姉として、友人として、そして…… ~CHAOS;CHILD(カオスチャイルド)感想~

※本編を履修済みであることが前提の記事ですので、未プレイの方が読むことは御遠慮ください





 今回はカオスチャイルドの後日談小説であるChaos;Child -Children’s Revive-について……というかそこで描かれている南沢泉理について少し書いてみたいと思います。




【本作の構成について】


 早速ですが、まずは目次の引用画像を見てください――

目次画像

 本作ではゲーム本編の主人公である宮代拓留は登場しません。
 章の構成は南沢泉理の拓留へ宛てた手紙に始まり、山添うきが主役の章へと移り、そしてまた合間ごとに泉理の手紙を挟みながら各人物を主役に据えた章へと交互に進行していきます。

【姉弟として】このフレーズをよく覚えておいてください

 さて、泉理の手紙を除く各章はそこで主役を担当する人間の視点を中心に綴られていきます。
 ……と言ってもゲーム本編のような一人称視点ではなくいわゆる三人称一元とよばれるものです。まあ地の文で視点人物の心情を交えながら描かれるという意味では実質的に両者の形式にそう大きな差は無いでしょう。

 一方で泉理の章はあくまでも拓留へ宛てた手紙という形式をとります。
 したがって泉理の章では手紙に書かれている内容以上の情報は一切読み取ることはできません。
 他の章では主役を担当するキャラの言動の背後にある心情も同時に「地の文」の中で描かれているわけですが、泉理の章に関しては「彼女が何を想いながら手紙を書いているのか」という背景までは描かれていないのです。
 つまり泉理からの便りを受け取った拓留が、その手紙の内容から知り得る以上の情報は我々読者もまた知り得ないということになります。

 ある意味では泉理の章は「彼女からの手紙を読んでいる拓留の視点」を借りて描かれていると言えるかもしれません。
 そして当然ですが、泉理以外のキャラが主役の章では「各キャラからの視点から見た泉理」の姿は描かれますが、その時々の泉理が心の内で何を考えているのかまではわかりません。
 要するに本作では一貫して「泉理自身の視点から彼女の心情を覗き見る」ことはできない構成になっているのです。

 さて、以上のことを踏まえたうえで今回の本題に入りたいと思います。



【クラスの男の子から告白されました】


「南沢泉理その三」に該当する章の最後に添えられている一文です。以下、正確に抜粋します――

 ああそれと、私事として変わったことというかなんというか……。
 今日、クラスの男の子から告白されました。

 結論から言うと泉理は問題の男子——増田くんとデートをすることに決めます。とはいえ「告白をOKした」という意味ではありません。
 来栖乃々としてではなく南沢泉理として男の子から「好きだ」と言ってもらえたのは初めての経験なので「ちゃんと考えたうえで返事をしたい」というのが彼女がデートを承諾した理由です。
 その件について泉理と雛絵の間で以下のようなやり取りがあります、

「……泉理先輩は、拓留先輩のことどう思ってるんです?」
 意地が悪い口調にならないように注意しながら、雛絵は訊ねた。
 泉理は即答した。
「好きだけど」
「……男としてですか。それとも、弟として?」
「さあ。どうかしらね」
「わからないんですか?」
「あなたは?」
 う、と雛絵はたじろいだ。
「……好きか嫌いかで言ったら、好きですけど」
「それは、男性として? それとも戦友として?」
 唐突な単語だった。けれどそれは素直に雛絵の腑に落ちた。雛絵はその単語を確認するように頷いた。
「戦友としては、間違いなく好きです。大好きです。男性としては……よくわかりません」
 そう、と泉理は笑みを深めた。
「姉として、鼻が高い評価ね。ありがとう」

 
 雛絵の「……男としてですか。それとも、弟として?」という問いに泉理は「さあ。どうかしらね」と曖昧に答えます。
 はぐらかしているようにも取れる返答ですが、これは泉理自身にも「よくわからない」というのが本当のところだったのでしょう。

 弟としての「好き」であるならば普通に「もちろん弟としてよ」と答えれば済むだけの話です。
 そしてもしも「男として拓留に想いを寄せている」ことをハッキリと自覚していたならば、そもそも増田くんの告白をきっぱりと断っていたことでしょう。
 ゲーム本編を履修済みの身からしてみれば、

