3度目の初恋で詰んだ。第一話
第1話 疑わしき初恋
僕も、俺も、私も、存在する。うまく使い分けて生きてきたつもりもないが、自ずと身についた体を覆う皮膚のようだ。ただしかし、あの時の君との時間は、どれでもなく、どれでもあり、まっすぐなどの自分でもある、細胞が記録した僕にとっては特別な時間だったんだ。
あれから、19年も経過しているっていうのにどうしてこうも頭から抜けないのだろう。君は一体、何者なんだ。
駅を降りて、一つ目の交差点。一つ目の信号。既にできていた人の塊の後方に僕もくっつく。信号が青に変わると、それぞれのペースでスタートを切る。僕の後方で構えていたサラリーマンと思しきおじさんが僕の肩掛けカバンをかっ飛ばして小走りに横断歩道を渡っていく。よれよれのそれの背中を眺めながら、何をそう急ぐことがあるのかね、と僕は目を細める。捻れた鞄をよいしょっと持ち上げる僕は僕で、どうしてまたこんなに鞄が重たいんだろう?何が入っていたっけ?と鞄の中身を思い浮かべた。やはりあれだよな、会社から支給されたパソコンと、私用のiPadが入っているのが大きな要因だろう。他には細々としたものの集まりだ。筆記用具、名刺、ノート、小説、財布に携帯。それだからってこんなに重たくなるものだろうか。今日、帰ったら一度、中身を全てぶちまけてみよう、ベットの上でそれぞれに飛び跳ねながら散り散る私物たち。そう映像を巡らせながら交差点を渡る。君は、青いチェックのハンカチを落とした僕に声をかけてくれた。あ、そうだった。ハンカチも入ってたな。
「あの・・・これ、落としましたよ。」
僕側の時は止まる。僕はその顔に見覚えがあった。この感じ、この空気、感覚で覚えていた。懐かしいような、落ち着ける場所、思いがけない風が吹き荒れ心と体の二人三脚はまるで噛み合わない。雷に打たれたはずが、澄み切った空の下を心地よい風の中を歩くような不思議な感覚。どのくらい意識が飛んでいたことだろうか、やっとこさ僕は粛々と音を立てる鼓動に気付けた。
「・・・あの、どうか、、しました、か?」
「・・はっ。あ、いや、、なんでもないです。ありがとうございました。」
少し爪の先が触れた。パチッと静電気が走った気がしてサッと手を引く。すいません、と思わず謝るも、彼女ははて?とした顔を覗かせると、それじゃと君は長い髪の毛をくるりと回して見せた。小走りに去っていく彼女は少し焦っているように感じた。
彼女の名前を僕は知っている、はずだ。もしも、そうであるのなら彼女の名前は東雲はつみ。だがしかし、今も東雲なのかはわからない。そもそも今の子が東雲はつみなのかも確信はない。ドボン、と突如揺れ始めた水面が落ち着くのを待ちながら、あのとき、あの風をゆっくりとなぞり返す。
春の手前。通うはずだった小学校の正門の前に立っていた。まだ慣れない街並みのうちに、僕はこの街を去る。初めて小学校を見た時はその大きさに驚いた。正門は大きな口のようで、そこから広がる茶色のグラウンドが胃袋のように見えて飲み込まれそうで怖かった。そこに足を踏み入れることはなく引越していくことが、どこか少しの安堵と悲しさとその時の感情を僕は表現する事も扱う術も持ってなかった。だけど、今でもこうして目を閉じるとはっきりと覚えている。正門の前に立ち尽くす僕の背中は君にはどう映ったのだろうか。君はきっと僕が驚かないように、柔らかくした言葉と空気を僕に宛てたんだろう。
「来年、1年生?」
ふんわりと背後からそよ風と共に桜の花びらでも飛んできたのかと思える声に振り返ると君が立っていた。まだ恋とか人を好きになるとか、絵にも言葉にも表せない当時の僕は心が追いつかない分、僕は僕の全てで君を記録した。君を彩る風景全部が一枚の絵のようで、とても綺麗だった。
「いや、引っ越すことになったから、ここの小学校に僕は入らないよ。」
「そうなんだ。案内してあげようと思ったのになぁ・・・」
ピンクのラメが入った靴先をいじいじとさせる彼女。しののめはつみ、と名乗った彼女の名前を僕は覚えて間もない文字で脳内に書き殴る。
