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ものがたりを纏うこと─ひとつのブランドの終わりによせて─

大好きなファッションブランドが7月末に完結した。
「TOKYO RETRO」をキーワードとし、ヴィンテージアイテムと、それらから着想を得た「タイトルとストーリー」のあるオリジナルアイテムを販売する、原宿にある小さなお店、「LEBECCA boutique」。

そのはじまりはうっすらSNSで眺めていただけなのに、まさか、終わりのときにこんなにも私が大きな悲しみを背負うことなんて全く想像していなかったし、このブランドの服を纏うようになった2年前、2年後にはこのブランドから新しい服が生み出されないことなんて全く想像できていなかった気がする。

「ほら、やっぱり私には可愛すぎる」

ラフォーレに足を運ぶ度、そのお店の外観にうっとりし、お店の外側に飾られたガラス越しのワンピースに心を奪われ、誘われるようにお店までは足を踏み入れるのだけど、どんなに可愛いと、欲しいとまで思っても、私の目と心をいっぱいにするお洋服を視界に入れて、そこで働く可愛らしいスタッフさんの声が耳に入ると、どうしても私がその場にいることも、その服を纏うことも許されないことなのだと思ってしまった。

そんなふうに思うにはいくつか理由があって、その理由のひとつひとつが複雑に絡まりあって、それが自分の性格にまで影響を及ぼすくらいには自分を苦しめていたから、今可愛い服を着ることが出来ているのは自分にとっての小さな奇跡なのかもしれない。

その理由のひとつは、スカートを履くのを小学1年から18歳までやめていたこと。理由はとっても小さくて、スカートを履いている時に公園で脚を開いていたら、「だらしないからやめなさい」と母に怒られたこと。兄や周りの男の子と同じようにすることができないことに納得がいかなくて、「もうスカート買わなくていいから」と私から頼んだ。中高の制服は男子のものを着ようとまでは思わなかったけど、6年間、制服の下には短パンを履き続けた(もちろん短くすることも無く。)

もうひとつは高校卒業後にアパレルで働いていて、着る服の枚数には困っていなかったこと。この頃には着ることが仕事でもあるのである程度着る服の形は選ばなくなっていたのだけれど、少しずつ感情をなくしていたことも確かだ。働く上で着る服のルールはたった一つ。「今店頭にある服を着ること」だったので、売れてしまえば次の服を買わなければならなかったし、逆に、好みでもないのに手に取りにくい価格の服も、在庫が余ることが予想されるような服も持っていることで、実家の衣装ケースは服でパンパンだった。まぁ、これがこの仕事を辞めるきっかけのひとつでもあることは言うまでもないのだけど。

そんな複雑な私の気持ちを変えた大きな要因は、LEBECCA boutiqueディレクター、赤澤えるさんの存在だ。
えるさんの発信から「エシカルファッション」の考え方を知り、自分の働き方や服との向き合い方にも疑問を持ったし、2019年3月に「赤組」というオンラインコミュニティが生まれたことで、私がLEBECCA boutiqueの服を纏うきっかけにもなった。

大きな会社の中にある小さなブランド。
作る工程からのすべてをえるさんや、購入する私たちが把握するのは難しいのだけれど、それをどうにか見られないのかと奔走するえるさんはとってもかっこいいと思ったし、中国の工場へ行くことを実現したえるさんのことを心から尊敬している。

SDGsやエシカルといった言葉がニュースなどで多く取り上げられ、世界的に多くの問題と向き合わなければならない、と考えられているファッションの世界。

でも、私たちが「服を大切にする」というのは大袈裟の話ではなく、購入する1着が、毎回お気に入りの1着であれば良い、ということなのではないだろうか。

学生のうちはお金が無いから安い服を買うかもしれないし、大人になってからも、服より生活する場所や食べるもの、趣味などにお金をかけたい、という人だっているかもしれない。だけど、服を買う時、1度心と洋服に向き合って、これからずっと着ていきたい服かを考えてから買うことで、ずっと着ない服が家に溜まってしまったり、すぐに処分されるような服が生まれることを回避できるのではないだろうか。

LEBECCA boutiqueを愛する人は、その大切にできる理由を、洋服のデザインだけじゃなく、物語にも当てはめることができるから、きっと、1着1着への想いがより強まるのだろう。
そして、元々付けられたタイトルとストーリーをきっかけに購入した服を纏った日、その人だけの、オリジナルストーリーが、新たに生まれていくのだ。その服を着て作った思い出が、買った人の分だけ、今日もどこかで生まれていく。

LEBECCA boutiqueという、原宿の小さなお店は、7月に終わりを迎えた。
でも、その服を纏う人の、私たちの毎日は、これからも続いていく。

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