有村雛絵はなぜ文芸部なのか ~CHAOS;CHILD(カオスチャイルド)考察~


※本編を履修済みであることが前提の記事ですので、未プレイの方が読むことは御遠慮ください


※画像は本作のFDであるカオスチャイルドLCCの一場面



【前段】


 本作のヒロインのひとりである有村雛絵には文芸部という設定がある。
 この設定は特にこれといって本編で意味を持ってくる設定ではないが、だからこそ逆に気になってくるものがある。ここではその件について少し考えてみたい。


【有村雛絵 と 香月華】


 雛絵と華は仲が良い。
 相手の言葉の真偽が否応なくわかってしまう能力を持つ雛絵からすれば「喋らない」華の相手は「いちいち言葉の裏を気にしなくていいので気が楽」ということらしい。
 同じような理由で「嘘が下手で能力なんて関係無しにすぐにそれとわかる」宮代拓留の相手もまた雛絵にとっては気が楽であるという。
 明朗快活で誰に対しても人当たりが良いように見える雛絵だが、その素顔は他人の言葉の裏にある嘘に絶えず傷ついている臆病で繊細な少女なのだ。そんな彼女にとって「言葉の真偽を気にしないでも良いひととき」というのは貴重な安らぎの時間なのである。


【フィクションという名の真実】


 雛絵の能力は「相手が声に出して言葉を発することによりその言葉の真偽がわかる」というものだ。
 言い換えれば「声に出さない言葉」——「文章」に対しては能力は発動しない」ことになる。

 また「物語」というのはノンフィクションやドキュメンタリーといった例外を除けば原則として「作り話」であり、つまりは「全て嘘」であることが大前提のコンテンツだ。

 俳優の演技もまたそうだろう。
 テレビ画面や銀幕の向こうにいる登場人物が「実は俳優が演じているもの」であることを観客は承知していて、そのうえで目の前で繰り広げられる虚構を見てときに笑い、ときに涙する。
 それが演技である以上は「俳優が発する言葉は全て嘘」であることは誰の目にも自明だが、演技の巧拙によってあるいは「大根役者」と謗られ、あるいは「名優」として喝采を浴びる。そして名演を果たした役者は「本物の俳優」と称賛されることになる。

【変わってしまったもの と 変わらなかったもの】


 渋谷地震における体験を経て有村雛絵は「他人の言葉の真偽がわかる」能力に目覚めた。そしてその事実は彼女を幸福にはせず不幸にした。彼女の目に見える世界は震災以前と以後で一変してしまったのである。
 しかしながら「創作物が虚構である」という事実は「言葉の真偽がわかる能力」が有ろうが無かろうが「誰にとっても最初からわかりきっていること」だ。そこには「これは作り物である」という確かな「真実」が存在する。
 有村雛絵にとって「創作物」というものは能力を得る前と後でも「見え方が変わらなかった」貴重な存在であったのかもしれない。

 そういえば「作られた存在ゆえの真実」というと何やら暗示的なものを感じるが……。 


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