学校でのマルトリートメントについて考えてみた。
この本知っていますか?
最近読んだ本の紹介をしてみます。
面白すぎて発売されてすぐに読んで、同僚や友達に「夏休みの課題図書です!」とラインを送りました。
マルトリートメントとは。
「マルトリートメント」という言葉は、公認心理師の国家試験の勉強中に知りました。「不適切な養育」と訳されることが多いけど、具体的にはどんなことが不適切なのかというと分かりにくい部分も多い。
ウィキペディアで調べてみると、
マルトリートメント(英: maltreatment)とは、「人あるいは動物に対する残酷なもしくは暴力的な振る舞い」[1]を意味する英単語であり、日本では特に「大人の子どもに対する身体的・性的・心理的虐待とネグレクト」を包括的に指す[2]
と、結構厳しい感じの言葉で書かれている。
でも、この本は、もう少し手前というか、日常の中に「マルトリートメント」があるので、気を付けようという内容です。
もちろん、家庭での「マルトリートメント」は近年、虐待問題でいろいろ取り沙汰されることがありますが、教師による子どもへのマルトリートメントって、結構見過ごされてきている感じがします。
この、川上先生、すごーく鋭い指摘で本書を書かれています。昨日も仕事で職員室の隣の席の先生が「これ、買いました!」と見せてくれて(私はkindleで読みました。)、この本についてあーだこーだと意見の交換をしました。
「川上先生、ここの職員室どっかから覗いてるんちゃう?」というくらい、鋭いご指摘が満載です。
学校で日常的に聞いたことあるフレーズが満載です。
「私たちも、気を付けていこうね。」と話しながら、賛同してくれる同僚が近くにいることがありがたいです。
でも、もちろん、学校にはそんな先生たちだけでなく、
「この子、ほんまにしんどいわー。」
「あの子、この前のテスト30点やってんで、どうやったら30点とか取れんの?信じられへん?」とか
「あの子も変やけど、あの親も変やわ。」とか、
「むかついたから、見せしめにめちゃくちゃおこったった。」とか
「親に、子どもがどんだけできへんかわからせなあかんわ。」とか・・・・。
いろいろな先生たちがいます。
そして、マルトリーメント満載の先生の方が声が大きくてパワーがあって、自分の考えを正論として通していく人が多い気がします。
前日、この川上先生のウェブ研修を受けました。こういう発言(川上先生は毒語って言ってましたが。)は、依存性があって毒語で子どもが言うことをきいてくれた時に、それが脳に快感という報酬を与えることで毒語を発することに依存してしまい、やめられなくなっていくと。
確かに、毒語を発して子どもが言うことをきくということが、成功体験として捉えられてしまうのはあると思います。
でも、それってほんとにいいのかな。
子どものせい?
以前、大阪大谷大学の小田 浩伸教授の研修の時に、
という話があって、すごく納得したのを覚えています。
理解がゆっくりな子にもわかる授業の工夫をどんな風にしてきたのか、子どもの理解は自分の授業の結果だということを教師は肝に銘じなければならないのかなと思います。
「あの子しんどい。」「あの子学力低いわ。」と簡単に言ってしまうのは、自分の授業の責任ではなくて、「あの子のせい」と責任を子どもや親に転嫁しようとしているのかなとさえ感じます。
教師が「いじめ」と「マルトリートメント」をすることってないの?
公認心理師の国家試験の勉強中に「いじめ」の定義について出てきたのですが、いじめの定義は時代とともに変遷し現在はこんな風に定義が変わってきたようです。
これを見て、学校でのいじめは「他の児童生徒」からとなっていて、教師からのいじめは想定されていないんだ、ということに驚きました。
マルトリートメントも、公認心理師の国家試験では、養育者からの虐待がらみのことがメインで、学校の教師からのマルトリートメントは基本的に想定されていないということです。
今後、どうなるかはわかりませんが、現行の法律では「いじめ」「マルトリートメント」は教師が行うことはないという前提でできているようです。
教師がいじめに加担したり(結果的にそうなっていることも含む)、教師がいじめを行ったり、マルトリートメントを行ってしまっていることはないと思われているということですが、本当にそうなのか、自分たちの行動により一層気を付けていく必要があると感じました。
子どもをどうにかしようと思う前に、もう一度立ち止まって教師の行動を振り返ってみるのも必要だなと2学期を前に改めて思うところです。