当事者と部外者 ~CHAOS;CHILD(カオスチャイルド)考察~
※本編を履修済みであることが前提の記事ですので、未プレイの方が読むことは御遠慮ください
……何気ない記述にこういう小ネタが仕込まれていたりするから油断できない。
と、それはさておき今回はカオスチャイルドという作品の中で起こった出来事を「当事者」「部外者」という観点を取っ掛かりにして、ちょっと掘り下げてみたいと思います。
【被害者たちについて】
最初のプレイ時において私は「事件の猟奇性」「被害者の共通点」ばかりに目を奪われ「被害者それぞれの持つ意味」についてあまり深くは考えていませんでした。
ゆえに例えばそれぞれが持つ能力の違いも「個性付けのためのフレーバー」ていどにしか考えていませんでした。ですがあるいはそれは誤りであったかもしれない。まずはそこを切り口にして書き始めることにします――
【第一~第三の事件】
物語の導入は渋谷地震の概要に関する説明を経た後に、最初の被害者である大谷悠馬の視点で始まります。
それに続き第二の事件の被害者である高柳桃寧の視点を経て、その後にようやく本編の主人公である宮代拓留の視点へと移ります。
つまりこの時点で、既にプレイヤーは警察どころか主人公すらも知り得ない事件当時の詳細な状況に関する情報を持っていることになるわけですね。それは例えば以下のようなものです――
事件当夜に大谷の部屋を訪れた者が二人いた
事件当時の大谷と高柳は何か催眠術のようなものを受けていた
大谷も高柳も不思議な能力を有していた
この段階でプレイヤーは、本件がたんに猟奇的なだけの事件ではなく、何かしら超常的な力が関与しているであろうことを知ります。
いわば導入で目にする二つの事件は、これから起こっていく惨劇が「いかなる性質のものか」をプレイヤーに示すチュートリアルのようなものですね。
そこに宮代拓留が目撃する第三の事件の情報加えると、第一章でプレイヤーが目にする三つの惨劇には事件の核心に迫る情報が数多く含まれていることがわかります。上でも書いた二人組の訪問者にしてもそうですし、第三の事件の被害者である柿田広宜の能力である思考盗撮にいたってはヒントとしてはモロですよね。
ヒントという意味なら高柳の感情誘導もそうでしょう。大谷が催眠術めいた方法で自殺同然の形で殺害された直後に高柳の事件が描かれるわけですから、
「人間の思考や行動を操るような能力も有り得る」
ということをプレイヤーに示すヒントとしては十分でしょう。
……しかしそう考えるとわからないのは大谷の未来予知の能力です。真相がわかった後になって振り返ってみれば高柳の感情誘導や柿田の思考盗撮はかなり直接的なヒントです。そんな中でいちばん最初に出てくる大谷の未来予知だけが不自然に浮いている。
これについてはTRUEにおける世莉架のモノローグにその答えとなるかもしれない描写が見られます――
【有り得たかもしれない未来】
この光景を見たために意識が逸れた世莉架は急所を外してしまい、乃々はかろうじて一命をとりとめます(※OVER SKYルートとの大きな違いの一つ)
世莉架の能力は思考盗撮です。ゆえに世莉架が見た光景は「乃々から読み取ったもの」であるはずです。
乃々当人ですらおそらくは自覚していない――それどころか起きてすらいない異なる未来の記憶をなぜ彼女は持っていたのか?
これに関する私の意見は以下の記事、
に詳細を書いておりますので、気になる方はそちらを参照していただくとして、ここでは簡潔に結論だけ書きます。
プレイヤーがTRUEにいたるまでに見てきた個別ルートの光景は、妄想シンクロの閉じた輪の中で宮代拓留が有り得たかもしれない世界線の光景を、
「これこれこういう妄想だったのさ」
という形で観測し近しい者たちと共有し合っていたものだったのではないでしょうか? つまりは簡単に言えば未来予知のようなものです。
物語のいちばん最初に未来予知の存在が提示されるのは、これからプレイヤーが目にしていくことになる個別ルートの光景の正体を暗示するヒントだったのではないか……というのは私の考えすぎでしょうか?
