人にやさしく

ちょっぴり本業が忙しくて、書くものが多かったので、noteはお久しぶり。
まあ、自分のリフレッシュも兼ねてやっているので、マイペースで更新できたらなぁと思う。

ちょうど昨日、夜帰りのバスを待っていて、ふと隣を見るとなんだか見覚えのある顔が。高校の演劇部の先輩、M先輩だった。

思い切って声をかけると、先輩は一瞬訝しみながらも、自分のことを思い出したのか、嬉しそうに「おお!」と声を上げた。

そこから帰り道、隣に失礼して、積もる話をしながらバスでの時間を二人で過ごした。

先輩は一度結婚をして、子供を設けたけれど、離婚をして今は養育費を払っているのだと言う。結婚だけでもかなり驚いたが、離婚までしていたとは度肝を抜かれた。そして、東京に飽きたのか、就職が見つかり次第九州に移住するらしい。……情報量が多すぎて、この辺りはもはや相槌を打つだけで精一杯であった。

自分は今年で25歳。先輩は今年で26歳。
出会ったのは、15歳と16歳。10年も経つと人間には歴史が刻まれる。

自分も先輩に今の状況について話をした。
向こうもかなり驚いていた。お互いに色々とあったのだ。

一番印象深かったのは、先輩の表情が優しくなっていたことであった。
今日はそのことを少し書こうと思う。


二人が出会ったばかりの高校生の時、先輩の表情はひどく恐ろしかった。

当時、M先輩は当時、脚本と演出、主演の全てを兼ねており、まさに演劇部を背負って立つ存在であった。

演劇部と聞くと、楽しくあるいは熱く、青春や創作を謳歌するものと思われがちであるが、自分たちの場合は全く異なる。鬼教官M先輩のもとで、徹底的に「人間の動き」を叩き込まれた。

「人間の動き」とは、人間が日常生活で行う体の動かし方である。例えば、歩くときの自然な手と足の動きや、立つ際の重心の置き方、会話をする際に目線などのこと。実は舞台の上で、こういった立ち振る舞いを行うのが最も難しい。なぜなら、人間には癖が必ず存在していて、それを役に反映してしまってはならないからである。

自分の同級生R君は空手をやっていたせいか、歩く際にかかとの踏み込みが強くなる癖を持っていて、それを直すために廊下を1日中歩かされていた。
自分も猫背がひどかったので、「気をつけ」の練習をこれまた1日中やっていた。

何が言いたいかといえば、先輩は「人に厳しい人間」だった。

おそらくそれが原因だけではないと思うが、先輩は段々と「演劇を楽しみたい」後輩たちとの間で溝を深めて行き、最後は何だか気まずい形で引退したのを覚えている。

では、自分はどうなのか。
自分はそんな先輩のことが好きだった。尊敬していた。

勿論、脚本が面白くて、それなりに声が出ていれば、高校演劇では及第点だし、文化祭は満員御礼である。だから、先輩の考えが受け入れられないことも良く分かった。もっと言えば、演劇は団体で行う創作なので、たった一人の熱量が全体に波及しない可能性は大いに考慮できた。

けれど、先輩の言っていることも良く分かった。
自分は喋りながら手をぶらぶらさせている人間の台詞で心を動かされたりはしないし、不自然な歩き方で起こる「役者本人の動きを馬鹿にするような笑い」に冷めてしまう。細部にこそ神は宿る。至極真っ当だと思う。

なので、自分は後輩たちの中でも珍しく、M先輩が高校を卒業した後も交流を続けた。
受験のこと、バイトのこと、大学のこと、恋愛のこと、互いに色々な意見交換を行ったのをよく覚えている。


だけど、いつの頃からだろうか。先輩とは全くと言っていいほど接点がなくなってしまった。距離が開いてしまった。距離を開けてしまった。

ちょっぴり、懺悔室で神父様に告白するようなことを書いてみようと思う。だからまあ、悪いのは自分だと思う。

先輩は厳しい人間なので、自分の生き方にもちょいちょい指導をくれた。

例えば、目上の方のいる飲み会では、一番歳下の自分が皿を配り、最後に料理に手をつける。目上の方のグラスが空いたら、必ず次の飲み物をお聞きする。これは自分が先輩から教わった飲み会のルールである。