「ねぇ、ねぇってば」
「え、、あ、、ごめん。」
「どこに引っ越すの?」
「え、えーと、とうきょう。」
「えー‼︎ずるーい‼︎いいなぁ! あたしも東京いってみたいのにぃ‼︎」
(しののめはつみ。しののめはつみ。)
「東京のどこに行くの?」
「あ、えと、メグロってとこっておとうさんが言ってた。」
「メグロ?東京タワーがあるところ?」
ほんの数分のようで数秒だったような、数十分だったかもしれない。初めての体験をした僕の細胞は、必死にその一コマ一コマを記憶しようとした。でなければ10年以上経つのにこんなに鮮明に覚えているはずがない。なんでもない、そう、誰にどう聞いても、なんでもない人生の1ページなはずだ。
「ねぇ、君の、、名前は?」
「けいすけ」
思い返す時はここでいつも今でも思う。こちらの苗字も言っておけばよかったと。そしたらせめて君と僕の状況は同じだった。僕の名前を、今も君は覚えているだろうか。そんなわけないよな。あれから君に、会いたいとも、会えないかな、とも思い返したことはない。ただただ、いつまでも僕の中に在るだけ。これが僕の初恋。
ふと意識を戻すと、さっきまでそこに溢れていたはずの音たちが僕に駆け込んでくる。コンクリートの硬さと冷ややかさが草臥れた革靴を超えて突き上がってくる。エアークッションの入った革靴も3年も履いていると流石にその機能を果たせなくなるものだろうか。
今の東雲さんじゃないかな?いや、まさかな。そんなわけないだろ。
この街に、偶然すれ違う距離に君は居るのかな。ハンカチを直し、重たい鞄を深く肩掛け、僕はまた歩き始める。
僕の名前は小津圭介。昔、実家の畑に大きな鶏小屋があって、大切に飼っていた鶏を野犬に噛み殺されてしまったことがあったそうな。その年に僕を授かったことから鶏が生まれ変わったんじゃないかと思ったらしく、鶏を助けたかった、、鶏、、助、、ケイスケと命名された。鶏助、、、うーん、漢字は流石に鶏じゃまずいだろうと促してくれたのは誰なんだ。本当にありがとう。小学校に上がる年に父さんの仕事の都合で東京に引っ越してきた。
東雲さんが憧れていた東京に僕はさほど、いまだに馴染めずにいた。馴染むというより溶け込めないというか。それが、人なのか場所なのかわからないけれど。東京ではそれなりにそれなりの日々が僕にはあっただけだ。ただただ積み重なっていく連なることのない時間達。日々が独立独歩しているが、それらはすぐに歩を止めては薄れて消えていく。あの瞬間の時間が僕にとってはふわふわした思い出のままだった。君の髪にも、指にも、心にも触れたわけでもないのにな。しののめはつみ。二の腕に残るハンコ注射の痕みたいな女の子だ。
東京の社会人になって3年が経とうとしていた。いつもと同じようにいつもの電車で、いつもと違うようで同じような人たちにくっついて会社に通う。これほどまでの人に囲まれているというのに胸をくすぶるような出会いなんてないもんで。仕事と時間に追われる日々は段々と僕の隙間を埋めていった。ぎゅうぎゅう詰めにされたハンバーガーをぎゅうぎゅうなそれらの極一部である自分の日常とを重ねたまま意思もなく開かれた口へと運ぶ。しののめはつみ。あの時のように懐かしいその名前を脳内で書きなぞるだけでも少し心は遊ばれる。いい加減そんな自分に気色悪さを届けてくれる自作の俯瞰図も手にし始めていた。
「おい、小津。こないだのプレゼン資料、もう少しなんとかならねえか。」
「なんとか、、とは?」
「はぁ〜ん。そこは自分で考えるのが仕事だろうが。」
「はぁ、、はい」
(なんだよそれ。)
