残ったもの、傍にいてくれる人、傍にいたいと思える人こそが、自分の人生を支え、これからも寄り添ってくれるものであり人です。
私は、多くのフォロワーを持つよりも、育んできた時間を共に愛しいと思える人や物との交流を大切にしたいと心から思えるようになったのです。
何のために自分の時間を使うのか。ということも明確になりました。

捨ててはじめて見えてきた、私自身の定義です。





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