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◇"良い"ひと

最近
「良いひとでありたい」
という思いについて
考える機会が多い。

当然ですが
わたし自身が
「良いひとでありたい」と
感じているわけではない。
微塵も。

わたしの性格からして
めんどくさい要素をもって
その理由を述べるとしたら。

“良い”の感覚など
人それぞれで異なるわけで
いわゆる
「良かれと思って」の固定概念で
決定づけるには危険な感覚。

それぞれで許容範囲の
理解が至るのは
もはや超能力者でもない限り
不可能であると感じるわけです。

2度の機会で
同じ考え方に関して悩んだり、
思うものがあったりするのは、
おそらくそこが
いまのわたしの分岐点か、
気づくべき瞬間・経験をしろ
ということなのであろうと
思い込んでおきたい。

予めお伝えしておくと、
というよりわたしと直接
関わってきたひとは
よくご存知かと思うけども、
わたしは嘘や隠し事を好まず、
自身の意見は率直に答えるタイプ。
ゼロか100か、
といった表現が最も近い。

以前「曇り」についても
話したと思うけども、
曇りというのは
ごまかしや隠し事を示しやすい。
しかし
わたしは曇りそのものが
紛れも無い
直線的な存在だと感じている。
曇りには
明らかな根拠が存在するからだ。
状況の先にある本質を
考えさせようとする
本体に興味がある。

そんな「曇り」を
じぶんの好都合に利用して
じぶんの有益のために
相手に伝えるべき情報、
すなわち明らかな原因や
理由というものを
不明瞭なものにしたり、
あるいは根拠が不明瞭ゆえに
不明瞭である事実を
あえて不明瞭にさせたり
(喋るとバカがバレるタイプに多い)、
責任転嫁したり
共有そのものをしないヤローを、
わたしは許したいとは思わない。
微塵も好まない。

それを踏まえた上で、
1度目の機会。
2度目の機会については
次回お話しするとしましょう。

◆貫きたい思い

もうしばらく
前の話になるけども、
フォロワーさんとちょっとした
リプライのやりとりで

「良い人間でありたい」
「なかなかうまくいかないんだよね」
「物騒になっちゃうし」

と、
人との関わりに関して
悩みを抱いている様子だった。

わたしは5月に前職を退職した。

正直5社目にして、
企業としてあってはならない状況を
目の当たりにしての退職だった。

生まれて初めて
入院という経験をして、
自身のそれまでの考え方そのものを
疑った場面も多くあった。
わたしの友人たちは本当に優秀で、
本人の主観でありながらも
客観的に、
冷静に、
わたしを立て直してくれた。

わたしが正気に戻ったのは、
自身の思いを貫く信念に
間違いはなかったと
悟ったこと。

絶対な正解などないが、
間違いではなかったのだ。
とてもシンプルだけど
本当にそれだけだった。

でも、
これが決して
簡単なことではないことにも
改めて思い知らされた。

フォロワーさんとの会話の中で
彼は

「心のままに、
 思いのままに生きられることの
 なんと幸せなことか」
「曲げてまで生きていたいと
 思えないならばやはり
 未来に保証など要らぬ」
「退かぬ、媚びぬ、省みぬで
 私も生きていきたい」

と仰っていた。

自身の思いを貫きたいという
強い意志があるものの、
立場としてそれが
不適切な行動であると
判断する必要があったため、
迷いもあり、
腑に落ちない状況に
至らしめていたのだ。

立場をわきまえて
行動できたからこそ
大切な存在を守ることができた。

家族のことだ。

自身が素直に問題に直面し
嘘偽りなく意見を述べ
対立する存在に立ち向かう

これが
そううまくできない場面
というのは本当に、
しかもなぜこんなタイミングで
と思うところに
面倒な状況で存在してくれていて。
あぁなんと迷惑甚だしい。

絶対的にその環境のやり方
相手の判断に「おかしい」と
疑問を抱くような、
明確に誤りがあると
気づく時に限って、

その貫きたい思いを
相手に伝えることにより
自分の立場に危機が訪れる
大きな可能性。

彼との大きな違いで言えば
わたしは当時独り身だ。
失うものなどない。

わたしは技術者だ。
しかし良いものを生み出すために
何一つ努力を惜しまない。
そういう姿勢でやってきたし
そういう姿勢をみてもらえたから
職場を離れたとしても
今も協力的な仲間たちに
恵まれているのだろうと思う。

技術も仲間も
失うものだと
思っていないのだ。

自らが弾丸となり
改善すべき箇所の指摘と
改善方法の提案
それによって得られる
良い環境。

全てはそのためである。

しかし
それを妬み、嫌い、
追放しようとしてくる
輩さえ存在した。
何一つ実行力もなく
改善すべき協力もせず
生ぬるい環境の心地よさに
快楽さえ覚えていたのだろう。
その環境によって
飼い殺しされていた
多くの社員たちが苦しみ、
打開策の提案すら
否定されてきたというのに。

わたしもわたしだ。
反省点としては
「わたしが動かなくて
 誰が動くというのだ」と
使命感・必然性を感じて
その信念を何一つ疑わず
一直線であったこと。

結果的に
わたしは追放された。

わたしはそれでも構わなかった。
当然後悔もしていない。
技術も友人も失わなかった。
むしろ友人は増えたし
わたしとしては
「これでよかったんだな」
とさえ思っている。

しかし彼は
それを恐れている。

貫きたい思いがあっても
失ってはならない家族のためにも
自身が弾丸となってしまっては
いかんのだ。

自身が弾丸となって
場所を崩壊させてしまっては
守るべき家族を
守りきれない状況にしかねない。

可能な限り危険な道は
避けて通るべきなのだ。

◆自身の思い

考えることは自由だ。

改善したいことがあれば
提案することも自由。
それによって救われる
人や環境があるだろう。

しかしながらそれを
"良い"と思わない存在が
必ずどこかに存在する。
受け入れないことによって
自身の立場をキープしようとする
最低な存在も当然いる。

それでも貫く思いが
自身の思いか。

その思いを折ることで
保身を選択するのが
自身の思いか、

自身の思いはどこにあるのか。

今後も居座り続ける
課題のひとつであろうと思う。

ではまた次回、

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あめ
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