仕事を始めて声にできない言葉が増えていった。思ったことをそのままに取り出しても、羽生らかされたり、既読スルーされたりする。どうしてこうも僕たちよりも大人な人たちは「わからない」が言えないのだろうか。自分で考えろ?困った時はそればっかりじゃねえか。思ったことは割と声にするタイプだとは思う。同僚や同期の飲み会は上司や会社のグチ合戦で居心地が悪くて長続きしなかった。それらを吐きちらかしたところで現状が改善するわけでもないし、全く建設的ではないその話になんのメリットがあるのかその分野で理解することができず時間とお金を無駄にしていることに早々に耐えられなくなった。俺からしたらそのほとんどが「言えばいいじゃん」で片付けてきた。結果、3年が経つ頃には周りの同僚や同期とは距離ができていった、ような気がしている。
「ウィ。また鎌倉部長の無茶ぶり?」
「無茶ってことはないけどな」
今日は極微糖か。この子は同期の田中美沙。時折こうして気さくに話しかけてくれる数少ない、いや、唯一といってもいい同僚だ。愛嬌もいいし、スーツに隠れたその体もおそらくスタイルがいいと称して良いだろう。部下や同僚からの人気もあって誰とでも分け隔てなくといった表現が現実に当てはまる面倒見のいい印象だ。しかしどうしてこの子は差し入れの缶コーヒーの味をいつも微妙に変えてくるのだろうか。チラリと覗く彼女の手元には差し出された僕のものと同じパッケージの時もあれば異なる場合もある。どれがよかったか、どれが好きなのか答えた方がいいのかな。
「田中さんって、血液型は?」
「O型だけど。もし嫌じゃなかったら下の名前で呼んでいいよ?残り少ない同期なんだから、そろそろお近づきになりましょうぜ。」
そう尋ねたものの血液型は関係ないかと遅れて感じられ、いつも出てくるその言葉をほんの少し待てればいいのに、と思う。そろそろブラックがいいのか、微糖がいいのかぐらいは聞いてくれてもいいんじゃないか。受け取る缶コーヒーはまだ冷たい。彼女が差し出す缶コーヒーが暖かくなるタイミングはいつだろうか。コタツを出すタイミングみたいで楽しみだ。こうして僕の密やかな楽しみを与えてくれる数少ない人でもある。
「ねぇ、今度のプレゼンが終わったら、2人でお疲れ様会しない?」
「え?」
「え?じゃねえよ。いいっすね、でいいじゃん。鬼おこプンプン丸にナッチャウヨ。」
「笑なんですそれ?」
「ほら、テレビで流行ってるじゃん。流行は追わないタイプ?」
「実にわからん。」
「じゃ、そゆことで、ね。」
「スケジュール次第ですね。」
「え、なになに?彼女いるオチですかぁ?」
「いや、ますます意味わかんないっす。」
「晴れるといいね。鎌倉ちゃんも呼んじゃう?」
「・・・2人でお願いします。」
軽く会釈をした僕はおもむろにスカートから伸びる肉付きの良い両の太ももが織りなすブラックデルタに目線が落ちた。そう、僕だって健全な男子なんだ。時々、男性としての人並みの欲求が自分にあることを確認できたときは心のどこかが安堵している。本日も異常なし、だ。
しののめはつみ。
唯一、君のことだけは鍵付きの別フォルダに仕舞い込んでいる。疑わしき僕の初恋。
僕は半ば強引にセッティングされたプレゼンの慰労会に来ていた。今回のプレゼンはうまくいったというか充足感があった。仕事をやりきった僕は高揚し、いささか生き生きしている自分が可愛らしくも映っていた。どうしてだろう、僕はいつもそうやって自分を俯瞰する癖がある。みんなはどうでしょうか。誰しも他人に見せている自分と自分が見つめている自分があるんじゃないかな。個人差はあるだろうけど。
「ぇええ〜。チェックしてないのー?本当、そう言うのに興味ないんだね、いや、私に興味がないのか。ちょっとシュンです。」
「のっけからやめてくださいよ。お疲れ様でした。」
思いがけない達成感と共に、僕は同期の田中美沙と焼き鳥あんパイに来ている。ここの焼き鳥は安定。確実に送りバントを決めてくる感がある。とんでもなく旨いわけではないが、店主にその都度お任せコースしかないのが個人的には楽でいい。そして、ん?うーん?と俺様ぶってる僕の舌を不機嫌にさせたこともない。そして何より安い。やっぱりコスパは外せない。一応、奢るつもりだったからこの店を選んだのだが、なんと鎌倉部長から経費で呑んでこい、と明日日本が終わるんじゃないかってくらいの余計で不毛な奇跡が起きた。田中さんは僕が激おこプンプン丸についてチェックしていないことを嘆いている。
