「むかし、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィという四人の子どもたちが、いました。」
はい、こちらも冒頭の一文で「!!」となった人、お友達になりましょう。
わたしの人生を狂わせた本、2冊目です。
C.S.ルイス著、瀬田貞二訳『ライオンと魔女』(岩波書店、1996年)
手持ちのものは、岩波少年文庫の1996年刊行のもの。
せっかくだから書皮も見て。信濃町にある博文堂書店さん、全然記憶にないんだけど、なんでここで買ったんだろう。
岩波少年文庫はたまに判型も含めてリニューアルするので、現在流通しているものはこれよりも僅かにサイズが大きく(数ミリ程度ですが)、表紙のイラストも違います。たしか今出ているものは、ルーシィとタムナスさんが腕を組んで雪の森の中を歩いていくシーンです。ネタバレ回避という意味では、現在のほうが配慮がありますね。
イギリスの英文学者であり作家のC.S.ルイスの作品の中で、一番有名なのがこの「ナルニア国年代記」です。
『ライオンと魔女』は刊行順でいうと1冊目、年代順でいうと2冊目にあたります。
日本では刊行順にシリーズ番号が付けられていますが、イギリスでは年代順に番号が振られています。ルイス本人の希望だと聞いたことがありますが、ファンの中ではどちらの順で読むのが好きか、おすすめか、結構議論が分かれるところでもあり。
わたしは伏線回収が好きなので刊行順が好きです。刊行順はいいぞ。
この作品との出会いも、偶然見たBBCのドラマ版でした。
『高慢と偏見』といい、わたしはBBCに頭が上がらないんじゃないかな?おかげで「BBCが本気で作る作品=間違いない」という公式が出来上がっています。
これが大英帝国の力……
小学5年生か6年生のときに「ライオンと魔女」のドラマ版を見ました。
ハイ・ファンタジーに触れたのは、思えばこれが初めてだったかもしれません。一度小学生の頃の読書遍歴を追いかけたほうがいいですね…… 記憶が曖昧になってきている……
「ファンタジーの実写」というのを見たことがなかったわたしは、ものすごい衝撃を受けました。雪の降り積もる森、凍えるほどに恐ろしい白い魔女、タムナスさんの暖かい居間、威風あたりを払うアスランの姿。
どれもが生き生きと目の前に存在しているのでした。四人の子どもたちの冒険心、スーザンとルーシィが悲しみ喜ぶ姿、勇敢に戦うピーターとエドマンド。すべてが輝いて見えました。
そのドラマを見た日(出先で見ていたので)、家に帰ってからずっとその話をしていたような記憶があります。それほど脳裏にしっかりと刻まれた、大切な出会いでした。
そのあと当然のように原作本を買ってもらい、全7巻を順番に読んでいきました。
シリーズの中でどれが一番のお気に入りかといわれれば、もちろんいろいろあるのですが、今回は『ライオンと魔女』の話にとどめておきます。
疎開先の田舎のお屋敷を探検していたピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの四人が、魔法の衣装ダンスを通って「ナルニア」という永遠の冬に閉ざされた異世界に行きます。そこは、白い魔女に支配されていて、「人間が四つの玉座を埋めたときに、冬が終わる」という言い伝えがあります。
子どもたちはビーバー夫妻に導かれて、ルーシィを助けた咎で魔女に捕まったタムナスさんを助けるため、ナルニアの真の王アスランに会って王座に着くために、石舞台を目指しますが……
さて、わたしは初めてこの本を読んだときの感想をもう覚えていません。
何度も何度も読み返して、日本語でも英語でもこれほど読んだ本はないかもしれないくらいですが、折に触れて読み返しているので、「最初の感想」は記憶の層に埋もれてしまいました。読むたびに新しい気づきと、懐かしい記憶が混ざり合います。
こういう言い方もあれですが、もう本を手に取るだけで、思い入れの深い場面とそれを読んだときの感動がぶわっと脳内を駆け巡るので、読まずして読んだ気になれるくらいです。それでもまた読むけども。
好きなところはいろいろありますが、どこが一番好きかといわれれば、子どもたちがアスランの名を初めて聞く場面です。
いや、泣きそう。
いま書き写しているだけでリアルに涙ぐみました。なんて美しい場面でしょうか。
アスランに会いたい。
ああ、アスランに会いたいなあ。
物語は全編をとおして、このアスランへの強い憧れに導かれているように思います。
アスランという美しく力強く、善なる存在にまみえたい。
暖かな息吹を感じ、柔らかなたてがみに顔を埋め、逞しい前足の間に座って憩いたい。
