人に期待するのをいつからかやめてた
大学くらいまでは「期待」という言葉は、親や学校の先生など大人が子どもに向けて使っていたという印象が強い。
トップの世界を目指すことを除いて、周りと比べて何かしらの分野で秀でた能力を見つけると飛び出せる・いい方向に行く可能性を感じるからだろう。
あとは、大人が実現させられなかったことを子どもに託して期待することも多いとよく聞く。
自分自身は親になった経験がないので自分の子どもに抱く期待は理解できないが、大学時代に学習塾でバイトをしていた時に打てば響くような子・得意なことがはっきりしていて生き生きしていた子には、将来得意な分野で活躍してもらいたいな、とひっそり思っていた。
叶うかもしれない夢みたいなものに期待していたんだと思う。
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大人になるにつれ、自分が他人に対して「期待」をすることが増えた。
仕事、日常生活、恋愛など、ちょっとしたことから深いことまで。
子どもに使う夢のような遠い将来に対する「期待」とは違う、もっと短い期間で見る、もっと現実的な世界での「期待」。
「言わなくてもこうしてもらえるだろう」とか「好きになってもらえるかも」等。
自分の望むことが相手に実現してもらえるだろうと勝手に思って待ち受けてしまう。そして、思い通りにならないと相手が悪いと思ってしまう。
これを繰り返していくうちに、うまくいかない現実に振り回されて疲れてしまう事に気づき、どんどん期待することをやめるようになった。逃げに近いかもしれないが、心はラクになる。
自分は変えられるが相手は変えられないことに気付くのに20数年はかかった。
そして初めから期待をしないと決めていると、思い通りにならなくても冷静に次の打ち手を考えられるようになった。
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期待をしなくなると傷付きにくいし、思い通りにならなくても最初からうまくいくと思ってなかったと(言い訳っぽいが)心の逃げ道を作ることができている。
最近では期待しなさすぎて感情の抑揚が小さく、変化もあまりないといった質素な状態になった。
そんな中、こんなことが起きたらいいな、やってみたい、と心を躍らせるような事に出会うと、子どもの時ほどの無限の可能性はないが、ちょっとだけ自分で自分に期待をしてしまう。
生き生きしている諸先輩方を見ていると、可能性のあることを見つけ出し、時には同じ志を持ったメンバーを集め、自分で実現させる、といったことをしているのではないかと書いていて気付いた。(合っているかわからないが…)
なんとなくわかっているのは、実現可能性の高い期待をしてうまく自分を動かしていること。
自己啓発的な内容になってしまったが、僕も自分への期待をうまく使って過ごしていこうと思う。
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