「あれで拓留のことを男性として意識していないわけないだろ!」

と思わず叫びたくなりますが、よくよく考えてみると泉理(乃々)が拓留に対して露骨な匂わせを伴なうアプローチをかけてくるのは、個別ルートに入って「ある出来事」を経てから後の話です(と言っても物語自体は「家族の絆」に軸足が置かれて展開するわけですが)。
 共通ルートとそれを基準とするTRUEではまだギリギリ「ブラコンのお姉ちゃん」で通用する範囲であり(そうか?)、そしてTRUEの世界線から続いている後日談小説である本作の泉理には個別ルートの記憶は(少なくとも当人が自覚できる範疇においては)ありません。

 泉理をはじめとしたヒロインたちの「個別ルートの記憶」に関しては少し思うところがあるのですが、それについては別途記事にしていますので、

気になる方はそちらを参照していただくとして、今回はそのまま話を進めさせていただきます。

 泉理が弟としてだけでなく男性としても拓留に好意を寄せているであろうことはゲーム本編の内容から見てもほぼ間違いないであろうと言えます。
 しかし泉理当人がそれを自覚するのは個別ルートでの話であって、その記憶を持たないこちらの世界線の泉理はまだそれを自覚していなかったのでしょう。
 おそらくは増田くんから告白を受けたとき、泉理の脳裏には咄嗟に拓留の顔が浮かんだはずです。しかしながらそれが何を意味するのかがわからずに彼女は戸惑ったことでしょう。
 そういうとき脳裏に浮かぶ男性の顔があったならば、普通それは想い人の顔であるはずです。けれど残念ながら彼女たちが置かれていた状況は普通ではありませんでした。
 拓留はいまなお檻の中で和久井を相手に自分自身を賭けたゲームを闘っています。それと引き換えにするような形で泉理たちは平穏な日常を取り戻しつつある。それが彼女らにとっての現実です。
 泉理の拓留へと向けた好意が仮に「単純に弟に対するもの」であったとしても、

「自分だけがこんなふうに青春を謳歌していて本当に良いのだろうか?」

という罪悪感から拓留の顔を思い浮かべたとしても全くおかしくないわけです。
 それがたんなる拓留への罪悪感によるものなのか、それとも自覚していなかった恋慕の情によるものなのか、それをハッキリと確かめるためにも泉理は増田くんからの告白に対し真剣に向き合おうと決めたのかもしれません。
 ……結果、泉理と増田くんは恋人として付き合うには至りませんでした。しかしその後も友人として二人の交流は続くことになります。



【南沢泉理】


 ……これが五章のタイトルです。
 泉理の手紙が「南沢泉理その一」から始まり「南沢泉理その四」まできて、しかし五章の題は「南沢泉理その五」ではなく、ただ「南沢泉理」とだけ書かれている。つまりこの五章こそが泉理が主役を務める章ということになるでしょう。
 しかしその内容を見てみると、形式そのものはそれまでと同じく「拓留へ宛てた手紙」という体をとっています。
 また内容も短く紙の本で5ページ分の尺しかありません。他のキャラ達には数十ページの尺が割かれているにもかかわらずです。
 そのうえであえて言いますが、やはりこの章こそが南沢泉理の想いを総括した、紛れもなく彼女が主役の章であると私は感じます。
 手紙の内容を冒頭から一部抜粋してみたいと思います、

 
 前略

 お元気ですか。
 年が明けてからは初めての手紙になります。変わりなくいるでしょうか。

 返事、ありがとう。
 言われるまで気づきませんでした。私、毎回手紙であなたに謝っていたかしら。メールとかだったら、自分で書いたものはいつでも読み返せるんだけれど。何枚も書いていたからしっかりと思い返すことができません。でも、手紙が手元にあるあなたが言うのならそうなんでしょうね。

 上手く言葉にできないけれど、それはとてもショックでした。
 確かに私はあなたに負い目がある。すべてを背負ったあなたに対して、姉として、友人として、女として何もできなかった。いちばん近くにいたのは私なのに。けれどその事実に対して立ち止まってはいけないと、決断を通して伝えてくれたのはあなた。今も全身で訴え続けてくれているのはあなた。だから、そんなことじゃいけないのにね。


 ……さて、当記事の最初のほうで引用した「手紙を書いている泉理のカラー挿絵」を思い出してください。
 それは「南沢泉理その一」の手紙を書いている泉理の姿を描いたものですが、そこには、

