9割は日本でお馴染みだった!思い出のパリのお菓子屋さんベスト10
もう20年以上も前の話なのですが、OLをやっていた頃、毎年夏休みにフランスに旅行していました。パリのホテルリッツの1週間の菓子研修にも参加しましたし、フランス菓子の先生と一緒に地方菓子を食べ歩くツアーにも7年間参加していました。
パリのお菓子屋さんは、まるで宝石屋さんのように洗練されていて、キラキラと輝いていました。私のスイーツ好きの原点であるパリ。そんなパリの思い出のお菓子屋さんをベスト10にまとめてみました。
1位 Jean-Paul Hévin(ジャン=ポール・エヴァン)
今や日本でもすっかりおなじみとなってしまいましたが、パリではじめて、「ジャン=ポール・エヴァン」のショコラを食べたときは衝撃でした。これまで食べてきたものとは全く別物。とくにエヴァンさんはコーティングの薄さにこだわっているので、パリで食べるショコラの中でもとびきり繊細なのです。以来、パリでも日本でも、何度もお店に通っています。
実はジャン=ポール・エヴァン氏は、日本との関わりもとても深いです。「ホテル・ニッコー・ド・パリ」でジョエル・ロブション氏のもとシェフパティシエとして働いていますし、リュシアン・ペルティエ氏が日本出店する際は、「ペルティエ東京店」のシェフ・パティシエに就任しています。なので現在、パリに8店舗だけど、日本には12店舗も構えています。台湾や中国にも進出しています。
初めて彼のお店に行ったのは、1995年。そのときのことをこんな風に書いています。
このときは6区のお店にうかがいました。そしてこちらの写真は、ツアーの皆様とその翌年、7区の本店にうかがった時のもの。きゃーきゃー言いながら、順番に写真を撮っていただきました。壁にフェルベールさんのジャムがぎっしりですね。いや、お互い若い…
2位 Ladurée(ラデュレ)
パリでは、「ラデュレ」にもよく行きました。ラデュレといえばマカロン。マカロンといえばラデュレ。パリ土産にはかかせません。今でこそマカロンは、日本でも普通に売っていますけど、当時は、日本は湿気が多いからマカロンには向かないなんて言われていました。だから、このカラフルなマカロンがころころとお店に並んでいるのを見たときは、感動しました。
マカロンは、もともとフランス各地で作られたいた素朴な焼き菓子。これを、表面をつるつるにして色をつけ、間にガナッシュをはさんで洗練させたのが、このラデュレです。
「ラデュレ」の創業は1862年。製粉業を営んでいたルイ=エルネスト・ラデュレがパリにブランジェリーを開いたことから始まります。1871年に火災が起き、ブランジェリーからパティスリーへと転向。その後、パリで最初のサロン・ド・テをオープン。20世紀の半ばには、創業者の従兄弟のピエールが、2つのマカロンの間にガナッシュを挟んだ「マカロン・パリジャン」を考案して、ラデュレの名をさらに高めました。
緑をベースにしたクラシックな店構えは風格があります。マカロンの大きさは大小2種類あって、大は1つづつ買えます。小はグラム売りなので、箱の大きさを選んで詰め合わせてもらいます。
ツアーのパリ最終日に、名残を惜しんでシャンゼリゼ店に朝食を食べに行ったりもしました。こちらのクロワッサンもクグロフも絶品なのです。
そういえば、銀座三越のサロン・ド・テは2023年8月末でクローズしてしまうのですよね。
3位 Stohrer(ストーレー)
パリで一番古いお菓子屋さんです。フランス菓子を愛する者にとっては、聖地のようなお店です。というのも、フランスの伝統菓子である「ババ・オ・ラム」や「ピュイ・ダムール」などが並んでいるのです。
「ストレー」は、1730年にニコラ・ストレー氏によって創業。ストレー氏は、ルイ15世と結婚したマリー・レクザンスカの父であるスタニスラス1世のパティシエでした。1984年に歴史的建造物にも指定された店内の装飾は、オペラ・ガルニエの装飾を任されたポール・ボードリーの弟子の一人によってされているそうです。現在お店は、2017年にドルフィ家に引き継がれ、さらなる進化を遂げています。
