人を嫌いになる人
この世には二種類の人が存在していると思う。
「人を嫌いになる人」と「人を嫌いにならない人」だ。
自分は全くもって前者である。
直さなくてはと思うのだが、なかなか直らない。
今、この瞬間にも、顔も見たくないほどに憎んでいる人がいる。
なぜ、人を嫌いになるのだろう?と考えると、それは「関わる」からだろう。その人と話して、意見がぶつかって、利害がぶつかって、相容れないと判断してしまう。
そして、「自分を優先」してしまうのだ。翻っていえば、誰かを阻害しても「自分を優先」するだけの揺るぎない線引きと自信があるのだろう。それが国家や民族に当てはまるとやがて戦争になってしまう。しかも血で血を洗うタイプのやつだ。
自分はまさにそんな人間だ。最低だなぁと思う反面、しょーがないやつだね、かわいいやつだねと少し甘やかしてしまう自分もいる。
「あ、危ない。戦争になる!」と客観的に判断できるけれど、だからといって身を引くことはできない。そういう人間なのだ。
中学生の時、毎日一緒に帰っていた友達がいた。
同級生ではあったが、自分は彼に親しみを込めて「兄さん」と呼んでいる。
兄さんと初めて出会ったのは中学二年生の時であった。
自分は典型的なオタクで、陰キャタイプだったので、中学一年生の時に周りに馴染めず、やや浮いていた。たまに、クラスのリーダーみてえな奴がイジって来て、上手く返せないから笑い者にされた(今から考えれば、まあまあイジメだった。かなり不愉快である。)。
恐らく担任の教師に相談していたのが効いたのだろう、中学2年でクラス替えが行われた際には見事にオタクの沢山いるわけのわからんクラスに放り込まれた。このクラスも中学2年で解体されてしまうわけだが、人生の中でも指折り楽しい時間だったことをよく覚えている。
やはり、同じ神を信じているやつといるのが一番居心地が良い。
兄さんとはこのクラスで出会った。
彼は頭脳明晰で、特に数学が大の得意であった。
自分も、まあ中学の頃は多少勉強ができた。得意分野は社会だった。
二人はいつもプリントの問題を解く早さで競った。
ある日は兄さんが一位、自分が二位。
またある日は自分が一位、兄さんが二位。
そして、帰り道に煽り合うのだ。「問題解くの遅かったねぇ?」
趣味もぴったりと合った。二人共、「ポケモン」が大好きだったのだ。
兄さんの大好きなポケモンはドラゴンの見た目のポケモン、カイリュー。
ポケモンの中でも指折りのパワーで、どんな攻撃にも耐えるタフな奴だ。
彼はいつだって強いポケモンが好きだった。
自分の大好きなポケモンはヤシの木みたいな見た目のポケモン、ナッシー。
ちょっとクセがあるけど、使いこなせば力を何倍にも発揮する。
自分はいつもクセのある日陰者を工夫しながら使うのが好きだった。
二人はほぼ毎日、塾の終わりに、近くの公園のベンチに座って必ずポケモンバトルをした。結果は勝ったり、負けたり。勉強と一緒で、競い合うほど楽しかった。
中学三年生。兄さんは別のクラスになったけれど、いつも一緒に帰ったし、休み時間も一緒に過ごしていた。むしろ、さらに仲良くなった。
二人は「親友」だった。
これは主観に過ぎないけれど。
二人がこれほど仲良くなったのは、二人が真逆の人間だったからだと思う。
自分は直情的で、同情的な人間。「人を好きになり、嫌いになる人間」。
兄さんは客観的で、冷静……ともすれば冷徹な人間だった。
すなわち、「人を好きにならず、人を嫌いにならない人間」である。
片方がAといえば、もう片方はBと言う。
片方がBといえば、もう片方はAと言う。そんな関係性。
今まで24年間生きてきたが、自分が一緒にいて心地の良い人間というのは基本的にこの「兄さん」のような人間ばかりである。
自分とは真逆の判断をして、真逆の答えを返す。それは自分には不可能なことをやってのける尊敬の感情に繋がるし、何よりとても興味深い。
だから二人はぴったりのコンビだった。
けれど、少し立ち止まって考えてみると、果たして本当に幸せな関係性なのだろうか。24年間生きてきて、今、逆に疑問を感じてしまう。
確かに居心地は良いし、会話も面白い。尊敬もできるだろう。
だが、真逆の考えを持つ人間に自分のことを多少なりとも理解してもらえるだろうか。
少なくとも兄さんに自分という人間は伝わらなかった。
高校に入っても二人の親友関係は継続した。
お互いに違う高校に入学したが、それでも勉強や遊びで頻繁にやりとりを行った。
関係がガラリと変化したのは、高校一年生の夏であった。