仕事は3年目からが良くも悪くも分岐点。そんな本をいつか時間埋めのコンビニで読んだことがある。僕はウォーターサーバーのリース営業をしている。今回のプレゼンのテーマはここ数年横ばいになっているリース契約件数に対して、2人1組となって打開策(鎌倉部長はカットボールを投げるイメージだって言ってました)を提案するという、現状にモジモジしている会社にとってはこちらとは違ってかなりのあわよくば的な期待と熱意を感じていた。今思えばその見返りが経費で呑んでこいとは、踊るだけ踊らせておいてそれだけかとも思える。そしていつだって手を掲げたものはその後の後始末も任される構図は義務教育ステージの頃から大して変わっていない。踊らされた僕たちのプレゼンは次のステージへどうぞと言わんばかりに、現状維持では居られない会社の新たな一手として採用されようとしていた。
「我らながらうまくいったね、プレゼン。手応え?っていうの?」
「うん、だね。あるね。お偉いさん方の毛が逆立ってくる感じ?伝わってきて不覚にもゾクゾクしてしまった。」
「毛がない人も、いるけど大丈夫?」
「いや、頭皮に限った話じゃなくて。体毛がさ、逆立つイメージ?猫みたいな。」
「わかってますよ〜‼︎ ほんと真面目というか、理屈っぽいというか、、」
もう酔ってんのか?と思わせるほどのスナップの効いたツッコミだった。上腕二頭筋あたりにジンジンと余韻が残る。僕たちのプレゼテーマは+健康だった。きっかけは、田中さんの父親が健康に留意してタバコを辞めて『俺は水素を吸うんだ』とか言い出したっていうエピソードのおかげだった。ちなみにそう長くは続かなかったらしい。
「私、こっそり僕らのMVP?」
「そうだね。ありがとう。でもこれから忙しくなるなぁ。」
「小津くんがさ、鎌倉ちゃんにサラッと言ってくれたじゃん? 」
『お前たち、なかなかよかったぞ。いやしかし良い着眼点だったなぁ。』
片手に持った瓶ビールをそのままマイクにするやつを初めて見たが、田中さんは鎌倉部長のモノマネを始めた。これがまぁ見事に似ている。モノマネもほどほどに、今度はしみじみとした表情で僕のコップにビールを注ぎ、シュワシュワと積もる泡を見つめるながらプツプツと弾ける泡がしゃべっているかのようにしょぼしょぼ語り出した。
『はい、ネタ提供者は田中さんです。おかげで割と早くに方向性が見えたのがよかったと思います。』
「はい、ごめん。キュンしました。はい、もしもし、田中です。ええ、ちょっとキュンて来ました。ええ、そうなんです。大丈夫でしょうか。」
「なんでやねん。浅はかな人ですな〜田中さんって。」
今度は携帯と化した瓶ビール。こうして2人で飲むのは初めてだけど、面白い人だな。人がこんなに自分の近くで、自分との時間で、楽しそうにしているのを感じたことも、目の当たりにしたこともそう記憶にはないけれど、いま、彼女が楽しそうにお酒を飲んでいるのが伝わる。僕はそんな彼女を微笑ましく思い、心がほんわか和んでいくのを感じた。これから僕らを中心に新しい事業がスタートする。これまでがいかに指示されたことをされたがままにマシンのように淡々と行ってきたことかと自分を省みることすらできた。考えたこと、描いたもの、輪郭を得たイメージ。新しいことに挑戦することにシンプルな体温の昂まりを覚える。
「前にさ、ほら、リース料金をサブスク料金並みにしたらいいんじゃないって話あったじゃん?あれ、発案したの私なんだよね、マジで完全に。でもさ、チーム?の評価しかされなかったし、結果的に褒められたのは当時の下呂係長だったからさ。も〜ゲロゲロ。あの時、ちょっと早くも悟り半開きだったんだよね。ま、これが組織だよなぁ・・・ってね。だから、圭介くんがサラッと私のおかげだって言ってくれた時は嬉しかった。いや、超嬉しかった!」
「いやいやいや、ただの事実でしょそれが。感謝される言われはないですよ。」
「小津くんってさ、、、、、、面白いよね。」
