生まれるべき場所がどこかに
自分にとって最上の安息と充実をもたらせてくれる生活と街が、地球のどこかにあるかもしれないというお話。
以前Twitterに書いたかもしれないし、もしかするとこのnoteの下の方に書いてるかもしれないけど、もう一度、このまえ遊びに行った友人の事を書いておこうと思う。
私の友人の奥さんは15年ほど前に北欧の某国から日本の大学にやってきた留学生で、ひとたび北白河通りを歩けば大抵の日本人は振り返りため息をつくほどの金髪碧眼の美女であった。当時ヨーロッパ出身の留学生が集うコミュニティがあり、たまり場になっていた施設は「裂け谷」「エルロンドの館」などと言われていたが、ある日そこから、その美人留学生が失踪するという事件が起きる。
失踪と言ってもコミュニティに現れなくなったという程度のもので、よくよく調べてみると、私の友人と恋に落ちて、室町の彼のアパートに身一つで押しかけて同棲を始めていた、という結末だった。
そもそも惚れた上に強引に同棲生活を始めたのは彼女の方なのだが、いかんせん私の友人の、無精をすると目以外の顔がヒゲに埋もれるような剛毛や、ボッカのアルバイトで鍛えた屈強な足腰、パンタグラフのようなキレイな角度を描くがに股という容貌から、「室町に住むドワーフが裂け谷のエルフを肩に担いで連れ去ったらしい」という噂が流れるに至った。僕はその噂を聞きつけた時の、彼のヒゲの奥にある黒目がちでつぶらな瞳が物悲しそうに瞬くのを見ていたが、ついに彼の口からは不満や怒りの言葉を聞くことはなかった。これが世に言う「室町ドワーフ拐かし事件」なのだが、その顛末と派生した騒動はまた別の機会に。
しばし後、彼は大学卒業後、実家のある滋賀県に帰ることになったのだが、かのエルフ嬢も彼と一緒に滋賀に移るらしいという噂が流れてきた。彼女はすでに留学生としての責務を終え、母国に帰ってしかるべき職につくか、日本と母国の架け橋となるべく、日本でなにがしかのビジネスを立ち上げるのか、それとも芸能事務所に所属してモデルなどの職につくのか、という周囲からの期待を一切感知せず、またもや身一つで滋賀の地に舞い降り、彼のお母さんと意気投合し、そのまま嫁入りを前提に彼の実家で生活することになったのだった。
それから幾年月が過ぎ、エルフ嬢は私の友人と子供たちと、今でも国道から少し脇に入った小さな住宅地でほんわかと暮らしている。彼女の生活はいわゆる「マイルドヤンキー」という言葉でしっかりと定義できるものであり、国道をミニバンで移動し、イオンと平和堂をぶらぶらし、靴流通センターでサンダルを買い、びっくりドンキーとジョリーパスタをこよなく愛する生活を送っている。町内会の役員やPTAのお世話も色々とこなしている。はたから見れば違和感しか無いのだが、本人はいたって真面目にこう言う。
「私はここでの生活、ここでの毎日が、自分の魂にぴったりと合っているのを感じる。まるでここで生まれて、ここで育って、こうやって生きていくことこそが、本当の自分のように思えて、それに出会えたことを幸せに感じる。」
僕は、あぁそういうものかと思いながら、その人にとって最上の場所、最高の環境というものについて考える。彼女を見ていると、そもそもその場所が「自分の生まれた土地、故郷である。」という前提自体が思い違いなんじゃないだろうかと思えてくる。
昔学生の頃に、バンコクの宿屋でバックパッカーの青年と話をしたことがある。世界のどこかに、その街に立った瞬間、「あぁ自分はこの街に生まれてくるべき人間だったんだ。」と直感してしまう街がある。そう感じたら、とりもなおさずそこに住むべきなんだ。僕はその街を探している。残念ながら、少なくとも、日本には無いんだよ。だから帰らないんだ。
僕は今深刻に悩んでいる人ほどではないが、この日本という社会に、ある程度の「住みづらさ」を感じながら生きてきた。それは同調圧力だったり、ヒエラルキーであったり、過剰な勤労思想だったり、というものが、いまいち心から受け入れづらいままになんとかやり過ごしてきた、という程度の問題だった。そういう中途半端な人間にとっても、「世界のどこかに、ここよりも自分にぴったりと合った街がある」という神話は、ある程度光り輝いてみえる。
それを探し続けることは大変だけど、そういうエルドラドを夢想しながら生きていれば、もしかするとなにかしらの救いになるのかもしれない。いやでもお好み焼きも落語もない世界は自分にはちょっと考えられないかなぁなどと、滋賀からの帰りの電車で夜空を見ながら考えていた。
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