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#4 家事は徳を積む修行?
先ほど、何とか実家の居心地の話を終わらせたところですが、この話の中に出てきたダメ兄の生活ぶりを思い返すうちに、家事について新たに思うところがあったので、少し触れておきたいと思います。居心地の話については、こちらから復習できます。
個々の好きなように振る舞った結果
前回の投稿で、母が自分の都合のいい時間に全員分の食事を作って食卓に先に並べてしまうと書きましたが、これによって食事のタイミングも家族でバラバラになることがしょっちゅうです。個々の好きなように振舞うというのは、こういった結果を招くわけですが、たいていのイベントには最後に片付けという作業がついて回ります。日本人の美徳とでもいうべきでしょうか、一度広げた風呂敷はきちんと畳んで元に戻すまでが一連のお作法なわけです。しかし、我が家の教育では食べ終わった自分のお皿を冷やすまでしか教えられていなかったので、シンクの中には大量の皿が残されることになります。読者の中にはお気づきの方もいるかと思いますが、シンクに並んだ大量の皿を見て、誰がこれを洗うのかと激しい心理戦が繰り広げられるわけです。この心理戦を通じて、筆者は最近あることに気付きました。
さかのぼること高校時代
まず、そもそもの教育の時点でお皿を冷やすまでしか教えてないことが、問題なのではないかということです。これはつまるところ、「洗い物は母がする」という暗黙の了解が前提としてあるわけです。その結果、洗い物がシンクに大量にため込まれる事態がまず発生します。しかし、母と同じタイミングで食卓につけない場合には、皿洗いをしてくれる存在もいなくなり、いつか母が洗うだろうという期待とともに使用済みの食器が長時間放置される事態に発展していくわけです。この問題は、筆者が高校生の頃からくすぶっており、当時受験勉強やスイミングクラブの練習などで帰宅が遅くなることも多かった筆者とバイトや遊びに明け暮れてた大学生のダメ兄は、母と同じ時間に食卓を囲めていなかったので、筆者はいつもダメ兄が残した食器も洗ってあげていたのです。おかげで、少なくとも筆者には「自分の食器ぐらい自分で洗えないといけない」という意識が芽生えたのは確かです。その後、海上保安庁に入ったおかげで、最低限身の回りのことは自分で出来るくらいに成長した筆者は、どこかで「自分の皿も洗えない奴なんて話にならん」くらいに考えていました。「自由には責任が伴う」なんて口酸っぱく中学時代の担任に教えられましたが、まさにそのとおりで、好きに振舞うなら、自分の皿くらい自分で洗えや!と怒りがこみ上げるわけです。
久々の実家の現状
しかし、久しぶりに帰ってきた実家はどうでしょう。ダメ兄は、たまに全員分の皿洗いを披露する程度には成長したのですが、バタバタする平日の朝は、相変わらずのご様子。ここまでは想像に難くないのですが、意外だったのは、母が皿洗いをしなくなっていたことです。元々片付け嫌いの性格のようなので、今までの主婦生活の苦労を考えれば、ごく自然なことだったのでしょう。兄と二人暮らしということもあり、自分の気が向いた時間に皿洗いを済ませても誰も困らないので、食後もすぐに皿洗いをせず長時間放置するようになっていたのです。実家のスネをかじらせていただいている身分なので、最初は渋々全員分の食器を洗ったりしていましたが、この状況にイライラしないわけがありません。しまいには、「これ(母の食器)も一緒に洗って」と言い出す始末です。最初は、このイライラにどう対処すべきか少し悩みましたが、結論としては、「徳を積むための修行」と思って開き直ることしかありませんでした。毎日大活躍する大谷翔平選手が、見えないところでごみ拾いをしているように…
修行の成果?
ただ開き直っただけなので、最初はもちろん、皿洗いのたびにイライラしていましたし、母から「ありがとう」と言われるたびに、なおさらイライラしていましたが、時間とともに少しずつ変化が起こり始めました。最初は、イライラが少しずつ収まって心の余裕が出てきたのです。やはり時間が解決することって世の中にはたくさんあって、完全に開き直れるとイライラしなくなると同時に冷静さも取り戻します。母が今までに洗ってきた皿の数に比べたら、私が今までに洗ってきた皿の数は微々たるもの…そんな風に考えられるようになってきたのです。また、最初は後から頼まれるのが嫌で、「洗い物あるなら先に出して」と自分で持ってこさせるように仕向けていましたが、ある時母に「持って行ってくれればいいのに」と愚痴をこぼされたときに、まだ開き直りが足りないと気付かされたので、その後は、何も言わずにこちらで勝手に回収するようにしました。自分が少しづつ変わっていくことで、最近は少しずつ周りも変わったような気がしています。イラっとするありがとうの言葉が無くなり、代わりに、兄や母が勝手に筆者の皿も洗うようになったりすることが増えたのです。自然と他人の食器を洗う回数が減りました。理由はわかりませんが、こういったところも、持ちつ持たれつの関係で何となく折り合いをつけて生活しているのだと、筆者に気付かせてくれました。
令和6年9月16日