細めた目を向けられた僕ではあるが、あ、やっぱりここのズリうまいわぁと思いながら、今回のプレゼン成功の余韻を纏っている自分を客観的に見つめていた。田中さんのネタがきっかけとはいえ、自分達の商品を利用することが、そのまま利用者の健康につながるという純粋で単純な気持ちが、これまでのただ会社の言われた通りに契約を取ってくるという意識とは違ったものを芽生えさせた。健康を押し売りするかのような商品もテレビを通じてたくさん知っているはずだけど、それと今日の僕とでは何が違うんだろうか。時に胡散臭いとも言われる彼らもまた同じような気持ちなのかもしれない。
「ねぇ、ねぇってば!」
「ぉ?あ、はい。すいません。」
「小津くんって彼女いるの?」
そういえば少し前にもそんなことを言っていたような気がする。年頃の女の子のごくごく一般的な会話のそれであり、僕に好意を抱いているのかなという類の自意識過剰のそれは、のちに返って傷つく恐れもあり、その都度ほぼオートマチックに奥への部屋へと追いやるようにしている。誰かは誰かを好きになる。両思いなんて言葉があるが、2人がほぼ同時に好きになることなんてないだろう。好きになってくれたから好きになるのか。嫌われないように好きになるのか。好かれたいから好きになるのか。いつしか、人を好きになる、ということはどういうことなのか扱えなくなった。僕には恋の情熱が足りないのであろうか。
「逆に聞きますけど、居るように、見えますか?」
「見えま〜、、、、せん‼︎」
「はい。いませんよ。そんなの。」
「そ、、そんなの汗。ハイそんなの頂きました〜。そっか、そっか。ふむふむ。まぁまだ社会の荒波にそんな余裕も欲望も湧いてこないのかねぇ。草食系男子ってのは悪くないのだけれども、、それはなんか違うような気もする、、、よもやゲイ、、、多様性多様性…致し方あるまい。」
「あの、、、大丈夫ですか?」
「ふふふ。なんか楽しいな。ほろ酔いで気持ちいい〜。ねぇねぇ、圭介くんは私に何か聞きたいこと、ないの?私ばかり質問しちゃってるからさ。ピエン通り越してボヘミアーん。」
「タクシー呼びましょうか?」
「ぁあ、呼ばないで!ちゃんとします。ちゃんとしますから!」
「冗談ですよ笑」
「なんか、ほんと楽しいね。そうやって笑うんだね。」
そりゃ笑うだろ、と思う反面で、こういう時間もいいもんだなと座布団の位置を整える。田中さんとは同期入社だけど、こうして同じ部署で仕事をするようになってからは1年あまりか、、、と脳内で反芻していると、ほぼほぼ同じようなセリフを目の前の女性が喋りだしたので思わず口元が緩んだ。
「ぇ、何、何笑ってんの?どこにウケた?」
「あ、いや、ほぼ見事に同じこと考えてたから。僕が考えてることをそのまま言葉にしてくれて、面白くて」
「ね、質問。ほら。」
追いキャベツより先に追い質問カモンが届いた。なんだか少し頭の後ろら辺がふわふわする。僕もほのかに酔っているのかな、久方ぶりの感覚を撫でる。視線を上げると煌々と輝くお店のライトが目に刺さる。光の余韻の中、あの日の君が映し出された。瞳の裏にいる君を、今夜は少し出してあげたくなった。
「初恋ってどんな感じでしたか?」
ガタン⁉︎
年期の入った趣のあるお店の雰囲気に1役を担っている丸テーブルが可愛く軽やかな乾いた音を立てた。今度は田中さんが座布団を整え座り直す。ついでにグイッと前のめりになり両腕に狭められたおっぱいが、私のこと見えてます?と言わんばかりに主張してきた。田中さんって贔屓目なしで世間一般的に見ても魅力的な人だと思う。綺麗というより可愛い系で健康的でどこか憎めない愛くるしさ。そんな彼女とて誰かと、たった1人の誰かと組み合わさっていく。もちろん僕の知らない彼女がそこには居る。僕はほんの氷山の一角の彼女しか知り得ない。その一部で全部を知り得たような人間にはなりたくない。(お前って昔から理屈っぽいよな〜)ふわついた脳内を幼なじみの友人の声がささっと走り抜ける。
