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映画:MEMORIES

 大友克洋が原作の「MEMORIES」という映画を見た。この映画は全3話から成るオムニバス形式のSFアニメ映画である。それぞれのタイトルは「彼女の想いで」(Magnetic Rose)、「最臭兵器」(Stink Bomb)、「大砲の街」(Cannon Fodder)となっている。

「彼女の想いで」(Magnetic Rose)

 監督は森本晃司で、脚本は今敏が行なっていた作品である。

あらすじ
 舞台となるのは2092年の宇宙空間であり、主人公のハインツは「コロナ」という宇宙船に乗っていた。「コロナ」には船長のイワノフ、タバコを常に咥えている青島、軟派なミゲル、そして主人公の計4人がいた。宇宙空間に落ちていた行路の障害物を除去する帰りの途中で、「マダム・バタフライ」から緊急信号を受けとることが発端となり話が進んでいく。どうにも、国際航法で緊急信号を受けとった場合には必ず助けにいかないといけないようだ。その発信源はサルガッソーと呼ばれており、この世界では宇宙の墓場という認識がされている場所であった。危ない場所ではあるが、救助しないわけにもいかないので、緊急信号を発信している宇宙船の中に主人公とミゲルが行くことになった。宇宙船内に入ると、ホログラフでできた宮廷のような空間が広がる。果たして、緊急信号を発信している人物はどのような人であり、無事に救出できるのだろうか。

感想
 1995年に作られた作品とは思えないくらい精巧なSF作品であった。話のメインは記憶とそれに囚われている人の話となっていて、主人公も子供に関する記憶に何かあったようだ。ホログラフを作っていた宇宙船のホストも過去にあったことに囚われていた。囚われすぎてホログラフを作ったといっても過言ではないくらいだろう。過去にあったいいことをずっと覚えておくことは悪くないが、それにすがったり囚われすぎるのはよくないと暗に表現しているようだった。
 ストーリーが良かった一方で、私は世界観に没入できる映像、脚本、設定に対して最初に心が惹かれることを感じた。コールドスリープの存在を示唆する発言、宇宙空間での移動方法、環境変化による身体への負荷やホログラフを見た際の反応に対する制作者側の解釈は見ているだけで楽しい。今より新しい技術だからといって、宇宙船の内外を単純なシステムだけで構築していない点もとてもよかった。宇宙空間で過ごすようになっても、ある程度の人間の社会は保たれるだろう。その中で泥臭い仕事をして生きている人はいるし、労働環境がいいとも限らない。理想としない部分も見えるこの作品は個人的にとても好きだった。
 また、音楽もこの作品は大事な役割をになっていたと感じる。緊急信号を発した「マダムバタフライ」という発信源の名前からもわかるように、蝶々夫人と映画のBGMとの関係も深い。蝶々夫人のオペラに関しては詳しくないが、内容とはあまり関連性はなかったようである。裏切り要素が少しあった程度で他は関係ないのかなと私は思ったが、詳しい方は見た後に照らし合わせてみるといいかもしれない。私はこの記事を打っているときに、裏で蝶々夫人を流した。いい曲である。

「最臭兵器」(Stink Bomb)

 監督は岡村天斎で、脚本は大友克洋が行なっていた作品である。

あらすじ
 山梨県に住んでいる田中信夫という男がこの物語の主人公である。信夫は製薬会社の西橋というところに努めている研究員だった。風邪気味の信夫は会社にあった解熱剤である「赤いケースに入った青いカプセルの薬」を飲むように促された。しかしながら、信夫は「青いケースに入った赤いカプセルの薬」を飲んでしまったのだ。そのカプセルを飲んだことにより会社の社員が全員倒れてしまったり、町の植物がすべて開花したりと変なことが起こり始める。信夫は無事にもとの生活に戻れるのか。

感想
 この作品内では多くの戦闘機や戦車が登場してくる。ミリタリー好きであれば感動するだろう。主人公はこれでもかというほどミサイルに打たれ爆弾を投下される。ミサイルを打たれても生き残るあたりから、大規模な大人の悪ふざけ作品のように感じてきた。作品の最後もコメディっぽい終わり方であったので、ジャンルとしてはSFコメディに当たるのであろう。
 しかしながら、コロナと関連付けて振り返ると主人公の行いは笑って過ごせるものではない気もした。信夫は自分が酷い臭気を放っていることに気づかずに動き回る。コロナに感染した人も、潜伏期間があることから、感染していても動き回っていることが少なくない。感染している人は元気であるし、なにより自分が感染しているなんて思っていないために動き回ってしまう。感染者が移動し、そこから被害が拡大していくことはこの映画と似ているなと感じた。
 また、災害の原因を特定している人や対処をしている人たちが大騒ぎであることも、コロナ禍の状況似ている。現在、医療従事者や疫学研究者はワクチン接種や陽性者の受け入れで猫の手も借りたいような状況であったり、病原菌の解明に大忙しだったりする。研究対象ができたので喜んでいる人もいるらしいが、気が充分に休まっている人は少ないだろう。
 何年続くかわからないこの新しい生活に不安を抱くことも少なくはない。しかしながら、この作品のように都市から人がいなくなるほどの壊滅を招く感染力でなかったコロナは、まだよかった方かのかもしれないと思った。

「大砲の街」(Cannon Fodder)

 監督、脚本を大友克洋が行っていた作品である。

あらすじ
 始まりはある少年の寝室からである。少年のいる町は大砲があり、その大砲を用いてどこかの移動都市と戦争をしているようだ。この少年の父親は大砲の装填師で母親は工場で働いている。そんな家族の日常を映しながら、少年が寝るまでの生活を描写し、この作品は幕を閉じる。

感想
 この作品のすごいところは全編20分あるアニメーションを1つのカットだけで作成しているところである。1日の風景がすべて連続して見えてくる。カメラワークや場面転換の仕方が非常に滑らかで、20分があっという間に過ぎた。
 大砲を打つことで戦いを行っている設定も作りこまれており、どのように大砲を打つかの描写が細かくされていた。学校で教えている勉強の内容や、働く母親の職場環境、町の中にある文化などすべてが「大砲の街」を表していた。
 日本も実際に戦争を行ったことがあり、戦争中の日本の話をいくらか聞いたことがあるが、それとは少し異なる生活様式であることも面白い点であった。日本では戦争に終わりがあった。長く戦争をする必要性がなかったし、争わないことを望んでいたように思える。そういった国では、戦争は通過点でしかなく、戦争後がある前提で暮らしている。しかしながら、この大砲の街は戦争をしていることが当然であり、すべてを戦争のために行っている。勉強も労働も生きがいも全て戦争のためである。なんとも不思議な感覚がした。
 作品の中で大砲に使われる爆薬が体に悪いといわれていた。自国の健康被害についてデモは起きるけれど戦争には反対しておらず、そこから戦争を行うことの当たり前さがうかがえた。戦争が生活の一部となるというのはこういうことなのかと考えた。今後そのような世界になることはないと思うが、今当たり前に行っていることが、今後戦争のような存在になるかもしれないと思うと少し怖い気もする。

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