【捏造されたスクープ】
さて、お次は第四の事件の被害者である渡部友昭についてです。
彼は念写の能力を駆使して、事件の証拠写真や動画を捏造することでネット記者として名を上げました。
渡部の場合において重要なのは「能力が念写である」ことよりも「捏造されたスクープで名を上げた」という点です。
一連の事件の裏にいる犯人の目的が何であるかということを考えると、渡部の存在は何やら暗示的に思えてきます。
【南沢泉理とされる黒焦げの死体】
第五の事件の被害者は杯田理子です。
彼女は当初、南沢泉理だと考えられていました。また杯田理子自身も思考誘導により自分が南沢泉理であると思い込まされていたようです。
南沢泉理の名を利用することは、思考盗撮で来栖乃々(を演じる本物の南沢泉理)の思考を読み取った世莉架の発案によるものですが、各事件において実際の殺し方を決めていたのは思考誘導の佐久間でした。
共犯者である佐久間も世莉架を介して乃々の正体が泉理であるという事実や、泉理が本物の来栖乃々の遺体をどのように処したかについては知っていたものだと思われます。そのうえで、
「南沢泉理だと思われていた黒焦げの遺体がじつは別人のものだった」
という状況を創り出したのは、佐久間の悪趣味によるものでしょう。
【殺すべきではなかった者】
第六の事件の被害者は拓留の義妹である橘結衣です。
ついに身内の中から犠牲者が出てしまった衝撃も冷めやらぬまま、続く第七の事件で乃々までもが凶刃に倒れます。そして明かされる世莉架の正体と目的——
宮代拓留の生存を助けるのが世莉架の目的であり生きる意味。
世莉架は拓留を守るため、黒幕である佐久間に脅迫されて能力者狩りへの協力を余儀なくされていたというのが一連の事件の真相だったのです。
……と思わせておいて、
六年前の「ニュージェネレーションの狂気」の再来を思わせる大事件を起こして、それを拓留に解決させるよう導く。そうして拓留の承認欲求や英雄願望を満たしてやる、それこそが世莉架の本当の目的でした。
……つまり全ては宮代拓留が心の奥底で望んでいたこと。
真相の裏にあった更なる真相。
いわゆる「ラストのどんでん返し」というのがこの一連の流れが持つ意味ですね。要は「探偵役こそが犯人の正体だった」という衝撃のオチだったわけです。そのはずなのですが、
「……なにかおかしくないですか?」
六年前の事件における西條拓巳と同じような流れを拓留に体験させ、そして冤罪のヒーローに仕立て上げるというのが世莉架の計画でした。しかし仮にそうだとすると明らかに辻褄の合わないところが出てきます。それは、
「でも、妹が死んじゃってるよね?」
という点です。
六年前に起きた一連の事態の中で西條拓巳の妹も被害に遭ったのは事実ですが、しかし拓巳の妹は死んではいません。西條拓巳が辿った流れを宮代拓留に追体験させるのが狙いであるならば妹が死んではいけないはずなのです。
ましてその次に乃々が殺されたときなど、ショックのあまり拓留は危うく世莉架の用意したゲームから降りてしまうところでした。
「宮代拓留は当事者であることにこだわっている」
というのは世莉架の弁ですが、自分や近しい者たちの身が危険に晒されそして「頼れる義父だと信じていた佐久間が黒幕だった」という真相を提示されるだけでも、拓留が事件に対し当事者意識を持つには十分過ぎる要素でしょう。
それにヒカリヲで拓留が思考誘導を受け暗闇に意識を閉じ込められたとき、彼が思い浮かべた「自分が望むこと」は、
―—家族や仲間と共に過ごす穏やかな日常でした。
拓留に承認欲求や英雄願望があったということ自体は本当でしょう。しかしどう考えても「結衣や乃々の死」までをも拓留が望んでいたわけがないのです。
どんでん返しを経て衝撃の真相が明かされたかのように思われた共通ルートでしたが、しかしそこには「結衣の死」という大きな矛盾が残されます。そしてその矛盾の答えは来栖乃々の個別ルートにありました、
結衣が殺されたのは拓留の願望が形になったものではなく、世莉架自身の意志によるものだったわけですね。
つまり共通ルートで乃々が殺されたのもまた世莉架の嫉妬が理由だったと。なるほどこれこそが共通ルートでは明かされなかった本当の真相か。
……と思わせておいて、
【殺すはずではなかった者】
……で、よりにもよってそこに拓留が現れてしまったと。
振り返ってみれば共通ルートでの、