「いい〜ネタ放り込んでくるじゃなぁい!初恋ですか!恋バナですか!7番テーブル盛り上がって参りましたぁ‼︎」
「そ、そうなんですか汗?」
「私はねはっきり覚えてるよ。近所のあきらくん。学校が終わって、公園に行くのが楽しみだったなぁ。」
「何歳の時ですか?」
「えーっとね、、小学校3年生の時。いつものように、学校が終わって、宿題終わって、今日は誰か友達きてるかなぁっていつもの近所の公園にいったのね。そこに居たの、あきらくん。ブランコをガチこぎしてたの。半ズボンから伸びる足が、長いのなんの。白いのなんの。」
「一目惚れ・・・ってやつですか?」
「うーん、どうかなぁ。目立ってたからなぁ、私からするとあきらくんは。何回か一緒に遊んでるうちにね、あれ、なんか好きだなぁって。」
「あれ、なんか好きだなぁの始りの部分をもう少し尺もらえませんか?」
「ぇぇえ汗。 うーん、子供だからなぇ、、、なんだろう、楽しいのもあったけど、、憧れかなぁ。」
「憧れ、、、ですか」
「あきらくんは、着ている服とか、髪型とか?、なんていうか小綺麗な子だったの。ほら、大人でもあるじゃん。大人びて見えたのもあるかもしれない。仲良くなれることそのものが輝いて、嬉しかった。」
「で、その初恋は実ったんですか?」
「追いキャベツお待たせしました〜」
追加のキャベツの不時着を待ち、これから話がクライマックスにいく前の絶妙な間をお店が作ってくれているかのようだった。たまたまとは言えこういったタイミングの偶然、いやまさか必然?さすがだぜ焼き鳥あんパイ。あとで星4つに格上げだ。ふと僕は壁に掛けられて燻んだままの時計に目をやる。9時半を少し過ぎたところだった。これからお相手さんの恋話がクライマックスだってのに10時にはお開きにしたいな、とか考えてしまう俺ってクールだなとか思いながらグラスについた水滴を指の腹で集めて乗せる。
「叶わなかったね。」
さっきまでの爛々としている彼女とは打って変わってどこか気品さすら覚える俯いた表情に、これがギャップ萌えか?と感じられるほどの振り幅だった。僕が知っている彼女と本当の彼女とはまた全然違うのだろうな、と当たり前のことを反芻する。
「告白したんですか?」
「うううん。一緒に遊ぶようになって、私はあきらくんを好きだったけど、告白とか、そういうことじゃなくて、ただ一緒に過ごしている時間が嬉しくて、楽しくて、それでよかったの。でもね、ある日、公園に新しい女の子が来てね。一緒に遊ぶようになったんだけど、、なんていうか、ほら、あたしと違って、綺麗というか、美人というか、、あ、あきらくんとお似合いだなって思えるような妖艶な子だった。全然、嫌な子でもないし、あきらくんやみんなと楽しく遊んでいる時間は変わらないんだけど、、子供ながらに、負けたなっていうか、私よりあの子の方がお似合いだなっていうか、、ほら、なんか、さ。」
「そうですね、子供にだって劣等コンプレックスはあるでしょうからね。」
あ、今の一言いらなかったかな、と思う時にはもう遅いわけで明るく朗らかな彼女は戻ることなく、彼女の初恋はクライマックスへと進んでいく。
目線を落としたまま話す彼女を見ていると、どうかこの話の彼女に花が咲きますように、と願ってやまない。彼女の手元、水滴はすっかり落ち着いたレモンサワーのグラスを大事そうに両手で包んでいる。まるで願い事をしているように。
「その子が来てから、どのくらいかなぁ〜、、2ヶ月?、いや、冬の手前ぐらいだったから3ヶ月くらいかなぁ。。わたし、見ちゃったんだよね。その日はみんなでかくれんぼしててさ。遊具の後ろに隠れてたんだけど、体を丸めてパッと顔あげたら、木の影であきらくんとその子がキスしてたんだ。」
「・・・(マセガキめ)」を僕は飲み込む。
「その時、思ったんだ。やっぱりね〜‼︎って。あきらくんにはあの子なんだよね。あたしじゃないよねって。だから告白も何も、ないよね。」
「・・・と、とりあえずネギマ、あげましょうか?」
「どんまい初恋ネギマですね‼︎ありがたく頂戴いたしますぅ!」
