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能登地震、遠く離れた故郷を想う

場所はニューヨーク、時刻は午前2時。
こっちでは2024年元旦になったばかりだった

私は友達の友達から教えてもらった、知らない人の家のパーティで年を越して、そのままそこで数時間過ごしていた

お酒が飲めない体質の私はちょっと前に飲んだ酒による酔いが完全に冷め、案の定酔っ払いの集団にうまく溶け込めず、暇を持て余していた

そこで地元の親友にLINE。その子といつもみたいに会話してたら

地震が起きた

ニューヨークじゃなくて、私の地元北陸で

LINEスマート通知も地震があったと知らせてくれてた

最大震度7に驚きつつも、いつもみたいに故郷の家族や友達に連絡を入れまくった

家族からも友達からも、程なくして安全が伝えられた。よかった。いつもみたいに立山が守ってくれる。大きな地震だけど、きっと大丈夫、と思った。

でも、津波警報が出たと知って、
ネットニュースの中継で、2011年の東日本大震災以来の大津波警報が出た地域があるとわかって、血の気が引いた。心臓がヒヤッとして、震えて、涙が出てきた。

東日本大震災が起きた頃、私は小学6年生で、家庭科室で班のみんなとチョコフォンデュ作って食べてて、揺れには気が付かなかった。
教室に戻って、地震があったって知った。
ACのCMやニュースがずっと地震のこと伝えてたのは覚えてるんだけど、凄惨な写真や映像を見た記憶は時間が経つにつれて薄れていった。

でも、中学生のときや高校生、大学生のときにYouTubeで、そしてついこの間もインスタグラムのリールで、当時の津波の被害についての映像を見る機会は何度かあった。

たまたまおすすめに上がってたのか、当時の記憶を忘れないようにと思って検索して見たのか、定かじゃないけど、あの辛くて悲しくて虚しくてやるせなくて言葉にできない光景は脳裏に焼き付いていた。

だから今回、自分の故郷に津波が来るかもしれない。あの映像が頭をよぎった。当時の人々を、悲しみと苦しみのことを思った。

それで、本気で、私がこんな遠い場所で何もできないまま、家族が助からないかもしれない、もう会えないかもしれない、友達もいなくなっちゃうかもしれない。そう思った。

来月私は一時帰国予定なんだけど、帰った時に私の知る故郷が知らない景色に変わってるかもしれない。帰っても、みんなはいないのかもしれない。あらゆる不安で頭がいっぱいになった。

最近ね、私の両親は、歩いて行ける距離に海がある地域に引っ越したの。だから、尚更、頭が真っ白になった。ダメかもしれないって思った。大袈裟かもしれないけど、本当に思った。とにかく、逃げて。生き延びて。無事でいて。祈るしかできんかった。

こわい。こわかった。

被災した私の大切な人たちの無事は確認できたけど、その後にみんなそう言ってた。

そばにいられなくて、何もできなくて、私は悔しかった。ごめん。家族と遠く離れて暮らすと決めたとき、こういう場面が起こりうるってわかってたけど、いざこうなると、やっぱりきつい。

両親は運良く私の祖父母宅にいて、みんな一緒に車で高台に避難した。姉家族も親戚と一緒だった。

まさか、自分のよく知った街が、生まれ育った場所が、小さい時に何度も行った場所が、被災地になるとは思わなかった。

自分の家族が、避難所で夜を過ごすことがあるなんて、思いもしなかった。

幸い最悪の事態は免れて、今はみんな家に戻ったり帰省を終えて北陸を離れたりしてる。

まだまだ気は抜けないし、1番地震発生が少ないと言われる富山でも、この程度の地震や津波が起こりうるのだと知った今、怖さが消えることはないのかもしれない。

でも、今は、生きようとして、生き延びてくれたみんな、ありがとう。命より大切なものはない。生きてさえいてくれれば、こんなに嬉しいことはない。

耐震・減災のために今まで、ずっと貢献してくださった人々や、復興支援してくださる方々、私は富山にいなくても私の家族のことを思って連絡してくれた友達、逃げてくれたみんな、無事を知らせてくれたみんな、本当にたくさんの人に感謝している。

遠くにいる私にできることは限られているけど、やれることをやりたい。

まだ安心はできない。でも、元旦に大地震が起きたからって、今年はまだ始まったばかりで、呪いの年でもなんでもないと思う。不幸中の幸いか、年始で家族は固まっていた。みんな一緒に逃げれた。行方の確認がしやすかったとも思う。

これまでも何度も自然災害に遭っては、手をとって立ち上がってきた日本。当事者の皆さんはまだまだ辛くて怖くて、しんどいと思うけど、その分私たち非被災者ができることってたくさんあると思う。それで、そうしてみんなで、がんばろう日本。

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復興を願います。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

今回の地震の被災地へ支援物資を届ける準備をしていて、機体衝突事故に遭われた海上保安庁のみなさんにも感謝していますし、亡くなられた方々を思うとやるせない気持ちでいっぱいです。

今この時も、人のために働いている人がたくさんいるんだと思う。ありがたい。

強く祈る。で、今度帰った時はみんなを抱きしめる。愛と感謝を直接伝えたい。

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