「あれだけ姉弟として一緒に過ごしていたのにね」

という一文がありました。そのうえで五章「南沢泉理」から私が引用した文章のこの一文に注目していただきたいと思います――

「姉として、友人として、女として何もできなかった。いちばん近くにいたのは私なのに」

 かつて雛絵に「……男としてですか。それとも、弟として?」と問われたときに返せなかった答えがこれなのでしょう。
 南沢泉理という人間にとって宮代拓留とは大切な弟であり、誇るべき友人であり、そして想いを寄せる男性である。
 いずれかの想いによっていずれかが否定されるものではなく、どこからどこまでがそうであると明確に切り分けられるものでもない。
 来栖乃々を演じ己を偽り過ごしていた日々も全て含めて今の南沢泉理が形作られているように、様々な想いの全てを合わせて泉理の拓留へ対する偽らざる気持ちなのだと、それが本作の出来事を通じて泉理が辿り着いた結論だったのでしょう。

 考えてみればゲーム本編のTRUEでは泉理には自らの嘘と真実に向き合う暇はありませんでした。
 個別ルートでは様々な困難と葛藤を経て泉理は自らの意志で本来の姿に戻り、そして未来へ向かって歩みだしていく決意を固めることになります。……しかしTRUEではそうではなかった。
 泉理が病院で昏睡しているうちに事態が進行し、カオスチャイルド症候群の妄想シンクロが解かれ、眠っている間に正体が明らかになっていた。
 結果的に周囲と拓留には南沢泉理という人間の正体と真実を受け入れてもらえることになるわけですが、それは「一方的に許された」だけであり、当の泉理が自らの真実と向き合っていくのは「そこから先」の話になります。そしてそこまでは残念ながらゲーム本編のTRUEでは描かれません。TRUEの描写はもうひとりのヒロインである尾上世莉架のほうによりフォーカスされているからです。

 ……だとするならばこの後日談小説Chaos;Child -Children’s Revive-こそが「無かったことにされた個別ルート」に代わり、あらためて彼女が自らと向き合い前へ進んでいくまでを描いた「南沢泉理にとってのTRUE」であったと言えるのかもしれません。



【ゲーム本編の個別ルートにて】


 さてここからは蛇足というか補足。
 個別ルートの泉理(この時点ではまだ乃々の姿)は「ある場面」を境に、わりと露骨に拓留に対して「男性として意識している」ことを匂わせる言動を見せていきます。
 例えばそれは以下のようなもの――

福引のおじさんに「仲の良い姉弟」と言われて喜ぶ乃々(泉理)
かと思うとこんなことを言い出す


 はい、次の場面いきますね

夜に「外で話したいことがある」と拓留に連れ出された乃々(泉理)はこんなことを言い出す
「冗談よ」などと口にしながら……
もうこれ、ほぼ乃々(泉理)側からの告白ですよね!?
見ちゃおれんとばかりに世莉架が乱入(※誤解を招くような繋ぎ方ですが「告白うんぬん」の話の邪魔に来たわけではありません)
やっぱり世莉架から「拓留をとった」自覚あるんですね

 やはり個別ルートの乃々(泉理)は拓留のことを男性として意識してるし、その自覚もありますね。
 彼女の態度が露骨になり始めるのは以下の場面を経てから、

 この場面は以前の記事、

でも取り上げましたが、拓留の乃々に対する呼び方が「来栖」から「乃々」に戻るシーンですね。
 しかし乃々(泉理)が「この時点で拓留を男性と意識して意識している自分に気付いた」かというとおそらく違うでしょう。
 問題の場面はもっと前、個別ルートに入って直後の――

 ……はい、ここですね。
 世莉架の暴走は可愛らしく言えば「焼き餅」が原因なわけですが、そんな彼女の感情をディソードを通じて直に感じ取ったことで乃々(泉理)もまた自分自身の秘めた感情を自覚したのでしょう。

 ……と、そこまで思いを巡らせてようやく「ああ、あれはそういうことだったのか」と腑に落ちた描写がありました。以下の引用画像を見てください――
 

 この描写の意味するところを前々から考えていたのですが、乃々(泉理)もまた世莉架に対しずっと「焼き餅」を焼いてたんですね。いままではそれが無自覚なまま態度に出ていたと。
 ところが結果的に「拓留が世莉架ではなく乃々(泉理)のほうを選んだ」ような形になったことで(大変な状況であることを考えればおかしな話ではありますが)気持ちに余裕が出たことで乃々(泉理)の雰囲気が変わったわけですね。