気のせいかな酒のせいかな照明のせいかな、田中さんの瞳が先ほどより水分を含んでいるように見えた。ただの初恋の話だったが、どこか彼女は今の彼女にも尾を引いているような余韻を感じさせた。彼女の新たな一面を見た僕は、見慣れぬ見知らぬ彼女にどう声をかけていいか分からず、残っているだらけたお酒をわざわざゆっくりと飲み干した。
「小津くんの初恋は?」
彼女はネギマで頬を膨らませながら尋ねる。今度は僕の番が巡ってきた。そうなるよな、と思うと共に、自分はひょっとすると、この初恋と言えるのかわからない話を誰かに聞いてもらいたいのだろうなと思ってあげた。
「小学校に上がる前、、かな」
「おーーー。割り早だね。」
ネギマを食道に通すべく顎を動かしながら、で?と言わんばかりに田中さんは覗きこんでくる。さっきまでのギャップ萌えの表情はどこへやらで、少し安心した。子供のような彼女の目は自由研究のテーマを探しているように爛々と輝いている。
「東京に引っ越す前に、通うはずだった小学校の門の前に立って、中を見ていたんだけど、後ろから女の子に声をかけられたんだ。1年生?って。案内しようか?って。」
「ほほう・・・それで?」
田中さんはおそらくこの話はまだまだ序盤でこれから始まるであろう展開を前に、静かにエネルギーを貯めているかのようだった。どうしよう、ほぼ終わりなんだが。
「いや、東京に引っ越すからこの学校には入らないって話して。えー、東京のどこー?って。」
「ふむふむふむ、、、」
ネギマはもう飲み込まれる寸前だ。引き続き彼女は序盤だと思って油断しきっている。もう吾輩の初恋物語は終了したのだ。ネギマの行く末を見守ってから結末を言おうと思った。何杯目だろうかのレモンスワーで喉をうるおしながらネギマが彼女と一体化していくのを確認した。ご苦労だったな我がネギマ。よし、もういいだろう。
「以上です。」
ズゴタンッ‼︎ドン!
丸テーブルと彼女の肘が愉快な音を立てた。期待に添えずに申し訳ないという気持ちが僕の顎を引く。
「ちょ、、ちょ待てよ! もっとやる気出せよ小津〜。以上ってどゆこと笑」
パニックなのだろうか、キムタクからの鎌倉部長とモノマネが続き、最後は田中さんだった。やっぱりおかしな話なのだろうか。それでも僕は、僕の体は、あの子に恋をしたということでしか説明がつかなかった。
「以上ですよ。他にもいくつか会話したかもしれないけど、その子に恋をしたんだと思う。」
「小津・・・嘘だろ?嘘だと言ってくれよ。」
「いや、なんで鎌倉さんなんだよ笑」
「ふふふ笑 ごめんごめん。え、その子のことは何にも知らないの?」
「名前は知ってる。」
「他には?」
「うーーん、、、、ない、かな。」
「それが、小津くんの初恋。」
「まぁ初恋なんて言えないよな、こんな話。」
「素敵だね。」
「え?」
「よっぽどビビッときたんだろうねぇ。ぁぁあ、素敵♡ふたりの出会いは運命?でもわかるよ。出会った瞬間に、心より、体も、血液も、私の全部で、君を見ている。そんな瞬間ってあると思う。症状は人それぞれで説明は難しいのですよ。」
僕はそう言って目をキラキラさせている彼女を覗き見ながら嬉しさを感じて口元が緩む。自分の初恋を初めて人に話し、そして初めて肯定された。あの日の君の微笑んだ表情が浮かぶ。僕たちのあの時間は認められた。僕はそっとマイメモリアルに記す。視線を戻すと、彼女はネギマに一味をかけるのを忘れたことを悔いているようでブツブツちっきしょう、とか言ってて平和だった。
「で、その子の名前は?」
「しののめはつみ」
慌てて店員さんが駆け寄ってきた。うむ、迅速な対応。素晴らしい。案外こういうのが星5つ目の決め手になるのかもしれない。彼女は残りのレモンサワーを豪快にすっこぼした。濡れたグラスに手を滑らせてしまったとのご丁寧な報告は間もなく彼女から届いた。
一瞬、彼女がビクついた様に見えたのは気のせいだろう。
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