ストレー氏は、「ババ・オ・ラム」を発明したことでも知られています。これは、スタニスラス公が乾燥しているクグロフにラム酒をかけて食べたのが始まりともいわれています。名前の由来は、この王の愛読書の1つ『千夜一夜物語』にちなんで「アリ・ババ」と名づけられたところからきているようです。
4位 FAUCHON(フォション)
パリ マドレーヌ広場に燦然と輝く美食の殿堂。パリに行ったら一度はお世話になっています。日本にやっとアップルティーが入ってきた頃、初めてパリのお店を訪れたときは、見たこともないきらびやかなパッケージが並んでいて度肝を抜かれると共に、心躍って買い物した記憶があります。カフェでいただくスイーツも、日本とは一味違っていて、ザ・パリを感じました。
「フォション」は創始者のオーギュスト・フォションが1886年に、パリのマドレーヌ(8区)に店をオープンしたのが始まりです。今や世界的な高級食料品店となっていて、日本では1972年から髙島屋が取り扱いを始め、全国に店舗があります。
2021年京都に、日本初・パリに次いで世界 2 軒目となる『フォションホテル京都』もできて、なんだかとってもうれしいです。
5位 Pierre Hermé(ピエール・エルメ)
日本でもすっかりおなじみパティスリー界の巨匠の店。行列の出来る店。
ピエール・エルメ氏は、4代続くアルザスのパティシエの家系に生まれ、14歳のとき、ガストン・ルノートルの元で修業を始めましたる。26歳で「フォション」のシェフパティシエに就任。36歳で「ラデュレ」へ。そして1998年、37歳のときに自身のブランド「ピエール・エルメ・パリ」として、東京・ホテルニューオータニ内に初出店。2001年、40歳でフランスの第1号店をパリ6区のボナパルト通りにオープンしています。
おそらく日本人が一番知っているフランス人のパティシエのひとりではないでしょうか。ニューオータニで販売しているの3000円越えのショートケーキも人気ですし、青山店で月に1回提供している朝食は、予約困難でした(今はやっていないようです)。そうそう、コンビニスーツの監修もしていますね。エルメの味が手軽に味わえるのは、かなりうれしいです。
代表作ともいえる「ISPAHAN(イスパハン)」は、バラとライチとフランボワーズという組み合わせ。しかもピンクの外見。おいしさ、美しさ、新しさ、素材の組み合わせの妙、そのすべてを兼ね備えていて、まさに芸術品といっていいのではないでしょうか。ヴォーグ誌からは、“パティスリー界のピカソ”と称賛されているのもうなづけます。
私にとっては、見ているだけで幸せになれるスイーツです。
6位 La Maison du Chocolat(ラ・メゾン・デュ・ショコラ)
こちらも日本でも超有名店。1977年に「ガナッシュの魔術師」といわれたショコラティエ、ロベール・ランクス氏によって創業。当時パリで主流であった砂糖と生クリームの使用をやめ、それまでと異なるチョコレートを作りました。現在は、フランス国家最優秀職人章ショコラティエ部門の称号を持つシェフ・パティシエ・ショコラティエ、ニコラ・クロワゾー氏をトップに、35人の職人と見習いによって、パリ近郊のアトリエで製造されています。
パリで印象的だったのは、サロンでいただいたチョコレートドリンク。Guayaquil(トラディショナル)、Caracas(酸味)、Bacchusの3種、それぞれホットとアイスとフラッペ、あと、Caracasのアイスクリームがありました。日本のココアとは全く違い、深く濃い。アイスクリームは決して甘ったるくなく爽やかな感さえする絶品でした。
こちらのボンボン・ドゥ・ショコラには、バレンタインやギフトでよくお世話になっています。私の中では、”困ったらラ・メゾン・デュ・ショコラ”的な位置付けです。
7位 Gérard Mulot(ジェラール・ミュロ)
サンジェルマン・デ・プレにある1976年創業のパティスリー。1999年には日本にも進出したようです。2016年に創業者のジェラール・ミュロ氏は引退されました。
