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どうして?のぐるぐるを抜け出すための思考回路
最初にお断りを。昔から「春馬」と呼んでいたので、いつものように春馬呼びさせていただきます。
7月18日以降、私は春馬を検索することがやめられなくなりました。時間も頭も心もとらわれていました。私はもともと不眠気味でしたが、さらに眠れなくなりました。家のことや家族のこと、仕事もある、このままでは自分の生活に支障が出てしまう、と思いました。そこで、思考の回路を作りました。生活と思考を立て直す、私の個人的な抜け道です。「春馬、どうして?」に陥った時に、これを読んで自分自身をぐるぐるの渦から引き上げてやりたいです。そのための備忘録のようなものです。
「どうして?」と思ってしまう「どうして?」の成分を取り出すことにしました。理由がわからない「どうして?」です。
偶然、志茂田景樹さんのブログを読みました。
以下一部引用です。
僕は三浦さんの自死に、
22歳で不意に逝った友の自死をしばらく重ねていた。
命を自ら絶たなければならない理由があったのか、
と周りは思う。
しかし、
友の内面の世界では自死すべきことで自ら決着に持っていった。
引用終わり。
前日までいつもと変わりない様子であっても、順風満帆に見えていたとしても、親しき間柄にあっても、わからないことってある。世界って人間ってずっと前からそうだったよね、とストンと落ちてきました。
私は家族のことで苦しかった時に「きえたい」と思ったことがあります。行動に移さずに戻ってきましたが、私史上一番死に近かった夜でした。
ある時友人にその話をしました。お互い他の人に言えないことをがっつり、定期的に話すので親しい関係と言っていいと思います。
その友人に「きえたい」と思ったと打ち明けた時、「あーわかる、わたしもきえたいと思ったことある。」と返されました。「えぇ??いつ??」「いつだったかなーだいぶ前。」「知らなかったー」「理由は言わないよ、言いたくないから絶対言わない。でも『きえたい』の感覚すごくわかる。」そんなやり取りがありました。
長い付き合いだし、込み入った話もする関係だけど、伝えないこともある、気づかないこともある、そうだったよ、志茂田さんありがとう。
きえたいと思った私だって、翌朝には何食わぬ顔で仕事に行った。消えたそうな素振りなんて微塵も見せなかった。家ではキツい状況が続いていたが、周囲からは悩みなんてなさそうなフワフワした呑気な人だと見られていた。それが幸せそうな「振り」だったのかと言えば、そうでもない。本当に楽しんでいた。自分自身を取り巻くものがキツすぎると、別の場では、真逆のhappyな世界を作ってしまうのか?あれ?これって多重人格の入り口なのか?
話がそれたけど、私があの時に消えてしまっていたら、職場の人はそんな風に見えなかった、訳が分からないと混乱しただろう。私の込み入った事情を知る数人の友人は察するだろう。が、他の知人が「あの人どうして?」と聞いてきたとしても、友は「家族のことで悩んでいたよ。」とは答えないはずだ。
職場で見せる私と、知人に見せる私、限られた親しい友人に見せる私、家族に見せる私はそれぞれ違う。誰にも見せない私もいる。誰にどう見せるかどこまで見せるかは、私が決める。私の判断で全てやらせてもらってますが何か?ってことなのだ。
「春馬、どうして?」と理由を探しても、答えのないエリアをぐるぐるするだけだ。「どうして?」は不毛でナンセンスで、行き過ぎると無粋で失礼になるのでは?と、我に返った。
それでも、かねこいで演じる姿を見て、主演映画公開のニュースを知って、やっぱり戻ってきてしまう。
私はこれからも何度も何度もこの思考回路をたどるだろう。反芻する、これがぴったりだな。
答えのない「どうして?」を私は反芻するだろう。でも何か素敵な言葉を拾ったり、気づきを得たりして、抜け出していく。抜け出した時には、前と同じ場所にはいない、ネジひと巻き分位進んだ場所にいる。そうやって生きていく。ってなんの決意表明だ。