教員と事務員の職歴

私には事務員と教員の経験がありますが、今はフリーターです。

なぜフリーターになってしまったのか大学時代から綴りたいと思います。

2018年まで、大学生活と就職活動

親の虐待が酷くストレスフルな大学生活でした。

なぜ殴られるのか疑問を持つようになり家出しました。

家出の時期が就職活動と重なっていてゴタゴタしていてほぼ就活出来ず、就職先は適当に決めてしまいました。

2018年から2019年 一般事務

女だらけの職場で社長のワンマンでした。

たまに社長の母が職場に来て事務員を監視しにくるのが辛かったです。私はうっかりミスをしやすく仕事ができませんでした。人付き合いも下手くそでした。


11月あたりから取引先の業績が悪くなり仕事が全くなくなりました。

お局がわずかな仕事を独り占めするようになり私とOJTは毎日仕事がないまま過ごしましたが、1月にOJTは辞めてしまいました。

冬のボーナスが出るのを楽しみにしていたのですが業績悪化で通告なく新入社員のみ(4人いたのに残ったのは私入れて2人)ボーナスがカットされ転職を決意しました。


 私立教員の求人で給料24万残業代支給年間休日120日と一見ホワイトに見えるものに応募し合格することができました。


2019年から2020年 教員


初日から初期状態のほぼ動かない5年もののパソコン渡され自分で設定してとめんどくさそうに言われました。他の先生に聞いても知らないと言うので一人であっているのかわからないまま共有フォルダを開設したりファックスやスキャナーに繋げました。名刺や名札を渡されましたが全て名前が間違われていました。


電話は全て新入教員が取らなければいけないルールがあり頭がフラフラでした。4月、5月、パソコンが古くいつも止まるので作業は全く捗らず22時まで残業したあと家のパソコンで作業をしていました。


6月は体育祭で残業は深夜までありました。帰って化粧を落とさずご飯も食べれず倒れ込んで寝てしまうことが頻繁にありました。空いた時間に学校内で授業を作っているとそういうのは家でやるものでしょと言われました。


8月は夏休みでしたが私のクラスの生徒が捕まり夏休み返上で指導をしなければならなくなりました。年間休日120どころか100切っていたかもしれません。他の先生は全員休暇を取っているので誰も連絡できずわからないまま影で泣きながら対応しました。この時が1番辛かったです。


9月から特に体調が悪くなり拒食症になりました。体重が減り続けましたが休まず学校には行きました。大きな行事の担当を持たされるようになりフラフラでした。上司がうつ病で倒れその上司の持っていた総合の時間の授業が全部私担当になりました。


明らかに任されすぎだと思いましたが最初は私のことを無能扱いだった先生たちが徐々にやさしくなってきたのもあり、ここはこんなダメな私を受け入れてくれるところだと自己肯定感の低さゆえに脳がバグり頑張ることができました。


しかし体はどんどん悪くなりました。

12月の校長先生との面談で体調が悪いので3月までで辞めますと言い3月末で退職しました。


2020年から2021年 非常勤講師と美術館


非常勤講師を受験し合格しましたが配属高校が東大に毎年行くようなレベルが高い高校であり力不足を感じました。

授業準備は大変で時給に換算すると400円ぐらいで働いていたと思います。


100分の1の競争に打ち勝ち、美術館でも掛け持ちで働きましたがここは給料は安かったのですが自分に合っていたのかストレスなく続けることができました。しかし、もう一度常勤校に勤めたいと想いがありました。


転職活動を続け合格したため講師、美術館アルバイトは全部3月末に辞めるといい後任を探してもらいました。


その後2月に不当に内定取り消しをされ私はアルバイトも全て失ってしまいました。


頭が真っ白になり、教員の道に嫌気がさしました。


そのときにTwitterを開設し仲間を見つけるようになりました。今は学校で雑用をやっていますが仕事がないときは無職のためお金がありません。


数ある選択肢から私は間違った道ばかり選んだのかもしれません。就職活動を真面目にやっていれば、、教員を選ばなければ、、

私には二つのトラウマがあります。

虐待親に育てられたことから家庭にトラウマが、

拒食症になるまで働いたことから正社員にトラウマがあります。


拒食症のあと一転過食になり今は落ち着いて体重も戻りつつありますが摂食障害はまだ付き合っていかないといけない病気です。


働くことはまだ私にとって難しいものです。

1億円欲しいです。