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『きよしこ』

子供は素直。

とはよく言うものだが、僕は子供の時の方が自分の感情を押し殺して生きている事が多いと思う。

広い世界を知らない子供にとって、自分の周りにいる数人が話す会話しか正しいとしか思えず、その小さな世界で生き延びるために必死に自分の心を隠そうとしないといけない。


僕は幼い時にアニメを見てこなかった。

僕が小学生の時はドラゴンボールや幽遊白書など少年ジャンプ全盛期だったのだが、人が殴ったり戦っているところに恐ろしさを感じてしまい見ることができなかった。  

しかし僕らの世代と言ったらアニメを見て育っていると言っても過言ではない。  

僕の周りの友達たちは皆、そういったアニメを見て胸を高鳴らせ、もし自分もアニメの主人公だったらと空想し楽しんでいた。 


僕は団地に住んでいた。 

団地に住んでいると、黙っていても友達ができる。お互いの波長が合うからとかでなく、同じ団地に住んでいるというだけで一種の血縁が結ばれたように、兄弟のように一緒に遊ぶようになる。 


「幽遊白書ごっこやろうぜ!!」  

僕が小学校に入学する前の時、幽遊白書が大人気だったのだ。  

僕以外の友達はみんな幽遊白書を見ていた。 

飛影や蔵馬、ちょっと通な人は戸愚呂など、みんな各々の贔屓のキャラがあった。何となく好きなキャラクターは性格も表している。  

その中でも一番の人気は主人公の浦飯幽助だ。  

「幽遊白書ごっこ」をすると皆がこぞって浦飯幽助をやりたいと言い出す。俺がやる!俺がやる!と喧嘩にもなり出すほど浦飯幽助は競争倍率が高い役なのだ。 

僕は幽遊白書について全く知識がないので、輪の外で皆とはぐれないくらいの距離を保ちながら見ているしかない。別に輪に入れないくて悲しいという気持ちでもないのだが、幽遊白書が分からない僕は早くこの遊びが終わってくれと願うしかない。 


しかし、ここで触れなければいい事を掘り出すのが子供の性なのだ。 

僕の下の名前が「ゆうすけ」だ。  

そのことを気を使ってくれる友人が「浦飯幽助は“ゆうすけ”がやるべきなんだ」と言って、僕に浦飯幽助役をやるように言い張るのだ。  

本気で浦飯幽助やりたがっていた友達たちがいる中で、名前がゆうすけだというだけで、自分が大役に抜擢されるのである。 

みんな憧れの浦飯幽助をやることになるのだが、困ったことに僕は浦飯幽助が何をする人か分かっていない。  

友達が僕の後ろについて両手を握らせた。 そして「ゆうすけ、レイガンって言うんだ!」と僕を操るようにしている。 

僕は後ろの友人が「ゆうすけ、レイガン!」と言われ、僕がか細い声で「レイガン」と喋る。 


友人に指図されながら動く浦飯幽助。 

アニメだったら絶対に人気が出ないであろう。


こんな浦飯幽助が戸愚呂に勝てるはずもないのだが、戸愚呂役の友達も気を使ってくれ、僕の気持ちもこもっていないレイガンを食らい倒れてくれた。  


つかみどころのない悲しさを幼少から味わっていた。  


アニメを見なかったおかげで苦い思いをした経験はもう一つある。

小学校1年生の時である。 音楽の授業でみんなで「ハメハメハ大王」を歌っていた。  

「みなみのーしまのーだいおーは、そのなもーいだいなハメハメハ!」という陽気なアップテンポの歌だ。

小学校1年生で音程とか何よりも元気に歌おうという目的のために授業で使っているようだ。  

その歌を歌うときにどうしても、この陽気な曲とは正反対に僕はよどみを背負わなければならない。  

クラスの男子が「ハメハメハ」のところで「カメハメ波!!」と歌いだすのだ。 

「カメハメ波!カメハメ波!!カメハメカメハメ波!!!!!!」 

特に最後のカメハメ波!は本気でカメハメ波を出さんがばかりの大声で叫んでいて、クラスのテンションも高まってきた。クラスのみんなもカメハメ波に包まれている熱気が心地いいのだろう。  

その盛り上がっている様子を見て先生が「机の上に立ってもいいわよ!」とさらにクラスを熱狂させるようにうながしてきた。  

先生の指示に喜んだクラスの男子がみな机の上に立ち「カメハメ波!」とさながら自分がドラゴンボールの孫悟空のようにポーズまで添えて歌い出した。  

クラスが「カメハメ波!カメハメ破!!」と興奮している。 

先生も生徒たちが元気そうに歌っている姿を見て満足げだ。 

 しかし、僕の心は青ざめるしかなかった。 

ドラゴンボールを見ていない自分は、この熱狂に全くついていけないのだ。 

ドラゴンボールなどはアニメを見なくたとしても、黙っていてもある程度情報は入ってくるので、カメハメ波が手から波動を出す技というのは知っている。  

だが、僕は悟空に思い入れもあるわけでもない。カメハメ波をしたいなどとも一度も思った事がない。 


 「古屋くんも机の上に立っていいのよ」 

先生が僕が本当はカメハメ波をしたいけど机に立つのを躊躇しているのだと気遣って、皆と同じようなカメハメ波をさせようとしてくる。  

クラスの男子の中でカメハメ波をしていないのは僕だけだ。 

クラス中に響き渡るカメハメ波。 


カメハメ波!

カメハメ波!!!!

カメハメ波!!!!!!!!! 


その周囲のカメハメ波の圧力に負けて、恐る恐る僕も机の上に立った。  

自分の意思ではなく、周りのカメハメ波の大合唱によって動かされる自分。さながらカメハメ波をくらいヨロヨロになってもまだ立ち上がろうとする姿のようだ。 

 そして「カメハメ波!」のサビのところで両手を胸の前に出して、絶対に波動が出ないであろう気弱なカメハメ波をするしかなかった。  

好きでも何でもないキャラクターのポーズをさせられるのは屈辱以外のなんでもない。 

僕のささやかな抵抗として「カメハメ波」と口には出すことはしなかった。 


幼い時の世界ほど小さな世界はない。  

アニメに興味がないと言うだけで、まだ小さい身体をさらに肩身狭い思いをして生き抜かないといけない。  

幼い時は周囲の世界だけが正解なのだ。 

アニメは全員見ていて、クラス全員が好きなものでなければならないのが僕の子供の時の世界だった。  

「幽遊白書知らない!ドラゴンボールも見てない」そんな心の本音を言う事をはばかって僕は生きるしかなった。  

吃音で悩む少年きよしを描いた小説。吃音であったため言いたい事をずっと言えず、悔しい思いをしてきた。自分の本音を言える友達がほしい、ずっとそう思って生きている。 誰しもが幼少の時の苦い思い出ってあるでしょう。この本は全ての人の苦い思い出を綺麗にしてくれます。 



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