——このやりとり、真相がバレてなお世莉架が悪足掻きしているかのように見えましたが、じつは乃々の死に限って言えば「本当に違った」んですね。もちろん拓留も、
こんなことを言ってるくらいですから、心の中では、
「あ~、なにか大事件でも起きないかなあ。そしてそれをこの僕が華麗に解決なんかしちゃったりして……」
みたいなことを妄想したりもしていたのは確かなのでしょう。
しかし、少なくとも乃々の死に関しては拓留が望んだことではないどころか、世莉架にとってすら完全に想定外の殺人だったわけです。
さてここまでの流れですが、
これが真相
↓
じつはこれが真相
↓
ではなくてこれが真相
↓
と思わせておいてこれが真相
……いったい何が本当の真相なんだ。
まるで、目覚めても目覚めても夢の中から抜け出せず永遠に現実へ辿り着けない、そんな終わらない悪夢を見ているかのような状況です。
とはいえ、ここまで明らかになったことを総合して見る限りでは、やはり残念ながら宮代拓留が全ての元凶だったと言えるでしょう。
拓留がいなければ世莉架は生まれなかったわけですし、であれば世莉架が暴走の果ての凶行に及ぶこともなかった。
……しかし、それをもって宮代拓留の責任を問うことが果たしてできるでしょうか?
拓留は地獄のような渋谷地震の中で「ただ願っただけ」です。しかもその願いは、
「僕にやりたいことを与えてよ。それを、叶えさせてよ」
という漠然とした内容に過ぎません。まさかそれが「連続猟奇殺人事件」という歪んだ形で現実のものになってしまうなど、誰にも予想できようはずもありません。そもそも「願っただけでそれが現実になる」こと自体が本来なら有り得ないことなわけですから、今回の件は二重に予測不可能だったと言えるでしょう。
……ですが、たとえ予測不可能であったとしても結果的に宮代拓留が事件の原因の一端を担っていたこともまた曲げようのない事実です。
その結果を重く見るのであれば、宮代拓留の身に降りかかった不幸は彼の身から出た錆――いわば自業自得の所産であった解釈することもできるかもしれません。
いずれにせよ宮代拓留さえいなければ、誰も悲しむことは無く、何事も起こらないまま時は平和に刻まれていったはずだというのは確かなことなのです。
……と思わせておいて、
【カオスチャイルド症候群】
※れいのショッキングな画像はあえて載せません
これまでPTSDの一種かと思われていたカオスチャイルド症候群でしたが、実際には全く異なるものでした。
症候群患者たちは集団で妄想シンクロの輪を形成して理想の渋谷の妄想を共有し合っていたのです。さらにそこには老人化現象という副作用のオマケがついていました。そして明らかになる和久井修一の目的、
六年の歳月をかけ実験の準備を整えて「いざ」というときに、偶然にも世莉架が先に事件を起こしたわけです。
和久井の予定とは違ったものの「これはこれで実験に利用できる」ということで、和久井と世莉架の利害が一致し両者の間で相互不可侵の協定が結ばれました。言い換えるなら、
「仮に世莉架が事件を起こさなくても、結局は和久井が事件を起こしていた」
ということになります。
それに和久井とは別に佐久間もまたギガロマニアックスの研究を行っていたわけですから、仮に世莉架や和久井が何もしなくても、やはり佐久間の手により何かしらの事件は起きたことになります。
さらに委員会の意向では当初、
「イレギュラーである症候群患者は全て掃除する」
予定だったわけですから、和久井が実験を提案しなかったなら「本来なら、もっと早い段階で症候群患者たちは処分されていた」ことになるでしょう。
仮定に仮定を重ねて、もし上記のいずれもが何もせず症候群患者たちを放置したとしても「老人化現象」が起きている事実は変わらないわけですから、どのみち症候群患者たちの命は長くはもたなかったことでしょう。
つまりカオスチャイルド症候群というものが発生したその時点で、既にあらゆる意味で症候群患者たちの未来は絶たれていたということになります。この事実が明らかになった時点で、
「宮代拓留さえいなければ、何も起こらず時は平和に刻まれていたはず」
という仮定は崩壊します。
拓留がいようがいまいが渋谷地震は起き、症候群は発生し、事件は起き、どのみち症候群患者たちに未来は無かった。それどころか、宮代拓留の身に降りかかった不幸を、
