旅行日記 弘前探訪 その二
昨日の話のつづきから。
岩木山神社は素晴らしかったが、山頂付近に雲が立ちこめており、はじめて訪れた昨年の印象とはまた異なるものだった。
昨年はいい天気で山頂もよく見えた。
そのときは母と一緒に来たのだが、山頂が見えることで、それがちょうど鳥居から本殿に至る参道の全くのど真ん中にくることが非常に印象深く、岩木「山」神社たる所以であると腑に落ちたものだった。
すぐ悲観的になるのが私の悪いクセであり、また今回も落ちこんでしまった。
あのときは感動したのに、今はそうでもない。
やはり歳をとると、年々感性が鈍っていくのだ…あるいは仕事に追われて、美しさに対しての価値をもてなくなっているのかも知れない。そして昨年は喜んで一緒に旅行をしてくれた母が、もう歳で旅行はできないと言ったことが悲しくて、目の前の感動を打ち消しているのかも知れない。
悶々としつつ参道を登った。
登り切る手前に竜の口から吹き出る手水口があり、私はここで手を洗い、やっとまともな感動を取り戻したのだった。
滝行というのがあるけれども、私は水と親和性が高いのか、プールに入ったりするのもそうなのだが自身を水で清める行為に問答無用の「浄化感」を覚える。
この冷たくて清々しい感じ、かあさんと昨年来たときと少しも変わらないじゃないか。私は何を余計なことを考えていたんだろうな。
思考のクセまで矯正されたような気持になり、こういった行為は無意味なようでいて実はかなり重要なことなのかもと気づいたりした。
絵馬があった。
ふだんは書かないのだけれど、今回は特別。
先月は秩父札所巡りもしたのだが、行く先々手を合わせつつ思ったのは主に娘の受験のこと。
今年は大学受験が控えている。
絵馬に書いてお願いしてきた。
このとき正午を切っていたと思う。
それほど空腹でもないが何か食べようと思った。
折しもお盆前。岩木山の麓のレストランに立ち寄ったがごった返しており、あえなく退散。
どうしようか迷いつつ、どうせなら弘前で話題のものを食べようと思った。
元祖といわれる 中華そば たかはし というお店がどうやら人気とのこと。
煮干しだしが効いてるらしい。
ここも混んでいたが、回転が速そうなので並んでみることにした。
私はここで、旅の醍醐味である地元トークを期せずして聞くことができた。やはり津軽弁は秋田のそれとも違って、独特の抑揚が華やかで好きだ。
夏は体調を悪くするお年寄りが多い。持ってあと少しという話を耳にして、そして後ろで聞いたのと同じような話を前の団体も話しており、時期だなあ、夏はこたえるよなあと考えるうち順番が来た。
たかはし。
ググって出てきたたかはしである。
外に並んで発汗し、塩分を欲していたせいもあるのか、夢中で食べた。おいしかった。麺が独特で、色が薄いのでかんすいが少なめなのだろう。甘さがあるため煮干しのコクあるスープと良く合う。
ありがとうたかはし。
弘前に来たかいがあったというものだ。知ったのは先ほどだが。
つづく
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