一度、これを無視して、目上の方よりも先に料理に手をつけてしまい、先輩から「二度と呼ばなくなるよ」とこっ酷く怒られたのを覚えている。(あと、自分が目上になったら、必ずお金を多く払うように口酸っぱく言われたし、現に先輩は自分に1円たりとも払わせたことはない)

当時、自分は塾の講師のアルバイトをM先輩の紹介で始めたばかりだった。
自分は毎週定刻に出社し、授業をして、後片付けをするとすぐに帰宅していた。これも先輩にこっ酷く怒られた。

アルバイトといえど、定刻より早く出社して、予習をきちんとして、授業後はすぐ帰宅するのではなく生徒と面談などをしてコミュニケーションを取る。これが、先輩から教わった塾での働き方であった。

授業内容に関しても色々とアドバイスを頂いたのを覚えている。
「お前の授業はつまらない。」「もっと笑いと内容を。」
「変な動きや面白い話のストックを用意しろ。」

ある時は、あまりにも自分の授業がひどかったので、授業後の深夜の校舎に残って、朝まで模擬授業をして、それの講評を行ったのを覚えている。というか、忘れるわけがない。

先輩は厳しい人間だった。
そして、褒めてくれない人間だった。

これは懺悔室の神父に話していることなので、やや傲慢な言い方をするが、自分は先輩の厳しさに答えるために、先輩に評価してもらうために、褒めてもらうために本当に頑張っていたと思う。努力もしたし、覚えたし、考えた。

ただ、褒めてもらうことは一度も出来なかった。

考えてみれば当たり前である。
自分は先輩ほど周りは見えないし、能力も高くない。
そして、時間をかけなくてはできない人間だからだ。
彼の求める当たり前を、即座に、当たり前にできない人間だったからだ。

けれど、彼の当たり前はどうも、自分にとって「正しい」と思えてしまった。人生経験が少なかったからだろうか、それぞれの人の生き方を相対化して見ることが出来なかった。

だんだん、先輩と居るのが苦しくなった。
なんだか、会うと自分を値踏みされているみたいで、大したことない自分に吐き気がした。

憧れは、自分で自分を苦しめるしがらみになっていた。

やがて先輩は塾講師から、大手予備校の講師に就職して、ステップアップして行った。

それぐらいの頃からだろうか、先輩とはあまり会う機会もなくなって、かなり疎遠になっていったように思われる。


その日も、生徒との面談を終えて、塾帰りにバス停に並んでいると、隣にどうも見覚えのある人が座っていた。一つ違っていたのは、その人が昔と違って、凄く優しそうな目つきをしていたことである。

バスに乗り込むと、自分は「隣に失礼します」とその人の隣に腰掛けた。

「今、人生が凄く行き詰まってる」

その人はぽつりと言った。仕事を辞め、東京を離れて九州で暮らすつもりだという。

「先輩、今いくつでしたっけ?」

自分が尋ねると、その人は笑いながら、「26歳」と答えた。

その人が厳しい人間だったことを自分はよく知っている。
もちろん、自分自身にも厳しい人間であった。
嫌というほどの挫折がこもった言葉だった。

「今、何やってるの?」

自分は塾の仕事を続けていること、大学院に進んで研究を行っていることを伝えた。

「凄いな。よく頑張っているね。」

その人は本当に驚いたのだろう、感情がとても言葉に色濃く現れていた。

モニターには最寄りのバス停が表示された。
自分は停車ボタンを押すと、その人に別れを告げた。

帰り道、歩きながら久々にM先輩にLINEを打った。
「帰り道、お邪魔しました。東京を離れるのであれば、是非飲みに行かせていただきたいです。」

もし、飲みに行って、そこに来たのが「先輩」だったら、お家計はびた一文出さないつもりだ。

けれどもし、そこに来たのが昨日会った「あの人」だったら、餞別に多少お金を払おうと思う。

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