「自らが願ったことが招いた結果であるならば、たとえ予測不可能な事態であってもそれはやはり当人の自業自得である」
とするならば、全く同じ理屈により「症候群患者たちを襲っている絶望的な状況」もまた彼らの願いが生み出した自業自得の結果であるということになってしまうでしょう。
しかし、そもそも全ての元凶である渋谷地震は自然災害ではなく人災です。あのとき渋谷にいた被災者たちは実際には人災の被害者でした。
六年前のあの時間に渋谷にいた人間は(ごく一部の者を除き)誰もが等しく被害者であったし、誰もがカオスチャイルド症候群を発症する可能性がありました。あの地獄のような光景の中にあって「何かを願わずにいられた者」などおそらくは誰一人として存在しなかったでしょう。
結果的に「症候群患者になった者」と「ならなかった者」に分かれたのは各々の選択の結果によるものではなく、いわば「たんなる偶然」にすぎません。それでもなお、宮代拓留を含む症候群患者たちの身に降りかかった不幸を「ただの自己責任」だと切り捨てることが妥当であると言えるでしょうか?
……ですが、そんな問答に意味は無いのかもしれません。責任の所在をどこに求めたところで「症候群患者たちの未来が絶たれている」という絶望的な事実は変えようが無いのですから。
……と思わせておいて、
【宮代拓留】
事件後、宮代拓留には症候群からの回復の兆候が見られました。症候群からの最初にしてただ一人の帰還者です。
そしてこれにより渋谷を包み込んでいた妄想シンクロの輪に綻びが生じました。宮代拓留の存在が突破口となり、症候群を治療する糸口が発見されたのです。
……さて、こうなると宮代拓留という存在の持つ意味がまたしても大きく変わってきます、
拓留さえいなければ何事も起きなかった
↓
いてもいなくても結局は変わらなかった
↓
拓留がいたことで症候群を治す突破口が見つかる(いまココ)
そうなると、初回で共通ルートにおいて提示された真相の見え方もまた百八十度変わってくることになるでしょう。
自らの願いがどんな結果を招いたのか、何も知らずに生きてきた自分こそが本当の情弱であったということに拓留は気付き、そして認めます。それが共通ルートで示された真相です。しかしTRUEで判明するのは、
「じつはカオスチャイルド症候群患者の全てが、自分の願いが招いた結果と自分が置かれている状況に気付いていなかった」
という事実です。ある意味では症候群患者たち全員が「情弱」であり、その中にあって、ただひとり宮代拓留だけが「気付いていないということに気付いた」わけです。
……もともと宮代拓留はけして特別な存在ではありませんでした。彼が渋谷地震の被災者となったのはたまたま渋谷に住んでいたからであり、彼が症候群患者となったのも外的要因と偶然の産物にすぎません。
宮代拓留がギガロマニアックスの能力に目覚めたのも、彼が人一倍臆病でコンプレックスが強かったのが原因であり、彼が他より優れた存在だったからというのが理由ではありません。
それら全ては何一つ宮代拓留が自分の意志で選んだものではありませんでした。そして彼が「ただ願っただけ」で引き起こされた事件でさえも、彼がいようといまいと結局は起きたはずのものでした。
「いてもいなくても変わらない、その他大勢の弱くて臆病なただの人間」
……つまるところそれが宮代拓留という存在でした。
そんな彼が「特別」に憧れ真実を追う中で辿り着いた真相は、彼にとって最も不都合で受け入れ難いはずのものでした。にもかかわらず彼はその事実と向き合う決断をし、その先に待ち受けるであろう過酷な運命を思い恐怖に震えながらも選択と行動をしました。……そうして彼は最初にしてただ一人のカオスチャイルド症候群からの帰還者となったのです。
【当事者と部外者】
宮代拓留の存在が突破口となり、カオスチャイルド症候群は解消されることになりました。そしてそれは彼ひとりの手によるものではなく、神成や久野里といった他者の協力があってのものです。
……さて、そんな神成と久野里ですが、彼らは症候群患者ではありません。最初から最後まで妄想シンクロの輪の外にいたという意味で彼らは「部外者」です。しかしながら彼らが「輪の外にいた部外者」であったからこそ、真実に辿り着いた拓留に手を貸し事態を解決へと導くことができたのだと言えます。
カオスチャイルド症候群に関する都合の悪い事実を認識することができない「いまだ輪の中にいる当事者」では、真実に辿り着いた拓留に手を貸すことなどできるはずもなかったでしょう。
