ネットカフェ難民について思うこと(元ネットカフェ難民の視点から)
先日ニュースで大宮のネットカフェで立てこもりの報道があった。
犯人は女性を人質に取り32時間も立て篭もったとのこと。
私はこの報道を見てどう思ったのか、また、ネットカフェ難民についての思いを綴って行こうと思う。
まず、タイトルにあるように(元ネットカフェ難民)私は1週間だけだがネットカフェで暮らしたことがあった。
これは良い経験では無いしネットカフェで暮らしたことは今でも恥ずかしいと思っている。匿名性があるブログだから話せることであって人に軽く言えるものではない。
どんな経験も生きる糧になるとは言うが衣食住が欠ける経験はただ辛いだけではないだろうか。
何故ネットカフェで暮らすことになったかと言うと親との関係が悪く家を出る為に必要だったからだ。
私だけなくネットカフェ難民になってしまった人は好き好んでなってしまったのではなく色々と事情があったのだろうと察せられる。
「ネットカフェ難民」はテレビでしばしば報道されたり、本なども出版されている。YouTubeにも「1日だけネットカフェ難民になってみた」と所謂やってみたシリーズとしての動画をあげている人がいる。
このことから「ネットカフェ難民」についての関心は高いと考えられる。
しかし、この関心の高さは、衣食住が安定している人々がエンターテインメントとしてネットカフェ難民を見ているに過ぎないと思う。
元々ネットカフェはネットを使うことが出来たり漫画を読んだりジュースが飲めたりと娯楽の場所である。
そんな楽しい場所に住んでるなんてどんな生活しているのだろう?
どんな人が生活しているんだろう?
と関心を寄せられるのは当然であり、これがネットカフェでなく別の場所であったならばまた違ったイメージや関心の持たれ方をするはずである。
娯楽としてのネットカフェと住む場所としてのネットカフェは全く別物である。ネットカフェで暮らすことはデメリットしかない。
デメリットについて絵を書いたのでこれも併せて読んで欲しい。
デメリットについて4つ挙げてみたが特に語りたいは4つ目の防犯についてのことである。ネットカフェは個室で利用でき、これが住む場所のなかった私にはありがたい事であった。個室には鍵があるが簡素的なもので本気で開けようと思えば開いてしまうのではないかと思う。
ここでネットカフェ立てこもり事件の内容に戻る。
まず、この立てこもり事件を起こした林容疑者に同情は出来ない。彼にどんな背景があろうとネットカフェを悪用し被害者を出したことは許されない。しかし、何故ネットカフェが悪用されてしまったのかその防犯上の問題点が世間に浮き彫りになったと思う。
ネットカフェは個室である分その中で何が行われているのかわからない。林容疑者も包丁を簡単に持ち込み店員を脅したが、利用者が人質になる可能性もあった。
私がこのブログで言いたいことは危ない人がいるからネットカフェの警備を強化しろ、鍵を強固にしろと言いたいわけではない。
そこまでネットカフェに求めるつもりはない。
私は、「ネットカフェ難民」はただ娯楽であるネットカフェで暮らしているのではないと言うことを主張したい。
こんなに安全が脅かされている中でもそれでもネットカフェで生活をしないといけない人々たちである。
「やってみた」動画で体験してみるようなエンターテインメントではないのだ。
いつか難民が減りますように。
さーちゃんでした。
1億円欲しいです。