だから私はロシアのヤバい粉を使う
『だから私はメイクする』というエッセイとそれを元にしたマンガがある。今度ドラマ化されるようで、先日駅で広告を見た。
現代女性がメイクに寄せる悲喜こもごもを赤裸々につづった作品らしい。
女性のメイクは一筋縄ではいかない。
社会から課せらせた枠があり、流行がある。
色や質感の好みがあり、予算がある。
こう見せたいという戦略があり、こうありたいという願望がある。
楽しくもあり、煩わしくもある。
その辺がごちゃ混ぜになって、女のメイクはそんざいしている。
と思う。
わたしはというと、最近は「いかにアガるか」でメイクをしている。
だって、ロシアのヤバい粉に出会ってしまったんだもの。
“ロシアのヤバい粉”とあだ名される化粧品がある。
正しくは、Sigil Inspired という名のロシア製のメイクブランドだ。
主にアイシャドーを出しているのだが、このブランドは
・色味が豊富
・パールやラメがエグいほどきれい
・名前がかっこいい
のが特徴だ。
色味は常時400色以上ある。この時点ですでにおかしい。
だいたい、単色のアイカラーの多さで定評のあるシュウウエムラでさえ100色である。
これがどれだけ凄い数か、お分かりいただけるだろうか。
質感はマット、サテン、パール、ラメ、極ラメ、と様々。
400色もあるので、同じ色味でもラメやパールの粒の違うものもあるし、隣に並べなければ僅かな偏光の差が分からないようなものもある。
このブランドを一躍有名にしたのは、“Chromatic” シリーズという極彩色ラメのアイシャドウだ。
比喩ではなしに、ラメが七色に偏光する。
正面から見れば緑、斜め右から赤、斜め左から青、上から黄色、といったふうに、角度によって色味が変わって見える。そのグラデーションの美しさには、ため息しかでない。
極彩色ラメでなく通常のサテンタイプのアイシャドウでも、このすばらしさは体感できる。
わたしが今よく使っているピンク系のアイシャドウは、パッと見は肌馴染みのいピンクなのに、まぶたに乗せると角度によって薄い緑やゴールドを帯びるのだ。
鏡の前で首を振ってしまうのは、もはや恒例行事である。
便宜上“ピンク”と書いたが、このブランドにはただの“ピンク”は存在しない。
サーモン、コーラル、プラムさえない。
わたしが使っているのは「双子の月兎」で、ほかにピンク系では
「蔓薔薇に囚われて」
「幽霊の恋人」
「クレマチスに慈しみを」
を持っている。
見てのとおり、商品名が物語を秘めている。
Sigil Inspiredの本家サイトに行くとそこには地図があって、作品はそれぞれの地域に属している。
例えば、「双子の月兎」は「月面の高原」にあり、わたしのお気に入りの「オケニアス」は「霞深い国」にある。
白ベースのきらきらしたパールやラメは「錬金術師たちの城」にあるし、マットなパステルカラーは「白夜の光城」にある。
数種類の色味を合わせたセットには、「薔薇の香水」や「蜜柑の嵐」などの別のタイトルがついて、特別なストーリーが展開されている。
物語は力である。
錆び付いたコインに貨幣価値はないが、「これは江戸時代中期のものだ」となれば博物館で大切に所蔵される。
たまたま買った白Tシャツに思い入れがなくても、「それケイト・ブランシェットも着てるよ」と言われれば、とたんに自分がハイセンスになった気がする。
それが物語の力だ。
物語のある色を身につけるとき、わたしは物語の持つ力を身にまとっているのである。
などという一面も無きにしもあらずだが、基本的には
「わーい!たーのしーい!!」
というテンションでメイクをしている。
昔から、120色の色鉛筆やずらりと並んだ水彩絵の具のチューブを眺めるのがすきだった。
これはその延長なのだ。
色鉛筆や絵具は顔に塗れなかったけれど、化粧品なら塗っていい。
自分のすきな色を身につけると、それだけで嬉しくなってしまう。
なので最近のわたしは、鏡を見る度に目を細めて首を左右にゆらし、一人悦に入っている。
最高のキラキラと最高の色をまぶたに乗せているだけで、最高に気分がアガる。
自分のまぶたが最強である、と事あるごとに確認していれば、仕事なんて何のその。
多少の面倒ごとも、「我、ロシアの粉を身にまとう者ぞ?」と思えば自信も湧いてくる(気がする)。
もちろん、色選びで童心に帰っていようともわたしは大人なので、仕事のときはギランギランした色やラメを使ったりはしない。ベージュやゴールドの肌馴染みのいい色をメインに、アイラインにそっと濃い色を忍ばせる程度だ。
存分に遊ぶのは、休日出かけるとき。
着物や帯のいろに合わせると楽しい、というのを先日発見したので、もっぱら色合わせに試行錯誤している。
普段なかなか使わないような派手な色合わせは、家から一歩も出ない日に試したりしている。
とても楽しい。
メイクには、女の様々な感情が詰まっている。
化粧品の力を借りなくたって、自分に自信が持てればそれに越したことはないかもしれない。
好きな色で遊びたくても、職場の規定でできないかもしれない。
容姿が、年齢が、イメージが、周囲の好奇の視線が、自分の好きなものを抑圧するかもしれない。
ほんとうに、メイクにはいろいろある。
わたしもいろいろ考える。
考えるけれども、そんなものは途中で全部放り出したい。
だって、きれいなものはいいものだ。
抜け感がなんだ、ナチュラルメイクがどうした、今年の流行がブラウンだとか知ったことか。
だってわたしは、深い青を湛えた翆色に心惹かれる。
おいしそうな葡萄色から目が離せない。
雲母のような輝きをばらまきたい。
だからわたしは、ロシアのヤバい粉を使う。
色にも物語にも力がある。
気の向くままに色を並べて、物語のなかで遊ぶ。
だってだって、やっぱりきれいなものは、いいものじゃないか。