……思えばこの図式は「被災地の復興」に似ているかもしれません。
被災者の気持ちは実際にそうなった者にしかわからないものでしょう。これはちょうど「妄想シンクロの輪の中にいる者が見ている光景は、輪の外にいる者にはわからない」のと同じですね。
そして復興というのは被災者以外の多くの人間の支援や協力を経て行われていくものです。被災者たちの自助努力だけで全てを行おうとすれば復興は極めて困難なものとなることでしょう。被災地とならずに済んだ場所があるからこそ、被災地の復興は迅速に進めることができるのです。これもまた部外者である神成や久野里の協力があればこそカオスチャイルド症候群に関わる事件が解決できたことと重なります。
しかし一方で「通常の災害」と「カオスチャイルド症候群」の間には明確に異なる点もまたあります。忘れてはならないのは通常の災害において、
「支援を行う部外者と、支援を受ける被災者の関係は固定されたものではない」
という点です。
日本で暮らす以上は誰もが洪水や地震の被害を受ける可能性があります。今日「部外者として支援する側」に立った者が明日には「被災者として支援される側」に変わるケースなど珍しくありません。その逆にかつて被災者として支援を受けた経験のある者が、部外者として支援を行う側に回ることもある。両者の関係は流動的であり、そして同じ地続きの世界で生きています。
……しかしカオスチャイルド症候群がもたらした状況はそれとは全く異なるものでした。
症候群患者とそれ以外の人間は「妄想シンクロ」という見えない壁に隔てられ、同じ渋谷にありながら見ている世界が完全に分断されていました。両者の関係は「隣り合っていながらけして交わることのない平行線」のように切り離されたまま固定されていたのです。
……唐突なようですが、ここでちょっとギガロマニアックスの力についておさらいしてみたいと思います。
ギガロマニアックスは妄想を具現化する力を持ちます。そして「リアルブート」と呼ばれるこの力により具現化された物体は、他人が見ることもできるし触れることもできる。そうなるともはや妄想は現実と変わりません。
そんな能力が実在する世界において「どこまでが最初から存在した物」で「どこからがリアルブートされた妄想の産物」かを厳密に区別するのは不可能であると言えるでしょう。その点で言えば「妄想と現実を区別する行為そのものがもはや無意味である」と考えることもできるかもしれません。
以上のことを踏まえて、あらためてカオスチャイルド症候群患者たちの置かれている状況を考えてみましょう。
症候群患者たちは理想の渋谷の妄想を創り出して互いに共有し合っていました。しかしそれは「症候群患者たちの間だけで共有されている妄想」であり、それ以外の人間はその輪の外にいました。輪の外にいる人間は症候群患者たちが見ているのと同じものを見ることができないし触れることもできない。上でも述べたことですが、
「同じ渋谷で暮らしているはずなのに、世界が二つに分断された状態で固定されている」
といった状況です。より注目すべきは「どちらの見ている世界が真実か」ということよりも、症候群患者たち「だけ」が「分断されているという事実に気付いていない」という点です。症候群患者たち以外の者たちは、
「どうやら症候群患者たちには、そうでない私たちとは違うものが見えているらしい」
ということそのものは認識していました。しかし症候群患者たちの側はそのことを認識していない。症候群患者たちの妄想はそれ以上広がることのないまま、小さな輪の中で閉じていたのです。
……そんな閉じた輪を打ち破ったのは宮代拓留という人一倍臆病な少年でした。そして個別ルートで描かれる彼の姿に共通する点は「守られる存在から、守ることのできる存在への成長」です。
偶然手に入れたギガロマニアックスの力が宮代拓留の「弱さ」の象徴であったとしたなら、自らの意志でその力を捨てたことこそが、本編における彼の成長と「強さ」の証であったのかもしれません。
【追記:尾上世莉架】
……重要な人物についての記述を忘れるところでした。
画像で拓留が言及しているのは、言うまでもなく世莉架のことですね。しかし彼の言う、
「他の症候群の人たちには、そうと気づかせてくれる友達が、いないんだと思う」
というのはどういう意味でしょう?