自分は高校で演劇部に所属した。中学生の時も部活動には所属していたが、基本的には漫画を読んだり、さぼったりしていたので、組織に所属して活動を行うということが初めてであった。
これがやってみると、非常に達成感がある。
一人で何かを成し遂げる喜びとはまた違った、とても清々しい達成感である。
演劇には大会が存在する。地区大会、そして都道府県の大会、最終的には全国大会となる。まあ、甲子園みたいなものだ。
見たことがない人は、ぜひ高校演劇をお勧めしたい。高校生がそれまで蓄積してきた人生経験をフルに投入して、全力で一つの舞台を作る。
大学演劇や劇団などの舞台とはまた違った熱さがあって、涙が止まらなくなる。青春という言葉がぴったりと当てはまる。
自分の高校も御多分に洩れず地区大会に挑む。なかなか都道府県の大会には行けないのだが、いつも惜しいところまで行ける。そんな学校だった。
毎日学校に通っては、演技の練習をする日々。
先輩の指導は文化系とは思えないほどに厳しかった。
自分は大学でも演劇を志すわけだが、役者が苦手になったのはこの先輩に一因がある。稽古に出ては下手だと罵られ、挙句には歩き方が人間じゃないと言われて、廊下をひたすらに歩かされた。
けれど、当時は何くそ根性で練習し続けた。自分は諦めないことを学んだ。
そんな舞台を大会前に披露する機会がやってきた。文化祭である。
実は、大会は平日に開催されるため、基本的には部外の生徒は見に行くことができない。
クラスの友人や家族に見せる場として文化祭は重要な機会であった。
練習にも気合が入り、演劇部全員が文化祭に向けて一体化した。
そして当日。天気はバケツを二度ひっくりかえしたような大雨。
文化祭は暴風警報の影響で中止を余儀なくされた。
かなり落胆したことを覚えている。
それだけ自分がよく練習したのだなと今から考えれば思う。
文化祭には兄さんも呼んでいた。しょぼくれながら自分は兄さんに「文化祭は中止になった」とメールを打った。
すると、「ざまあ。こっちはできた」という返事が返ってきた。
そう、兄さんの学校がある地域には警報が出されておらず、文化祭を開催できていたのだ。自分も舞台が終わったら、そちらに行こうと考えていた。
問題はそこではない。
自分は兄さんからの返事に傷つき、大粒の涙を流したのである。
今考えれば、まあ兄さんならばこう言うだろう。二人は競い合うことで仲を深めてきたわけであり、いわば文化祭できるか競争に負けたのだ。
そして、あいつは血も涙もない冷徹な奴なので、こうも書くだろう。
(記憶から消えているだけで、もっと酷い文章だったかもしれない。)
明確に人を嫌いになった瞬間であった。
自分は怒り、憤り、咽び泣いた。怖かった先輩が必死に慰めてくれたのを覚えている。あれほど舞台で出なかった感情がここでは堰を切ったように溢れ出していた。
悔しかった。そして、悲しかった。
自分の努力を、みんなの努力を、否定されてしまったような気がしたのだ。
なぜ、自分のこの気持ちを兄さんはわかってくれないのだろう。
考える前に、メールを打たないのだろう。
以降、約5年間。自分は兄さんとの一切の関わり、連絡を断ち切った。
そして、5年後。その年の正月に、転機が訪れた。
近所でばったりと兄さんのお母さんに会ったのだ。
そして、兄さんが引きこもりになっていることを知った。
その原因は自分にあるわけではなかった(当時、違うんかい!と思った)。
兄さんは大学受験に失敗して、そのまま家を出なくなったのだという。
仕方ねえ奴だなぁ、親の気持ちをわかってやれよと思ったが、まあそういう奴だなとやや腑に落ちた。
兄さんのお母さんに、やや強引に誘われたので、兄さん宅に新年の挨拶に伺った。玄関から出てきた男は毛も伸びて、丸々と太っていた。
「ざまあ。大学落ちたんだってな。」
5年ぶりに会って、日和っていると思われたくなかったので、先制攻撃を加えた。
すると、兄さんはニヤリと笑った。そして「第一志望受かったの?」と切り返す。
「落ちたよ。第何志望かわからない学校行ってる。」
「それ楽しい?」
うるせえな。マジで。こっちは受験落ちたのめっちゃ気にしてんだよ。
二人で5年ぶりに初詣に出かけた。
兄さんは2年ぶりの外出だったらしい。
以降、毎年二人で初詣に出かけている。
兄さんは未だに家から出ていない。
変な奴である。
あれから4年。
今、この瞬間にも、まだ顔も見たくないほどに憎んでいる人がいる。
彼らとも、後5年すれば、顔を合わせることができるだろうか。
……あと7年かもしれない。
その頃には兄さんも家から出ているだろうか。