ここ数日の出来事について
いやー。参ったなぁ。
参ったって感じだ。
これを打っているのは2022年2月25日。
読んでいるあなたは、いつを生きる人だろう。
ここ二日ぐらい具合が悪い。眠れない。
何も頭に入ってこない。ただ、悶々と考えている。
たった一人の人間がこの世界についてものを考えるのは、多分愚かなことなんだろうなぁと思いつつ、考えて、考えて、あと数十年くらいはこの世界で生きなきゃなという思いに落ち着いたんで、これを書こうと思う。
国際政治がどうだとか、情報戦がどうだとか、民族由来の土地がどうだとか、そんなことをつらつら述べたいわけじゃない。
以前、夏目漱石の『こころ』についての話を書いた時に少し考えたけれど、1997年から2022年までのこの25年間ってのはまだ「自分が生きた時代」として総括することはできない。
なんというか、未だやり残したことが多いから。
知りたいことも多いから。
見たいこと、ものも多いから。
だから2022年から死ぬまでの時間が「自分が生きた時代」になって、「自分の時代」だし、「自分が生きる時代」なんだと思う。
「自分が生きる時代」、これからの未来について、ちゃんと考えて、見つめなくちゃいけない。
ただ、まあ。参った。
自分はこんな酷い時代を生きようとしてるのか。
絶望感が凄い。
撃たなきゃ何しても良いのだろうか。
右手にとんでもない武器を持ちながら、それを使わない条件で左手で人をタコ殴りにしても良いんだろうか。
誰かがやったから、自分もやって良いんだろうか。
なんでそんなひどいことができるのだろうか。
何故、未だに国という枠組みで争わなきゃならないのか。
恐らくこの数日で多くの人が悩み、苦しみ、あるいは目を背けたのではないだろうか(目を背けるのも大事な時はある)。
少なくとも自分は今、とてもしんどい。
自分達世代が初めて目の当たりにした侵略戦争を自分達はどのように受け止めなくてはならないのだろうか。
ベトナムが攻撃された時、自分達より上の世代はどのようにそれを受け止めたのだろうか。
その世代のさらに上の世代は、真珠湾や東京が焼けるのをどのように受け止めたのだろうか。
多分だが。
多分。「考えるきっかけ」にしたのではないだろうか。
あの時感じたモヤモヤを、胸に閉じ込めながら、心に刻みながら、考えてきたのではないだろうか。そして、今の世界を、自分達の時代を生きてきたのではないだろうか。
だから、今無理に答えを出すことではないのだろう。
まだ始まったばかりのことで、これから何が起こるのかもわからない。
もっと言えば、20年そこいらで答えを出すべき問題でもあるまい。
確かなことは、考えなきゃならないということ。
考え直すべき、というべきか。
これからずーっと考えて、考えて生きていくしかないのだろう。
自分たちの時代を生きるとは、そういうことなのだと思う。
にしてもしんどいなぁ(笑)。
なんでこんな世界をあと数十年も生きなきゃならんのだろう。
もっと酷いことが、もっと悲しいことが山ほどあるのに。
もし、自分に子供ができたなら、そいつはさらに数十年も生きなきゃならない。可哀想でたまらない……。
と、ここまで頭を抱えながら書いて、ポンと肩を叩かれた。
もう一人の自分が呆れた顔でこちらを見ている。
考え過ぎは良くない。適度に考えるのが大事で、焦っちゃだめだ。
確かにそうだな。
これから先の未来が悪いものになると決まったわけではない。
楽しみや、幸せはきっと存在する。
今、この時感じたモヤモヤを、胸に閉じ込めながら、心に刻みながら、考えて行くとしよう。
そうやってこれからの世界を、自分の時代を生きることにしよう。
未来が少しでも明るいものになることを願って。
この戦争がいち早く終わりを迎えることを願って。