他の症候群患者たちにも友人はいたはずです。現にいま拓留たちがこうしている間にも、症候群患者たちは妄想シンクロの輪の中で気の合う友人同士で集って平和な生活を送っています。彼らと世莉架は何が違ったというのでしょう?
世莉架は拓留によってリアルブートされた存在です。それゆえ普通の人間と成り立ちが違うのは確かです。しかしある意味でそれ以上に重要なのは、
「世莉架はカオスチャイルド症候群患者ではなかった」
という点です。これはTRUEで世莉架が新聞部の部室で見つけた、乃々とのツーショット写真を見ても明らかですね。乃々に老人化現象が見られた一方で、共に映っていた世莉架はピチピチお肌の若者でした。
つまり、劇中で拓留や新聞部の面々+αと行動を共にしている間も世莉架だけが独りずっと妄想シンクロの輪の外にいたということになります。
さて、そうなると共通ルートの終盤に出てくるこの、
信憑性皆無なサイコパス診断の話から始まるくだり、
……ここの持つ意味もちょっと変わってくるとは思いませんか?
重要なのは、この時点の拓留はまだ妄想シンクロの輪の中にいたという点です。
よって症候群に関する都合の悪い情報は全て歪められてしまい、拓留には認識できない状態にあります。この時点の彼には知る由もありませんが、奇しくも、
「世莉架は、向こう側。僕は、こちら側」
という言葉は実に的を射ていたことになります。仮にこの時点の世莉架が「普通の女の子」であったとしても、妄想シンクロという見えない壁によって隔てられている限りは、どのみち拓留には世莉架を理解することは絶対に不可能です。と言うよりも「普通の人とは違うところを見ていた」のは実際には妄想シンクロに囚われている拓留のほうだったわけです。言い換えればそれこそが、
「なぜOVER SKYでは世莉架は元に戻ってしまったのか」
の答えになるでしょう。つまり、
拓留が妄想シンクロの輪に囚われている限り、彼には「輪の外」にいる世莉架のことを正しく認識することができない。そしてまた都合の良い妄想——従順で可愛い幼馴染——を求めてしまう。
拓留が世莉架と真に向き合うためには、彼が妄想シンクロの輪から脱することが必要不可欠だったのです。彼の言う「そうと気づかせてくれる友達」というのは即ち、
「拓留たちが妄想シンクロで見ている都合の良い幻想を(思考盗撮によって)知りながら、しかし自分だけは孤独に現実の側に身を置きつつそれでもずっと傍らに寄り添ってくれていた存在」
ということなのでしょう。
……それにしてもなぜ世莉架はカオスチャイルド症候群に罹っていなかったのか?
