「私はルパン三世の全てを知っているし、彼を正しく理解している」(ルパン三世 PART5 感想)


 隣にいてほしいけど、近すぎると落ち着かない。
 私のものになってほしいけど、独り占め出来たらきっとガッカリする。
 彼の全てを知りたいけど、謎めいていてほしい。
 ……なんなの、これ?

 ルパン三世 PART5 アミ・エナン



 ルパン三世のTVシリーズの中でも個人的に特にお気に入りなのがこのPART5。
 そんなわけで久々に見返してみたのですが、そこで少し思うところがあったのでちょっと書いてみることにします。
 



【PART5 のコンセプト】


 ルパン三世 PART5は「新しいルパンを作り上げていく」という意気込みのもとに製作されたといいます。
 そうした前提もあってか、SNSなど現代の事情を数多く取り入れたのが本シーズンの特徴の一つです。
 ……と同時に「過去シーズンのリスペクト」が数多く散りばめられているという「懐古的な側面」もまた本シーズンの大きな特徴でもあります。
 PART5のルパンはPART4でお馴染みとなった「青色のジャケット」の他に単発回では、

 緑色のジャケット(PART1)
 赤色のジャケット(PART2)
 桃色のジャケット(PART3)

といったように、過去のシーズンを意識したであろう様々な色のジャケットで登場します。
 また、その内容も「ジャケットの色」に象徴される「過去シーズンのノリ」を意識したようなものになっています。
 つまりPART5は「新しいルパンを描こう」とすると同時に「懐かしいルパンを描こう」ともしているのです。

「新しいルパンを作る」
「懐かしいルパンを描く」

 一見すると「矛盾した試み」とも思えるこの二つですが、こうした行為を表現するのに丁度いい「温故知新」という言葉が古くから存在します。PART5に見られるこの「二面性」はまさにその温故知新とでもいうところでしょうか。
 そもそも、

「今までにない新しいルパンを描く」

といっても、その場合「じゃあ今までのルパンってどんなだよ?」という問題は避けては通れないでしょう。
 PART5のもつ「懐古的な側面」というのはすなわち「新しいルパンを描こう」と思うのと同じかそれ以上の重みで「今までのルパンと真剣に向き合った」ことの証であるのかもしれません。


【ルパン三世に対する解釈】


「創作物」につきものな問題のひとつとして挙げられるのが「解釈問題」でしょう。
 同じ作品でもファンによって解釈が分かれるなどということは枚挙に暇がなく、それどころか「作者が思っていたのとファンの解釈が異なる」などということさえあるのが創作における「解釈問題」の日常です。
 とりわけルパン三世のような長寿コンテンツともなれば、そうした「解釈問題」というのは当然ながら数多く存在するわけですが、しかしルパン三世の場合はたんに「長寿コンテンツである」というだけでない「解釈問題が発生して然るべき」事情もあると言えるでしょう。以下にその理由を述べます。

 そもそもルパン三世の場合、記念すべきアニメ化PART1の時点で「原作とは違う」わけです。そして、そのPART1の中だけで見ても「諸事情から途中で路線変更が行われる」ということが起きている。
 さらにそこからPART2やPART3に目を向けていくと、シーズンごとにシリーズ構成などを担当した人間が異なり、また同じシーズン内でも同じ人が全ての話の脚本を書いているというわけではない。これは複数存在するルパン三世の映画にしてもTVスぺシャルにしても同様です。
 つまりPART5以前から、ルパン三世というのは「様々な人間の解釈に基づいた様々なルパンが描かれてきた」歴史をたどってきたわけです。
 ……同じ作品やキャラでもファンによってさまざまな解釈があるのが当然。ましてやルパン三世の場合は「様々な人間の手で描かれてきた」キャラなわけですから「起こるべくして解釈問題が起きている」といっていいでしょう。
 言い換えるなら、

「ルパン三世に対して私が抱いているイメージはこうだ」

という主張はいずれも正しく、と同時に

「私はルパンの全てを知っているし、ルパンのことを正しく理解している」

という主張はいずれも間違っている、と言っていいのではないでしょうか。なぜならば(少なくともファンの視点においては)「一定の解釈を行うのが不可能」なのがルパン三世というコンテンツだからです。


【ヒトログとは】


 さて、このPART5においてルパンの前に立ちふさがる巨大な障害が「ヒトログ」です。ヒトログとは、

「ネットに存在する膨大な情報を収集し、それを元に学習を行った高性能AIが情報の真偽を判断するシステム」

のことであり、これによりルパンは「潜伏先の場所」から「いま何に変装しているか」まで、あらゆることが白日の下に晒されることになります。そしてルパンは逃げ場を失い徐々に追い詰められていく。
 ヒトログの制作者であるエンゾは、

「おまえのことは全て知っているし、全てわかる」

といったようなことを豪語します。……しかしある時を境にルパンの消息がフッと途絶える。
 完璧であるはずのヒトログでもルパンの消息を追えない。何故ならばルパン三世には、

「世に知られていない秘密」

がまだまだ数多く存在していたからです。
 神出鬼没の大泥棒として世界各地で様々な事件に関わってきたルパン三世は超がつく有名人です。また長年ルパンを追ってきた銭形警部の功績もあってルパンの過去の犯行については膨大なデータの蓄積が存在します。……しかしそれらをもってしてもなお「ルパン三世の全てを知る」には足りなかったわけです。
 ヒトログの学習に必要なルパンの情報が十分ではないから正確な予測を出せない。ゆえにルパンを追跡しきれない。つまり、

「ルパンのことは全て知っているし、全てわかる」

というエンゾの自信は、傲慢な思い込みに過ぎなかったわけです。彼が知ることのできた情報はまだまだ「ルパンのほんの一部」であり、ヒトログの分析もまた「限られた情報に基づいた不正確な分析」に過ぎなかった。
 ……こうして「ルパン vs ヒトログ」の決着はつくわけですが、エンゾのこの思い違いはある意味で「傲慢なファンの暗喩」とも考えることができるのではないでしょうか。そしてそれこそがPART5の試みの先にあった「結論」であったのかもしれません。つまり本シーズンで言う、

「今までにない新しいルパンを描く」

というのは「今までのルパンの否定」を意味するものではなく、過去の描写を全て受け止めたうえで、

「今まで描かれてきたことがルパンの全てではない。彼にはまだまだ描かれていない秘密がたくさんある」

と、そういうことだったのではないでしょうか。本稿の冒頭でアミ・エナンの台詞を引用しましたが、まさにこれこそがPART5に関わったスタッフの心情を象徴する物であったように私には思えます。

 掴みどころがなく、底が知れず、いかようにも解釈出来て、そして謎めいている。……しかしそれこそがルパン三世の大きな魅力のひとつであると言えるのではないでしょうか。


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