サイアノ和紙作家雑記 VOL.32 『じぶんの美に出会うためとその先にあった矛盾』
礼文島の初日、二日目は
低い雲がかかり、
ずっと霧雨が降っていた。
「この島は波長が合いそう」
下調べもせず渡って来たのは
直感を信じたから。
だから、何も見ずに去るのが
なんか嫌でじっと我慢。
観光案内で情報を仕入れ、
海岸でメノウを拾い集め
キャンプ場で地元の食材を
シンプルに食らって過ごす。
迎えた三日目、
雲の切れ間から
やっと出た陽射し。
ほぼ最北の岬から、
島の西側を歩く。
眼に飛び込んで来る色は
深い青の海と
断崖絶壁の黒茶色。
丘陵の笹や低木の緑と
空の青と雲の白。
シンプルな色彩が
太古の時代を想起させる
ダイナミックな景観を
より一層、引き立てる。
内地では30度後半の
熱波だというのに、
最高気温が20℃の
浮世離れ感も
遠くに来てる感を
増幅させる。
端くれでも写真家の性か
カメラは持っていた。
でも、結局使ったのはiPhone。
日時や場所も記録できて
便利だけじゃない、
理由がある。
夕陽に向かって
宗谷海峡を航行する
サハリン行きのフェリー。
真っ暗な松前の海に
浮かんだ月明かりの道。
春の夕暮れ時、
屹立する雪山が
紅く染まった一瞬
旭川の街の青空に
ふぁっと浮かび上がった
大雪山の旭岳
島々がぼんやりと浮かんだ
まだ薄暗い早朝の瀬戸内。
今までに出会った
神々しい瞬間。
大体が移動中に
眼にした光景だから
撮れなかった。
それでよかったと思う。
琴線に触れて
心に刻んだ光景を
撮ってしまい写真にすると
美しいとは何かに鈍感になる。
感じられなくなると思う。
じぶんの内に取り込み
芽生えた感性が
外から来た写真に
記憶がかき消されてしまう。
本当に美しいと
感じる何かに出会い
感性を高めることで
撮るという行為の中での
美を引き上げることに
繋がると思う。
だから、撮らなくても
まだ視たことのない
何かに出会うため、
いろいろな場所へ
行っていると思う。
撮らなくても視らられば、
じぶんじしんは満足できる。
カメラじゃなくてもiPhoneで
撮っているじゃないか?
確かにそうだ。
すこしだけ言い訳をすると
カメラを使えば
こう撮ろう、あー撮ろうと
一応写真家の性が出てしまう。
iPhoneだったら、
フレーミング位しか考えず
シャッターを押すだけ。
100%ピュアではないが、
余計な意識は介在しない。
本当はじぶんのために
美しい光景を心に刻めば
よいだけなのに、
なんらかの手段で
伝えようとしている。
いま書いていて
気が付いた矛盾。
なかなか奥が深くて
おもしろい。
もっと向き合い
ちゃんと考えていこう。
扉が開くと
また次の扉がやってくる。
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