単純に世莉架が症候群を発症する条件を満たしていなかったというのもあるかもしれません。しかしそれ以上に重要になるのは彼女の生まれてきた意味と目的です。世莉架の目的は、
「拓留にやりたいことを与えて、それを叶えさせてあげること」
です。これを達成するためには「現実を正しく認識しており」かつ「拓留たちが共有している妄想の内容も知っている」必要があります。
そのためには世莉架は妄想シンクロの輪の外にいる必要があったし、妄想シンクロによって隔てられた拓留の考えていることを知る手段——思考盗撮——が不可欠だったわけですね。
……さて、それらを踏まえてちょっと世莉架が生れ落ちてからの状況を考えてみてください。
世莉架を生み出してすぐ宮代拓留は一年もの長きにわたり昏睡状態に陥りました。この間ずっと世莉架はやることも無いまま放置されていたわけですね。
そしてようやく宮代拓留が目覚めたとき……既に世莉架のすべきことは無くなっていました。
宮代拓留が昏睡から目覚めたとき、彼の目の前には来栖乃々がいました。そして乃々は拓留がある意味で本当に求めていたもの——暖かな家族と友人——を彼に与えました。
世莉架には拓留しかいないが、拓留には世莉架以外にも大事な人々がいる。そして世莉架がいまさら何かをする必要もなく、既に拓留は求めていたものを手に入れようとしている。
拓留は言ってみれば世莉架の生みの親です。それだけでなく彼女に生きる目的をも与えました。しかし「親である拓留はそれを認識しないまま、新しい家族と幸せな日々を過ごしている」うえに、世莉架は「生まれてきた意味も失った」ことになります。
世莉架は独りツラい現実の側に身を置きながら、拓留たちが幸せな妄想を共有している様子をすぐ傍で輪の外から見ていることしかできない。いわば世莉架は親である拓留に生まれてからずっとネグレクトされ続けていたことになります。
……普通ならば狂ってしまってもおかしくない状況です。世莉架は普通ではありませんでしたが、それでもなお耐え難かったであろうことは後の暴走を見ればわかります。
思えば10章で拓留が語る世莉架に関する話のこれ、
これらは全て拓留がイマジナリーフレンドに与えた空想上の設定ですが、皮肉なことにリアルブートされて以降の世莉架の置かれた状況はまさにその設定どおりになってしまったわけですね。
世莉架の犯した罪を拓留が背負ったのは、言ってみれば「我が子をそこまで追い詰めてしまった責任を親の務めとしてとった」ということになるのかもしれません。
……さて、そんな世莉架が物語の中で果たした役割について少し考えてみましょう。先に宮代拓留に関する考察をしたときに、
「拓留がいてもいなくても事件は起きたが、拓留がいなければ症候群は治すことはできなかった」
といったような話をしたのを覚えているでしょうか? では世莉架に関してはどうでしょうか、仮に拓留だけが存在していて世莉架がいなかったとしても和久井(や佐久間)が事件を起こしていたはずです。ならば世莉架の存在は必要なかったのか?
……答えは「否」であると思います。
世莉架の起こした事件と、和久井らが起こすであろう事件には明確にして大きな違いがあるからです。
和久井たちが起こす事件はあくまでも「実験のためのもの」であるのに対して、世莉架の起こす事件は「拓留に解決させるためのもの」です。
世莉架の御膳立てがあればこそ拓留は都合良く事件を追っていくことができたわけですし、ある意味では個別ルートでヒロインたちと拓留の縁を結んだのもまた世莉架です。もしも事件の仕掛け人が他の者だった場合はそうはいかなかったはずです。
仮に最大限「拓留に都合良く」シナリオが進んだとして、その場合は以下のような流れになるでしょう、
和久井たちが裏で手を引き事件を起こす
↓
拓留がその真相を追う
↓
黒幕が和久井たちであることが判明する
↓
ギガロマに覚醒した拓留が和久井を倒す
↓
ハッピーエンド(?)
一見すると大団円ですが、しかしこれでは肝心のカオスチャイルド症候群の問題は解決しません。和久井(や佐久間)が症候群を引き起こしているわけではないのですから、彼らを倒したところで大元の問題は解決しないのです。
あらためて思うに、この画像「亀裂の入った鏡面に映った世界」を「妄想シンクロが見せる世界」とするならば、そこに空いた穴の向こう側に世莉架が立っているという構図は実に象徴的です。
妄想シンクロの輪の中でいくつもの世界線をめぐり、各ヒロインたちと絆を結びながら真実の断片を拾い集めていく。そうして得たものが世界を隔てる壁を破る力となり、そのときになって初めて「輪の外側」にいる世莉架の実像に迫ることができる。
拓留が真実に辿り着きそして妄想シンクロの輪から抜け出すことができたのは、その向こう側に、
「そうと気づかせてくれる友達」
がいたからこそなのです。たとえそれが彼女自身が意図したことでなかったとしても……。
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