真正のギガロマニアックスは個別ルートの夢を見るか ~CHAOS;CHILD(カオスチャイルド)考察~

※本編を履修済みであることが前提の記事ですので、未プレイの方が読むことは御遠慮ください







【前段】


 ここでは「CHAOS;CHILD」のファンディスクにして続編でもある「CHAOS;CHILD らぶchu☆chu!!」(以降『LCC』と呼称する)で明らかになった情報を元に本編を再解釈していきたい。

 

【前提】


 本編とは打って変わって「まるでギャルゲ」な内容のLCCだが、TRUEでは「それまでの個別ルートは全て妄想シンクロが見せた幻だった」ことが明らかにされる。
 この展開を見て私はふと思った。それは「もしかして本編の個別ルートもまた同じように妄想シンクロが見せた幻だったのでは?」ということである。


【思考盗撮 と REAL SKYの光景】


 本編の個別ルートが「妄想シンクロの閉じた輪の中で見た幻だった」という仮定に基づいて少し考えを掘り下げてみたい。
 LCCでは皆は個別ルートでの出来事をしっかりと覚えていた。だが本編ではそういった様子は無かったし、実際に覚えていないだろう。
 しかしながら本編のTRUEにおける世莉架のモノローグでは、屋上で乃々と斬り結んだ際に思考盗撮を通じて「REAL SKY END」の光景を一瞬だけ垣間見る描写がある――

有り得たかもしれない異なる未来の光景

 だとすると「当人は自覚していないけれど個別ルートの世界線で起きた出来事が記憶の奥底に眠っている」のではないだろうか? そうでなければ乃々を思考盗撮してREAL SKYの光景が見える理由が思いつかない。

 本作がシュタインズゲートと同じ世界が舞台であることも考慮すると、さしずめ「世界線が移動して記憶が上書きされても、体験したことは記憶の奥底に眠っている」のと同じような状況なのかもしれない。
 もちろん「シュタインズゲートと同じような世界線移動が本作でも起こったのではないか」と言いたいわけではない。
 妄想シンクロの閉じた輪の中で、有り得たかもしれない世界線の光景を、

「これこれこういう妄想だったのさ」

という形で観測し共有していたのではないだろうか。あるいはそれが個別ルートの正体だったのかもしれない。
 それは目覚めた瞬間に忘れてしまう夢のように儚いものだが、ヒロインたちの記憶の底に確実に刻み付けられ拓留との間を繋ぐ絆となった。
 そう考えるとTRUEにおける彼女らの拓留に向けた篤い信頼も理解できる。状況がリセットされても好感度は繰越しになっているというわけだ。


【真正のギガロマニアックス】


 そうなると気になるのは「拓留はどうなのか」ということである。
 直接的な言及は一切ないが、もしかすると妄想シンクロの閉じた輪の中にあってただひとり本物のギガロマニアックスであった拓留だけは個別ルートで起きた出来事を「観測者」として全て覚えていたのかもしれない。
 これに関しては少し思い当たる節がある。有村雛絵の個別「DARK SKY END」の描写である。
 DARK SKYでは拓留は雛絵の母に刺されて死亡している。しかし彼は何故か「意識だけの存在」のような状態となって死んだ後も世界を観測していた――

 個別ルートで起きた出来事が「妄想という形で観測した光景」だったとするならこの事象にも説明がつくのではないだろうか?

 あるいは拓留も個別ルートでの出来事を丸ごと全てを覚えていたわけではなかったのかもしれない。しかし他の者たちよりも強く何かしら心に残るものがあったのではないだろうか。
 記憶の奥底に降り積もっていった個別ルートの記憶が彼を少しずつ、やがては大きく成長させたのだとするとTRUEにおける「妙に悟りきった雰囲気の拓留」の姿にも納得がいく。 
 そしてそれはそのまま「なぜ個別ルートを全てクリアするとTRUEが開放されるのか」という謎の答えにもなるかもしれない。


