英語の重要性を再考する
*2015年に書いたものを2020年リライトしています。
最初に私たちが考えていた教育移住のテーマは、
多様性と自然環境
でした。
子どもたちが小さい頃は特に、自然から教えてもらうことは多いはず。読み書きそろばんを勉強するよりも、畑やたんぼを走り回ることで学ぶことのほうが多いと思っています。
自然豊かな場所に住み、多様性に触れながら成長し、他社との違いを受け入れられる人になってほしい。
と思っていたのですが・・・。
海外の教育現場を見たり、いろいろな本を読むにつれ、やはりこれからの時代に生きていく子どもたちに大切だと思えてきた「英語」。
多分私は脳の構造的に言語が得意な方なので、高校を卒業してからの留学やワーホリ、外資系企業での経験によってビジネスでは困らない程度に話せるようになりました。
なので、子どもが小さい頃から英語習得に力を入れる必要はそれほどないかなと考えていました。が、夫はこの点は真逆の考えで、将来、職業や住む場所は本人が決めればいいが、その選択肢は多いほうがいいと。
夫本人が英語にかなり苦労したそうで、アメリカに大学院留学をして外資系企業に勤務したあとも、英語への苦手意識は消えないのだそう。
これまでの人生は、私が一番「英語ができてよかった」と思ったのは、実は2011年3月の震災の時。毎日入ってくる「健康に被害はありません」という日本語の情報は、イマイチ信用できなかったので、情報収集は英語でしていました。
その時ばかりは本当に「英語ができて本当に良かった」と思いました。
これからも、きっとそういう状況はやってくると思っています。安保条約が可決され、TTPだって、北朝鮮問題だってある。これからの日本に住んでいく中で、残念ながら日本語だけで情報収集して生きていくのは安全とは言い切れないかもしれない、と感じています。
2020年の今、コロナのニュースもやはり英語で収集します。
ですが、いくら調べても、自然と多様性があり、英語を学べる、そして経済的に現実的な、そういう学校は見つかりませんでした。リサーチは得意分野なので、2015年時点では本当になかったのだと思っています。
そもそも、英語は学問ではありません。2000時間使いさえしたら、誰でも話せるようになる一つの言葉でしかありません。もっと大事なところは、その英語というツールを使って何を考え、何を言うか。
人として、自分で物事を考えて意見を持つという「人としての根っこ」を育てることと、英語教育をするということは、両立できないのかな・・・。
きのくにこどもの村学園でやっているような、自分で考え、実行していくようなプロジェクトベースの授業を例えば英語でやるというような学校があれば、ちょっとくらい経済的にしんどくても頑張って入れてあげたいと思うのですが。
まさかの「なかったね」というオチでした。