 そも、乃々(泉理)と拓留の出逢いは渋谷地震後、昏睡状態の拓留が青葉医院に運び込まれて以降のことになります(より正確に言えばAH東京総合病院の地下が「最初の出逢い」ですが)。
 意識不明のまま目覚めない拓留の世話をし、そして目覚めた後のリハビリを見守る中で乃々(泉理)は次第に拓留への家族としての想いを強めていきます。
 対して拓留が乃々(泉理)をはじめとする青葉寮の人々に打ち解けるには長い時間がかかりました。リハビリが一段落した後もしばらくは家族と食卓を共にせず部屋で独りで食事をとっていたほどです。

 一方で「拓留の幼馴染」を称する世莉架もまた、拓留の意識が戻らないうちから彼のことを心配して足繁く青葉医院に通い、そこで乃々(泉理)とも顔を合わせていました。その意味では乃々(泉理)にとっては拓留よりも世莉架とのほうが互いに言葉を交わしての付き合いは長いわけですね。
 目覚めた後もなかなか青葉寮の人々に対し心を開かずにいる拓留が、しかし世莉架に対してだけは気を許している。そんな二人の姿を見て乃々(泉理)はこう思ったことでしょう、

「拓留と世莉架の間には計り知れない深い絆がある。とてもではないが自分が割って入る余地などない」

 そして、いつからか乃々(泉理)の中に拓留を男性として意識する想いが芽生えはじめたときも「拓留には世莉架がいる」というその事実から無意識のうちに自らの感情に蓋をしていたのでしょう。……拓留が自分に向けてくれる好意や信頼はあくまでも家族に対するものであり、自分の拓留に対する想いもまたそうであるはずなのだと。

 乃々(泉理)は世莉架に対しこう言いましたが、乃々(泉理)自身もまたこの時になって初めて自分の秘めた想いに気付いたのでしょう。
 そして「他人の心が読める」世莉架が嫉妬のあまり暴走するほどに、拓留と乃々(泉理)の間に結ばれた絆もまた深まっていたという事実に。
 
 思えば個別ルートでのこのセリフ、

全然関係無い話しますが、ディソードを構えてる乃々の立ち絵めっちゃ好きです

 初めて目にしたときは「ちょっと拓留に対する愛が重すぎません!?」と困惑したものですが、その後のTRUEで世莉架の視点から見ると、

 ……乃々(泉理)はディソードを通じて世莉架のこの思考を読み取っていたんですね。

 拓留が乃々(泉理)の死を望むはずが無いし、もしそんなことになれば計り知れないショックを受けることになる。
 世莉架は既にこれ以前の時点で拓留の義妹である結衣を手にかけています。その世莉架にしてなお殺害を躊躇うほどに乃々(泉理)の存在は拓留にとって大きなウェイトを占めるものとなっていたのです。
 世莉架は思考盗撮によって拓留の考えていることがわかる。そして乃々(泉理)はディソードを通じて世莉架の思考を読んだことで「拓留が自分をどう思っているか」を知ったのでしょう。

 拓留は素直な性格ではありません。
 家族を―—とりわけ乃々(泉理)をかけがえのないものと感じていながらそれをハッキリと言葉や態度には出さずにいました。また些細な行き違いから一時期は青葉寮を飛び出してすらいました。
 乃々(泉理)からしてみれば、

「自分が拓留のことを想っているほどには、拓留は自分たちのことを想っていないのかもしれない」

 とずっと不安だったことでしょう。
 しかし世莉架を通じて乃々(泉理)は拓留の想いを知った。そして世莉架もまた乃々(泉理)がそう感じていたのと同じように「この二人の間に自分が割って入る余地は無いのではないか」と嫉妬と焦燥を募らせていた事実にも。
 乃々(泉理)が世莉架に投げかけた言葉、

 それは乃々(泉理)もまた全く同じ気持ちを抱えていたからこそ出てきたものだったのでしょう。
 そしてそんな自分自身の気持ちに、消え去った個別ルートとはまた異なる道を辿ってあらためて気づくまでの過程が南沢泉理にとってのChildren’s Reviveだったのだろうと、もういちど重ねて書いたところで今回は筆を置かせていただくことします。


 追伸、ゲーム本編で乃々の立ち絵を全て泉理の姿に入れ替えるオマケモードください。

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