【OVER SKY と TRUE】

 TRUEでは宮代拓留がCC症候群からの最初の帰還者となり、時を同じくして「拓留と強いつながりを持つ者たち」も引きずられるようにしてCC症候群の妄想シンクロの輪から脱し昏睡状態に陥る。
 ……だが、大筋の流れは同じはずのOVER SKYではそのようなことは起きなかった。
 最初に通過するENDであるOVER SKYと最後に辿り着くことになるTRUEにおける「前提」の違いは「個別ルートを経験したか否か」の差である。

 個別ルートで積んだ経験は拓留の記憶の奥底に降り積もっていき彼を少しずつ成長させていった。
 それと同時に個別ルートで紡がれた各キャラたちとの絆が拓留との間に強いつながりを生んだ。
 乃々(泉理)の奥底に眠る個別ルートの記憶が世莉架の振るう凶刃を鈍らせ一命を繋ぎ、拓留自身の成長と仲間たちとの間に紡がれた絆の力が彼を最初のCC症候群からの帰還者たらしめた。
 だとするならTRUEはOVER SKYに対するたんなるIFではなく「個別ルートによって紡がれていった絆によってはじめて成し得るIF」ということになる。

 TRUEを正史とすることによって個別ルートは実質的に「無かったことになった」わけだが、しかし「個別ルートで紡がれた絆があったからこそTRUEが成し得た」とするのであれば、TRUEが存在する事実こそが個別ルートもまた「それでも確かに存在していた」ことの証明に成り得るのではないだろうか?
 そしてREAL SKYで「家族とともに暮らす」という「有り得たかもしれない幸福」を垣間見たことをもしも拓留が「覚えていた」のだとしたら、宮代拓留という孤独の観測者が下した決断の持つ意味もいっそう重みを増してくるかもしれない。

 ちなみにだが、本作にはもうひとり真正のギガロマニアックスが存在する。和久井修一そのひとである。
 では「彼にもまた個別ルートの記憶があるのか?」という当然の疑問が首をもたげてくる。
 ……これについてはおそらく「否」だろう。
 個別ルートで見た夢は「妄想シンクロという閉じた輪の中」だからこそ起きた奇跡だったのではないかと私は思う。輪の外にいた和久井にはそれを観測することはできなかっただろう。

 個別ルートで拓留とヒロインたちが体験した出来事は妄想シンクロが見せた偽りの光景だったかもしれない。しかしそれが紡いだ絆が本物だったからこそ彼らは呪わしき運命をこえてTRUEへと辿り着くことができた。
 たとえそれが嘘から始まった物語だったとしても、その後の出来事の何もかもが偽りであるとは限らないということなのだろう。虚は実に。実は虚に。


【追記・引用】


※ X(旧Twitter)にて科学ADV履修者の先達の方々が本件の参考になるであろう呟きをされていたため引用させていただきました。

 本作では基本的に「妄想トリガー」をプレイヤーが操作することによって主人公である宮代拓留の妄想が発動する。
 一方で妄想トリガーに関係なく勝手に妄想が暴発するケースもまたある。
 前者の場合は拓留自身が「それが妄想であること」に対し自覚的であるが、後者の場合は妄想の最中には「それが妄想であることに拓留自身も気づいていない」ような描写がなされている。

 いずれの場合においても「妄想が発動したことを示すエフェクト」が表示されるためプレイヤーの視点から見れば「それが妄想であるという事実」は明示的である。
 これは言い換えれば「エフェクトが表示されなければ、見ているものがいつの間にか妄想にすり替わっていたとしてもプレイヤーですら気付くことができない」ことを意味する。
 事実、CC症候群患者が自身の老化現象に気付かなかったように、プレイヤーもまたTRUEで世莉架の視点を通じて世界を見るまではCC症候群の真実に気付くことはできなかった。
 その意味ではプレイヤー(の視点)もまた妄想シンクロの輪の中にいたことになる。もし仮に本編における個別ルートの光景が、妄想シンクロが見せた幻だったとしてもプレイヤーですらその事実に気付くことはできなかっただろう。
 過ぎ去った後には「そういう世界線も有り得た」という記憶だけがプレイヤーの心に残る。そして最終的にプレイヤーは宮代拓留の選択と決断——そこからの行動に対し一切の介入手段を持たず画面の外からその顛末を見守ることしかできない。その意味では我々プレイヤーもまた孤独の観測者であるのかもしれない。

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