見出し画像

旅日記:福井駅から敦賀ムゼウムへ(2/2日目)

ここまでの旅日記
1. 8年ぶりに福井へ向かう
2. 福井県立恐竜博物館を満喫



今回泊まったホテルは最上階だった。2日目も朝から良い天気。

客室からの眺め

ホテルにあったPOLAのボディソープがすごく良かった。ネットで検索したら業務用で個人向けに販売はしていないとのこと。でもラウンジにシャンプーとかそれらしきボトルがたくさん並んでいた気がする…。フロントで買えたのかも。

シャンプーと洗顔は持参。トリートメントは使いません。信頼している美容師さんが不要ってさ。

今日は2大目玉の2つめ、敦賀ムゼウムに向かう。
この日もテンションが上がっていて寝不足。本当は8時発のJRに乗る予定だったが、なかなか仕度ができずに早速予定を30分おしてしまった。

急いで部屋を出てフロントに向かう。
するとこのホテル、追加精算がない場合はフロントによらずチェックアウトできる仕組みになっていた!なんて素敵!!良い気分でホテルを後にする。

今度はここでゆっくり読書したい。
これこれ、タワマン!
建物が高い‥
再び謎の建物。プラネタリウムっぽい。

駅前のユトリ珈琲でモーニング(500円くらいでコーヒーとサラダ、スープ、小倉トースト(ハーフ)、ゆで卵が食べられる)をいただき、そそくさと新幹線で敦賀へ移動。ユトリ珈琲はすでに地元のおじいちゃんおばあちゃん方で繁盛していた。

新幹線ホームに向かうエレベーター
あちらは東京行き。いってらっしゃ~い!

自由席のチケットをとったものの満席状態。デッキに立ちながら語学アプリで遊んで過ごす。
敦賀に到着すると人があふれかえっており、改札前で足止め。朝9時の敦賀にこれほど観光客が押し寄せるなんて、想像していなかった。

外国人も結構いたなあ。福井駅より多い印象。

改札を抜けて、シェアサイクルで敦賀ムゼウムへ。地図を見て「おっけー、このへんね♪」と、GPSを使わず進んだ結果、途中で道を間違えたよう。新幹線で短縮した30分があっという間に飛んで行った。

ここで道を間違えた。

予定の20分遅れくらいで、敦賀ムゼウムに到着!

自転車を飛ばしたせいで、到着する頃にはうっすら汗ばんでいた。

敦賀ムゼウムに行きたいと思ったのも、NHKで杉原千畝の「命のビザ」にかかわるドキュメンタリーを見たから。当初は恐竜博物館ののみ行く予定だったが、この番組を見て敦賀が関係していたこととを知り、これは行かねば!と思って予定に組み込んだ。

館内の展示物はほとんど撮影不可だった。

この目の前の港に船が到着したのか。
ほかにもいくつか手記が展示されていた。勉強もかねて後で読もう。
これで約2000人のユダヤ難民が敦賀に逃れた。
奈良時代から渤海使が来航している。かつては外国との交易の要津だったらしい。

テレビで見たのは、ユダヤ難民が杉原千畝が発行したビザでウラジオストクから敦賀に逃れた話だったが、ここでは敦賀がポーランド孤児を受け入れた歴史も展示されていた。
昔から外国とのかかわりがあった敦賀だからこそ、市民も孤児や難民をあたたかく受け入れることができたのかもしれないと思った。ポーランド孤児が敦賀に逃れてから100年以上が経過する今も、ポーランドと敦賀はつながっている。それがわかる資料がいくつも展示されていた(先の手記もそのひとつ)。

ユダヤ難民に関してはテレビでの予習があったのですんなりと展示を理解することができたが、ポーランド孤児については知識ゼロだったため、展示の資料だけではわからないところがあった。
前日の恐竜博物館で聞きたいことが聞けなかった悔しさもあり、勇気を出して受付の女性に声をかけると、「わかる者を呼んでまいります」と言われた。
事務室から出てきた長身のMさん(男性)に疑問をぶつけると、「一緒に展示の前まで行ってみながらお話しましょうか」と、再度展示室に行き、展示の前で時代背景から詳しく説明をしてくれた。
「嘘を教えるわけにはいかないので、わかる範囲でになりますが」と誠実に、そして笑顔でわかりやすく教えてくれた。
疑問がすべて解決されるわけではなかったが、これはとっても良い時間だった。質問への答え以上のものをいただいた気がした。

今の時代、知りたいことはインターネットで調べればいくらでも答えは出てくると思う。でも、その情報が正しいという保証はない。それに、小さな疑問は手軽にネットですませることができるということは、その疑問を膨らませて思考を巡らせたり、その疑問をめぐって他者とかかわったりする機会を失うことにもつながる。「ググレカス」という言葉もあるが、人に聞くということは結構いいことなのかもしれないと思った。
もちろん、博物館の職員さんも暇ではないと思うので、展示の内容やタイミング、質問の量などによっては迷惑になるのかもしれない。今回は来館者も少なく、常設展で規模の小さい資料館のようなところだったということもあり、たまたま対応してくれただけかもしれない。

あたたかい気持ちで敦賀ムゼウムをあとにし、友人の待つ敦賀駅に戻る

敦賀ムゼウムのそばには貨物列車があった。今も使われているのかな。
ここに孤児や難民を乗せた船が到着したのか…。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集