ウインドーにはホールのタルトやムース系のケーキが美しく並んでいました。タルトはどれもフルーツがこぼれんばかりでおいしそう。こちらの大きく四角く焼かれた量り売りのタルトが衝撃的でした。手で「この位」と示して切り分けて貰います。「洋梨といちじくのタルト」がおいしかったです。
ミュロさんが現役の頃は、よくお店にも顔を出していたようで、私も運良くお会いすることができました。ほんとうに優しくて愛情にあふれた方です。きらびやかすぎないパリを感じる、心温まるお店でした。
8位 pâtisserie Sadaharu AOKI paris(パティスリー・サダハル・アオキ・パリ)
すっかり日本でも有名になりましたが、お店のオープンはパリの方が先。おそらく評価もパリの方が上なのではないでしょうか。「フランス最優秀パティシエ賞」を受賞したこともあるフランスを代表するパティシエであり、世界で最も注目される日本人パティシエの一人といってもいいでしょう。
青木 定治氏がフランスに渡ったのは1989年。1995年シャルルプルースト・コンクールの味覚部門で優勝して、一躍有名に。98年、パリにアトリエ開設。そして2001年、パリ6区サンジェルマン「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」を開店。現在、パリに3店舗、日本に9店舗展開しています。
日本人ならではの抹茶使いが特徴的で、私が好きなのは、スラリと伸びた抹茶のエクレア。日本にもありますが、パリで食べるとやっぱりパリらしい味がします。
エルメが日本で一番知られているフランス人のパティシエならば、サダハルアオキはパリで一番知られている日本人のパティシエなのではないでしょうか。
9位 Lenôtre(ルノートル)
現代フランス菓子の基礎を築いたと言われるフランス菓子界の至宝ガストン・ルノートル氏が創業したパリ最高峰のメゾンのひとつ。
ガストン・ルノートル氏は、1920年にフランスのルマンディー地方の料理人の両親の元に生まれ、1957年にパリに進出。現在は、10店舗のブティックと、3店舗のレストラン(三ツ星含)をフランス国内で展開しています。さらに1971年には、フランスで最初のプロのための料理学校(エコール)を設立しました。
日本では、1979年よりフランスの食文化の豊かさを発信し、憧れのメゾンとして感度の高い人々に愛されてきましたが、2009年に惜しまれつつ撤退しました。日本では、東京・銀座三越店に常設しており、2023年7月28日に初の路面店「ルノートル東京」が丸の内にオープンするそうなので、とっても楽しみです。
1900年代にガストン・ルノートル氏が考案したという「Succès(シュクセ)」をいただきました。これは2枚のビスキュイ生地にプラリネ入りのバタークリームをはさんだケーキです。アーモンドが香ばしく、中がミルキーで、素朴な味わいでした。ちなみにSuccèsとはフランス語で「成功」という意味です。
10位 Arnaud Larher(アルノー・ラエール)
こちらも日本に進出しています。アルノー・ラエール氏はブルターニュ出身。「ペルティエ」、「ダロワイヨ」を経て、「フォション」時代にはピエール・エルメ氏に師事しています。25歳で開業。35歳でMOF(国家最優秀職人章)パティスリー部門受賞。パリに3店舗、ギリシャに1店舗、東京では広尾とGINZA SIXの2店舗を展開しています。
お店はモンマルトルにひっそりとあります。伝統的なお菓子作りを大切にしながらも、時代とともに進化するお菓子を作っています。スペシャリテは、Recif(レシフ)というタイムの香りのチョコレートケーキ。
以上、パリの思い出のお菓子屋さんトップ10でした。こうしてみると、ほぼ日本にもある、もしくはあったお店ですね。そういえば、パリでチョコレートのお土産を選ぶときに、日本にないブランドを探すのに苦労しました。日本って世界中のグルメが集まる豊かな国ですね。