そのためにこそ、わたしはこの作品を何度でも読みかえすのです。
感情的な話はここまでとして、これから訳の話に移りますね。
岩波版の訳者は、わたしの激推し、瀬田貞二氏です。
瀬田さんは『指輪物語』『三匹のやぎのがらがらどん』『おだんごぱん』などの翻訳もしています。本職は日本文学者で、特に日本の児童文学や伝承遊びに造詣が深く、『児童文学論』という大変重厚な研究書から、『幼い子の文学』という一般向けの文学論まで幅広く執筆しています。
瀬田さんの訳は声に出して読むと大変心地よく、子ども向けの物語であればこそ、「読んで意味のわかる」翻訳を心がけています。
翻訳の難しい点に、「原語ではそれなりの意味があるけれど、翻訳でカタカナにすると意味が消えてしまう」名前、というものがあります。日本語でいえば「桃太郎」などはいい例で、これを英訳するときに「Momotaro」としてしまうと「桃からうまれた」意味が通じない一方、仮に“Peach Man”などとしてしまうと、どこのアメコミヒーローか、となってしまうわけです。
で、瀬田さんの訳はその辺が秀逸なんですよ。と、瀬田信者のわたしは思っています。
『ライオンと魔女』ではその手の名前は“Giant Rumblebuffin”だけですが、これを「巨人ランブルバフィン」とはせず、「巨人ごろごろ八郎太」としたのは天才としか言いようがありません。元の英語のもつ印象と、日本語にしたときの語呂のよさを兼ね備えた、すばらしい名前じゃありませんか。
試しに、「きょじん ごろごろ はちろうた」と「きょじん ごろごろ はちたろう」と声に出して比べてみてください。
「八太郎」よりも「八郎太」のほうがおさまりがいいのがわかるでしょう。
そういうことなんですよ。
ほかの訳書の話になると、わたしは『指輪物語』のガンダルフの愛馬「飛陰」(とびかげ)も最高の訳だと思っていて、英語ではShadowfaxなんですが、走る姿の美しさと速さが名前からわかるじゃないですか。
天才。
(ものすっっっごくどうでもいいことですが、いま「とびかげ」って打って最初の変換候補に出てきたの「飛影」だったんですよどうしてくれるんですか。あやうくガンダルフの爺さんが邪眼の持ち主におんぶで運ばれるところでしたよやめてください。)
『指輪物語』でいえば「袋小路屋敷」とか「いとしいひと」とかもすばらしいですし、「ナルニア」に関していえば「たから石」と「泥足にがえもん」が至高だと思っています。
瀬田さんについて語りだすとキリがないので、これはこれでまたいずれ……
さて、大人になってから、「あのとき見た思い出のBBC版、DVDでないかな」と探したらありました。
買いました。
見ました。
着ぐるみがあまりにも着ぐるみで、ちょっとびっくりしました。
(90年代のドラマだもんねぇ…)
それなのに物語の精度はとても高くて、原作を大切に大切にしていることがよくわかりました。
物語の輝きは、変わらずそこにありました。
作品の完成度というものは、技術力だけによるものではないのだと、改めて感じたのでした。
そんなわけで、「映像でナルニアを見たい」と思ったら、BBC版を全力で推します。残念ながら全巻分は映像化されていなくて、4巻の『銀のいす』までなのですが……
「ナルニア」の訳書は最近いくつか出ていますが、瀬田訳以外でおすすめするならば、「角川つばさ文庫」から出ている河合祥一郎訳のものです。
イラストがかわいらしくて、大人が電車で読むにはこっぱずかしいですが、訳文は大変すばらしい。こちらも声に出して読みたい訳文です。
瀬田訳は名訳ですが、「瀬田節」とよばれる特徴の強い訳ではあるので、瀬田訳がしっくり来なければ河合訳をぜひお試しください(K文社はだめだK文社はやめてくれ頼む)。
これも書いているうちにまた読みたくなってきました。
「ナルニア」についてはほんっとうに思い入れが強くて、たまに過激派の影がよぎるのは許してほしいです。すみません。
でも普通に情景描写の美しさだとか、イギリスあるあるの話だとか、食べ物が異常に美味しそうな話だとか、書きたいことがたくさんあるんですよ。でも支離滅裂になりそうなので、ここで一旦とめておきます。
あ、「すてきにねとねとするマーマーレードケーキ」も最高の訳ですし、とてもお腹がすくので大変けしからんと思います。
マーマレードケーキ食べたい。
(いや食べたことある。イギリスのマーマレードケーキは知っている。読むほど素晴らしいものじゃない。でも読むととてつもなく美味しそうなのがふしぎ。)
おそまつ。
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